平凡な時代になれば、むかし家柄、いま学歴で大衆の目を引いて、小池百合子さんや小泉進次郎さんが実態よりも、親に泣きついて大学や大学院の卒業証書を欲しがるのは自由でも、何度もいうように所管する大学に恩恵を受けて弱みを握られ、エジプトやアメリカに国益や外交が左右されれば個人の問題ではない。だって力量がないんだもんとか、都知事とか国会議員はけっして芸能人の人気投票みたいに登場すべきではない。
それにまた、手っ取り早くヒトラーやムッソリーニみたいにアホーマンスをして、権力を欲しがるような、むかし小泉純一郎や橋下徹、いま石丸ナニガシや泉ナニガシらが登場したがっていた。
王将みたいに一歩一歩進むのを嫌い、見た目の上っ面で登場してきたので、跡はいつも虚しい感情だけが残るのはしかたがなかった。
元はといえば地道に読解力を養うのを嫌う、薄利多売の大衆相手の文化に似て、実力より瑣末的な人気、質より量の文化でした、このような雰囲気はいたる所で見られ、時代の情況をうつしだしていた。
むかしマスコミは為政者によって「弾圧」に屈して、いまは為政者と深く利害関係で「癒着」して屈し、われわれ国民はむかしもいまも「無関心」で屈していた。
それでも、傍観者みたいに感傷的になってばかりいられない、政治家は言論活動して、作家は言語表現するがお仕事であり、クリエイティブするのが使命である、
などと最近、小説を書き始めた江輪維井涌、やっぱり変なペンネーム、そう意気込んでみても才能ばかりはひしひしと、最後まで読んでくれたらとてもうれしいです、そんな、あなた頼みの小説を書いていました。