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《美術人類史.Ω》 はじめに

早速ですが、美術、芸術と聞いて、皆さんはどのような印象をお持ちになるでしょう? 

漠然で結構です。例えば、、、

好き、落ち着く、癒される、面白い、活力になる、凄い、憧れる、諸々好感な面があれば、

興味無し、難しい、分からない。身近でない、お高い、出来無い、諸々反面もあるでしょう。

またこの記事にご興味ある方は前者の傾向にあると思いますが、混在する中間の印象もあると思います。

次に対象も挙げてみます。私は画家なのでまず絵画です。そして彫刻、建築、工芸、音楽、芸能、舞踊、書、写真、映像、漫画、調理などなど分野は幾つもあります。

ところで、これらはどうして出来たのでしょうか? 必要だから? 何故でしょう? 以下分析します。

当たり前ですが当事者は人間です。最低二人は入ります。一人では客観評価が貰えませんので提供側と享受側です。つまり人と人の間で成し遂げた結晶と言えます。

最初の問では、享受側の応えを導き出したつもりです。応えは千差万別です。

またも当然ですが、好き嫌い、熱意や興味の度合い、環境や風土や立場の違い、それぞれの考えに「価値観の違い」のギャップが有る訳です。

私の思うところ、この価値観の違いに対し、共生する互いを擦り合わせる、若くは一定の距離を保たせるべく、芸術、美術も潤滑油の様に存在しているのではと考えています。

そこで、芸術作品をギャップの理解の翻訳機能と捉えてはいかがでしょうか?(人は一人では生きていけません。ギャップを知る事を自然な摂理と前置きします。)

伝える側はより性能や意味合いを洗練させたいと思います。(これには人間の欲求性がありますが、後述に留めます。) この求めが「美」だと思うのです。

その為の伝達効率を良くしたり、分かり易くしたり、逆に難しくしたり、印象で驚かせたりと、色々なアプローチでどうしたら良いか、この段階が「工夫」です。定着すれば時代に応じて機能が維持追加された様に映ります。これが「伝統」です。時に創造と破壊に見えたりもします。

元は皆さんの一人一人の感情との相対が全ての芸術の原動力なのです。謂わば芸術、美術は人類の「心理戦の結果」の積み重ねです。このマガジンではこの一面に忌憚無くスポットを当てて行きます。

人生のエッセンスに『美術人類史』どうぞお役立ちますよう。お楽しみくださいませ。

*「誰が誰の為に、誰が誰と誰の為に、誰と誰が誰と誰の為に、誰と誰が誰の為に。」

*「個人が個人に、個人が集団に、集団が集団に、集団が個人に。」                           

次回は、漠然と考えを巡らせてみてください。人類史上、他者とコミュニケーションを取れるようになった頃の美の起源を考察します。

                                  日本画家 戸倉英雄


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