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初めまして2nd

初めまして

の続きです。


という訳で、別に興味を持ったという事でもなく何となく茶工場に入った私。
当時の茶況は、その少し前の最盛期に比べたら下り坂に差し掛かったとは言え現在とは比較になりませんでした。
とにかくお茶を、ここでは荒茶(収穫した茶の葉を一次加工した半製品)を作れば売れるのです。それも今となっては想像も出来ない様な値段で。
父やその友人である工場の社長は一日二日は寝られない様な事は当たり前。単なるバイトである自分は農家さんの持ち込んだ生葉を機械に投入するお手伝いをしただけですが、それでも必死でした。
その結果は…何も知らない、出来ない小僧にしては驚く程のお給金。
そうです、当時お茶時期というのは一種のイベント、言うなればお祭りの様な事態。
茶工場に入ると言う事はとても割の良いバイトだったのです。
「…これは良い(ニヤリ)」となった私。父友人工場は二番茶は操業しないので、これまた父の別の友人が関わっていた他の茶工場を紹介してもらいました。


最初に入った工場で担当したのはとにかく生葉を機械に投入する「荷受」と呼ばれる仕事だけ。
実際に生葉を機械で製茶していく工程はもちろん任されもしないですし殆ど見もしませんでした。別に興味も無いし。
次の工場でもやはり荷受。今度は地区でも大規模な工場。とにかく必死で生葉を農家さんのトラックから下ろして「生葉コンテナ」と言われる貯蔵部に入れるだけです。
それでも身体を使って働くのは意外と性に合っていた様でした。
一生懸命に短期集中、終われば残るのは爽快感と自由な時間、そしてなんと言っても割の良いお給金。
「なんと良いアルバイトだ」。
ここに至っても私にはそのくらいの認識。ろくでも無いヤツですね…
でも、茶工場で働く事がとても好きになりました。

さて、二番茶でお世話になった所は当時川根地区ではあまり無かった「秋冬番茶」を製造していました。9〜10月にかけて作るお茶、今ならペットボトル原料になったりします。
もちろん私は「秋冬番もお願いします!」と言う訳です。
秋冬番茶は製造量こそ多いですが、価格や取り扱い諸々で一番茶や二番茶程気を使わず済みます。そこで私は初めて、少し余裕を持って茶工場とそれを取り巻く人達を眺める事が出来ました。

繰り返す様ですが、当時は今現在とは比較にならない程活気がお茶の現場にはありました。
日夜の区別も無くひたすら動き続ける茶工場。途切れなくやって来る1トントラックや軽トラには茶を収穫した袋が山積み。おじいちゃんもおばあちゃんもおじさんもおばさんも、若い衆も幼い子供も家族親戚総出で運んで来る。カンカンで計り素早く搬入、みんなで袋を担ぎ上げ工場内に納めていきます。
工場の中では轟音を上げつつ、「蒸す、揉む、乾かす」という一連の工程を行う機械達。
そしてそれを巧みに操る農家のおじさん達、いや彼らは「お茶師」です。時に笑顔、時に真剣な表情を浮かべつつ、一植物であった「茶の葉」を飲む物である「お茶」へと変えていく。
何の展望も無く無意な時間を送ってきた私に、その光景はとても眩しく映りました。

秋冬番茶もあと少しで終わるという頃、私は意を決し茶工場の役員であるおじさんに告げます。
「僕もお茶師をやってみたいです」と。


まだ続くんかいw

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