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《美術人類史.Ⅴ》 存在を読む(前編)

人類史上で誰がどんな造形を行うにせよ、当てはまる3つの条件があります。

1つにフィールド。

当然ですが地球上での作業です。
特に重力の影響。そして天文、大気、海洋、土壌、気候など環境に作用されています。

2つに時の感覚。

環境と時間は生物のライフサイズや身体機能を定め、生活行動パターン、価値や使命を定めます。

3つに当事者達のニーズ。

環境と時間は生物としての新しい価値観を育みます。新たな用途が生まれる源です。

その上で造形者側は情熱を持って試みる期間、目標を成すべく機転の選択をします。

「そうであったなら。」
「そうでなかったなら。」

二つの裁量し得た追求の結果が「美のカタチです。」

ステップに向けて見合った素材や労力は、活動範囲で意欲的に探索、発見、収集、実践されます。

そして、造形者のコミュニティに有益な結果は「営み」へと浸透し、衣食住に根付いて遂には習慣となれば、その時代文明の美的慣性の色が現れて、良きも悪きも「美のカタチ」が、歴史的には刻まれます。

さて、この形成経緯によって「美のカタチ」は其々過去の集積の産物だと分かります。

現在も私達の概念や凡ゆる生活習慣は生きて感知できる範囲の過去の寄せ集めで成り立っています。

理想を現実にすると言った、未来に対して捉え方も、私達は次々と過去のデータから未来を迎えているとすれば、求める「美のカタチ」は決して未来から降臨するモノでは無く、時間は未来へ流れても造形は未来性とは明確に断絶しているのだと言えます。

何故なら、未来の為の造形表現でも、新しく生まれた瞬間から過去のモノだと言えませんか?

単純に充分な人足となるには、子供から大人へと成長する歳月と環境が整うのを待つだけでも、人である以上モノを作成するのには時を要します。

また、この為にも衣食住の充実は重要で、外気の寒暖や雨風を避け、火を囲み、飢えと災害からコミュニティを守る為に、落ち着いて経験の思考をまとめる時間を得る必要があるのです。

特に造形にとって住環境は大切です。
安定した大屋根があってこそ、思考時間の確保に繋がり、目的の為の道具や技法の工夫など循環的に発達します。美術全般の発展の素地であり文化の受皿と言えます。

それ故に洞窟住居が簡素でも、各建築様式には各時代の人のサイズに見合った、創作のイデアが詰まっているのなら、

古代〜現代の造形性も建築から考察するのが良いと考えます。

では、はじめましょう。

建築材として、岩石や樹木は何処にでも有り、入手し易く加工も出来る、人類普遍の万能素材です。

近年では世界最古の神殿跡とされるギョべクリ・テペ遺跡発掘など注目があり、スフィンクスの制作年代も大きく遡ると言う研究や、人類最古級の絵画が洞窟壁画だったりと、数万年前からの技を今に認識できるほど、特に岩石の積み上げやモニュメントは相当な歳月残ります。

ただ、これら古代の造形の多くは天文学的や祭壇などシンボル的な形跡や文献などで目的が分かれば手掛かりになりますが、用途はほぼ不明です。

これは先に申しました、単に古いからではありません。あらゆる「美のカタチ」が、出来た時点で未来性とは断絶してい為に造形としての姿があっても、完成時の元々の意図は風化し、必要性は途絶えて不要化している為です。

では、当時の人々は姿だけでも後世に残せる事を考えてこうも頑丈に作ったのでしょうか?

この点は確かに工法や設備において、当事者や担い手の意識や情熱は、将来に残す方に向いている様です。

言わば「モノに未来は無いのにも関わらず、イデアには未来が宿る状態」です。

この相対するギャップを如何に繋げるかが造形の存在感、つまり人類美術のクオリティを読み解く鍵となります

かねてより人工物は人類の思考表現がそもそも反自然的だから自然物にはなり得ないと申して来ました。だからこそ人類は存続の為に将来に知恵を絞る定めなのだとも。

それを踏まえて、その鍵を言葉で表すと「信仰」です。

実は人類の創造物は信仰が無くば理想が立てれず「カタチ」を表現できないのです。

(補足ですがこの信仰とは宗教のみを指しません。宗教以前に誰しも生きる上で何かしら信心を持ちます。宗教も美のカタチの一つです。無宗教の人なら無宗教を美のカタチとして信仰するでしょう)

同時に保存も伝統もそうです。

建物ならメンテナンスは完成当初からずっと必要なのは分かりきっていますし、後世に用途を変えられる事は良くあります。

例えばあの大ピラミッドは何の機能を持たせる為の大スケールでしょうか?

何処に維持が永劫できる根拠があって、古の権力者や当事者は限られた寿命の中で、未来へ向けて己が美的感覚を威厳に振舞ったのでしょうか?

理想を成そうと、過去と未来の間での発露できる動機こそ、唯一往時の現在進行形であり、ありのままの文化の様子を反映するバロメーターとなります。

なので信仰が文明のクオリティレベルだと美術人類史では考えます。

様々なエジプト文明の謎は、考古学術の解明を待つとして、高度な信仰意識が支えたのは明確です。

「モノで未来は作れない未来をどうモノで表現するか。若しくはしたか。」

つまりピラミッドなら、あの造形の必要が、その時代に確かに「在るべき」将来への表現だったのです。

すると、例えば後世に意図が薄れ、新たなニーズで活用法を変える。新規建設する、設備増築する、廃棄する、滅亡するにしても、その時代の文化として語れます。

住まいの安定した人々が子々孫々と思想熟慮できる事です。ピラミッド然り残された構造物は、人間の意図による信仰と理念を反映したカタチです。どんなに手間がかかりそうな事でも人類に出来た範囲の事だと考えます。

次回は、より建築から古代の造形論を深めたいと思います。

「存在を読む(後編)」に続きます。
ご拝読ありがとうございました。

                                 日本画家 戸倉英雄

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