見出し画像

「短編」 よけいな、お世話

“ 人間はまっすぐ歩けないんですよ、まっすぐ歩けるのはヒトダマ、つまり死霊しれいだけなんです ”

 と生前テレビの中で作家の埴谷雄高さんは語っていた。
さらに続けて、

“ 遠い宇宙の彼方からあるモノがやって来て、ぼくの文章を解読し、人間とはこういう生物だったのか、とわかるような小説を書いているんです ”

なるほど
脇めもふらず無駄もしないでまっすぐに、勢いよく前に進んでいるようで、じつは左に曲がって自爆したり、右に曲がって自刃したりしている。そうか、地球は丸いからな。

人は大きくカーブしてまわり道しているようで、まっすぐ歩いているのかもしれない。それに大きく視野も広がり、包容力もついていることもあるだろう。


      *

 なんだか、版権が切れた都合のいい名作の岩波文庫を読んでいるようで、野心家の若い作家には物足りない短編みたいだけど、日頃えらそーにのたまうワタクシでも、生存中の方々には何かと気を使いつつ


 画家池内いけない満寿夫ますおはご機嫌だった
妻のヨーコとともに、映画完成パーティでお酒も入ってほろ酔い気分
みずから手がけた映画『エーゲ海に捧げないで』は、芥川賞を取った作品なので、ヒットが予想されていた、じっさい興行的には成功することになった

 なんとかかんとかイージーアン、女は海ー

 うん、発音がイマイチだな、ジュディさんに教えてもらおう、くちびるはどう広げるのかなこんなかなチュなんて
そばにヨーコがいるので、オーバーにジェスチャーができないけど、愉快だった
やっぱり語学は画家より音楽家が有利だな、とつくづく
( ちなみに妻のヨーコはヴァイオリニスト、オイストラフに師事していただけに音色は素晴らしい、クラシックは演奏技術もさることながら音色で決まり、いいオーディオを持っている人がほんと、うらやましい )

「満寿夫くん、なかなか盛況みたいじゃないか」

 ふいと振りかえれば、オーイエ・ケンザブローの顔、特徴ある腹の中から出てくる、いくぶん低い声で、ふふふフ

「あっオーイエ先生、ありがとうございます、先生のご尽力のおかげです、芥川賞を取れたのはもしかして先生のおかげかと」

 オーイエ・ケンザブローはフランスから帰化した作家、学生のうちから活躍して現在も重鎮として健在だった

「そんなことないよ、謙遜しちゃダメ、君の実力だよ、わはははハ」

「ありがとうございます、これからもよろしくお願いします、ハイわかっていますとも、まかせてください、ハハハ」

 挨拶をかわし、去っていくオーイエ・ケンザブローの姿には、以前のような影響を受けていたサルトルの面影はなかった

「先生ー、健康で長生きしてくださーい」

 さてと、

「ようイケナイ、元気そうじゃない、映画はイケそうかい」
「おう、お前か、しようもないダジャレ言いやがって」

 こいつは松井作之進、文豪みたいな名前をしている
高校からの同級生で、生意気にも芸大を首席で卒業した新進の画家だ
オレなんか芸大にも入れなかったのに、このヤロ、でもふり返ってみればコンプレックスやその悔しいハングリーさで、いまのオレがあるのかもしれない
芸大を出たからってプロの画家になれるわけじゃなし、東大の文学部出たからってプロ作家になれるわけがない、たとえデビューできても後が続かないないで学校の先生や翻訳をするのが精いっぱいで、第一線から退いていくのが多かった

 おもえば受験に落ちた時は目の前が真っ暗で、オレって才能がないのかって落ちこんでいたけど、めげないで頑張ったおかげでビエンナーレを受賞できたのかもしれない、塞翁が馬って感じかな

「芸大には運がなかったけど、ビエンナーレで賞を取ったときは本当にうれしかったな、お前も応募したら」
「じつはボクね、卒業した時に作品を出品したら、運よく取れたんだよ」

「何! そうなの、そうか取っていたのか、じゃじゃ自慢するわけないけど、オレ、芥川賞取ってんの知ってた」
「そうだってね、すごいな、ボクかなわないかも、じつはボクもね、少しばかり時間が空いていたのでなんとなく文章書いて、出版社に送ったら評論の小林秀雄賞をもらってさ、ささやかだけど、美術雑誌に文章などを書いているんだよ」

「えーそうなんだ、ところであのー、言っちゃ悪いけど、オレのかあーちゃん、美人なんだよ、ねえヨーコ」
そばで妻のヨーコもにっこり

「やあまいったな、今度ばかりはお手あげだな、そうそうボクの奥さん、紹介してなかったね」

 このヤロ、びっくりするぐらいの美人を連れてくるんだろうな
あいつはそう言って、近くにいた女性にこっちに来てと合図していた
やってきた女性を見てびっくり、ほんと、冗談なしで本当に

 太った人を悪くいうつもりはありません、けっしてスマートではありませんでした、デブ専好みの人がいるとは聞いていました、それにお顔も悪いけど美しいわけでもなく、お手伝いさんかなと思いしも、目の前でじゃれあってチュッチュもして、もしかしてこれは本気かも

「あらこの人、あたしのことジロジロ見てるわ、感じ悪いから、さあ向こうに行きましょう」
そう言って二人はなかよく手をにぎって、離れて行きました

 なんでや、数々の栄光に包まれながら輝かしいスポットを浴び、最後の最後になって自刃した、チョンボな作家の三島由紀夫みたい

 あのとき、たとえ女性やおかまやファンに好まれて、おのれの思想があっても非難多く、子供や奥さんと母親を悲しませ、元気に闘っている身障者に立ってみれば許されることではない、と一般の大人みたいに分別くさく言う気もなかった
ただ文学好きな満寿夫にとって残念な気持ちだけがつのっていた、あのとき

 芸術大学に希望しても入学できず、望んでも果たせないコンプレックスと野望の間でもがいていた思春期の頃、その分だけやってやろうという生命への指向性が強かった
だからエロスの画家とかいわれ、生の歓びを謳歌し、生を肯定していたのだ

 つい以前のことを思いだし、人生の成功、人の幸福とは何かを、つくづく考えざるをえなかった

 そんなことより、あいつ大丈夫かな


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?