見出し画像

《美術人類史.Ⅵ》 見えざる美の誤解


今回のテーマ「見えざる美の誤解」とは、美術文化から人類史を断続せずに継続的に解釈する時に見える、美術人類史の重要な周期現象です。

各時代を象徴するほど人々の価値観が意欲旺盛な時は、文化興隆の勢いを受容した制作動機目的、積み重ねた実現技術に色艶が出て、施主や制作者の水準の高さが様式の特徴ともなります。この様な時下で開花した作品は後世も人為的に大切にされたり、念強く自然に残れ、今の私達が美術博物館や遺跡で古代から近年の「美のカタチ」に触れる事が出来るのも、確かな造形価値を持ち合わせるからであると思います。

しかし、これら素晴らしさにも盲点があるのです。それが一見創造性に溢れているようで、実は退廃的な「美のカタチ」に陥っているケースです。

これは美術博物館では意図的にスターダムな素晴らしい作品を素晴らしく魅せていますので、恐らくその様には思えませんし、素晴らしい作品の実際の周囲環境の解説があっても中々イメージし難いところです。この様に人間同士でも中々見た目で判断出来ない様に、文化の習性も見た目では分かりません。

もちろん意図を持ち見ようとすれば見方は多様化します。ですが普遍的に人間の成長と老若の関係に似た点に鍵があると考えます。この文化の習性の見極めるのは考え方です。

例えば、ラスコーの集団は壁画への想いとは裏腹に、そう長く継続しなかったかも知れません。何故なら原始信仰で円熟な統率の美を施すまでに文化到達したラスコー民のコミュニティが原始的のままでしょうか?

他にも偉大なピラミッドを作る知能美と、素朴にも石器を工夫した知能美の創造性の純度の軍配など問うのも良いでしょう。

美術人類史では、こうして文化とは即ち人である事を確認して進みます。

そもそも、人は宇宙の摂理にしてみれば、私達一人一人が思考する星と同様に物質存在です。

様々な星、恒星、惑星、衛星、星系から星団そして銀河に銀河団となる様に、正に私達とフラクタルです。

隕石と隕石がぶつかる様に、初めは人が人と挨拶で接するだけでも、思考や意見を交換すれば、気泡の様に種子、量子、種量は何かしら起因します。思考と思考を擦り寄せながら進み、文字通りやがて化けて文化。明けて文明です。

他の生物の行動は全て宇宙バランスによるテリトリーを保つ様に定められ、蜘蛛でも蟻でも蜂でも巣作りの主張も客観も命も無い、捕食と存続の習性システムに完結しています。さながら造語ですが習化、習明と言ったところです。

故に人間以外の文化は他に存在しません。何かに対し感想を持ち、唯一本能を越えて対象視するのが、言語を操れる人間だけの特別な習性だからです。

その分自作自演なので、各時代の繁栄を何と判断するかは史学ですが、美術の宿命として創造性のバロメーターを考えるなら、人の習性がそのまま造形文化の原資なので、価値観は頗る高揚する時代に揉まれた成熟した素晴らしい美術作品は、言い過ぎかも知れませんが素晴らしい裸の王様です。

そして、むしろ美術の場合はそうで無ければなくてはなりません。何故なら各時代の衣食住の基準の上で余剰に繁栄するのが美術であり、よって全て希望だからです。

もしも、必ず人や星は生まれてやがて亡くなりを迎える時、個体レベルで死や滅し方について。例え自然の一生と同じサイクルをするのだと分かっていても、自らが滅亡する為に素晴らしい造形を残す人は皆無であり、裸の王様でまだまだ希望を信じます。

どんな時も果てなき希望を美術に込めれるのは、現実にはこの様な時間差による感覚です。

溢れた泡に例えてみます。気泡で泡になり、泡が膨れて器から溢れ落ちる頃、元の気泡は収まり始めているのもので、無限に供給出来ませんが、溢れ落ちている時の長さは器(文明形態)により様々です。

最後にこの文明のキャパシティを考えます。

とある美術評論家の最もな言葉を引用して
「文化は高いところから低いところへ流れ。低いところから高いところへは流れ無い。」とあります。

この言葉で、文化の高さを創造性の純度と置き換えるなら、思考の加工物(人工物)の到達出来ない領域ですが完結な自然物こそ最高値です。ならば、自然美に近いところに収束する加工物ほど、純粋な創造意欲に溢れている事になります。

美術史、人類史を分けて考えると比較になりませんが、先程の大ピラミッドを作る高度な知能と、最初に石器を工夫した生活の知能のどちらに宿るか考えてみて下さい。

これも過去の流れを絶やさず、今だから知識を活かせる美術人類史の楽しみ方です。

人類はDNAを受け次いでいる以上、ラスコーの壁画の問いもこの間に答えが有るはずです。

今後は、こうした見えざる美の誤解の原因も弁証しながら、次回は「美の文化創造」そして退廃に向けて考察したいと思いますのでお楽しみください。

日本画家 戸倉英雄


*補足

気泡は私達の思考で、既に小さな文化です。もし溢れる泡(流行)による周囲への影響を考えるなら溢れる前、注ぎ流す前に文化設定の創造の純度の意識を上げておかないといけません。また目的にもよりますが根付かせるには裾広く浸透出来る傾斜の器のイメージにバランス良く注ぐ側の配慮でしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?