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《美術人類史.Ⅴ》 存在を読む(後編)

地球史の僅かなの一時に私達人類は、当初数万程の人口の猿人から、旧人、原人、新人の速さで進化しつつ世界中に拡散し、生物生態系を脱して、今や70億の地球人社会を構築しています。

これは人類には何百万年間の悠久の歳月を、脈打つような地球変動を乗り越え、環境に適応しながら脳知能を発達させ、子々孫々と種の存亡かけた膨大な思考と知恵の時を歩んだ証なのでしょう。

調査で確認される最古の人類化石は700万年前の猿人です。最古の造形はおよそ300万年前の打製石器が発見されています。これは日本列島が形成された始めた時期です。

100万年前以降に活躍する旧人ネアンデルタール人、新人クロマニョン人の遺構発掘では、戦傷の療養や葬儀など営みが調査され、文明初期の人類の生活様式に根付いた美術造形にも、人らしい感情や信仰面を反映した「美のカタチ」が十分認められます。

例えば絵画の最古例は南アフリカの洞窟で凡そ7万年前に描かれた痕跡のある石片が見つかり、インドネシアの洞窟では4万年の動物を描写した壁画など多数見つかっています。

彫刻の最古例は10万年前の抽象な甲骨線刻が、具象には4万年前の女性像が見つかっています。

陶器なら2万年前の最古例が中国で、日本でも1万2000年前の土器片が見つかっています。

それらを彩る顔料はどれもカーボン黒や白亜土や酸化鉄の赤土や黄土など入手し易く質素である事からも、長年をかけて世界へ拡散していますが、世代的には限られた生活圏が伺えます。

特にフランスのラスコー壁画は2万年前に石灰岩の洞窟に描かれた為、自然に滲み出た石灰質が徐々に顔料を閉じ込めクリスタル化し保存された貴重なケースで、色彩も筆致も鮮やかに、洞窟内の起伏を構図に利用し動物の立体感を表現すると言う熟練の工夫まで見て取れますが、これは凹凸の印影が動物や何かに見える事はあっても、それを実際画面に封じる発想は突如出来る術では無く、そもそも顔料を支持体に定着させる手法もそれなりに難しく技法が以前から成立している事が分かります。然るに美術の造形は常に生活の最重要ではないところだからこそ価値を発揮するので、この壁画だけが突出して技法豊かな訳で無いのと、この様な発想がコミュニティの衣食住の営みがある程度安定した上での動機を物語ります。

恐らく日常から木板や動物革など劣化素材へも立派に描く習慣があった筈ですが、ラスコー洞窟の様に忘却された閉鎖空間と自然条件が余程揃わないと実物は残らないでしょうから、「 洞窟に絵画を施す理由」をテキストに「 古代造形の存在」の見方を解いてみたいと思います。

では早速、洞窟環境のメリットを考えます。

手頃な洞窟が上手く有れば始まります。恐らく平地より一族をまとめ易く、外敵に目だ立たず、火で照明と室温をコントロールできて、昼夜や気候にそれほど左右されず、住居以外に祭場や観測、備蓄庫や避難所など目的の施設として崩壊の危険を除けば長期活用でき、外で安定する大屋根を基礎から建設する労力が不要なのは、少数なら大工負担の軽減は大きい差かも知れません。その分コミュニティが拡大し辛いデメリットがありますが、もし水脈や資源があれば、平地に集落を構えれる文化があっても放棄せず、代々維持しておきたい大切な場所、信仰の聖地となるでしょう。

そうなると洞窟絵画その物は、物件所有を意識した装飾。つまり民族的内装だと考えるのが妥当です。

装飾性は色彩を通した他の生物でも求愛行動の本能一つですが、人類にとってはその根本以上に、モノの所有を通して自己顕示、権威を欲した「美のカタチ」の現れです。

男女の違いこそあれ、それぞれの容姿や生理現象が単一な人類にとって、簡単なアイテム一つからでも、視覚第一にシンボリックな意味を意匠に求めるのは他人と生き栄える為の知能です。擬態や変装も自分を守る意味で同じで、個体間や血統間のコミュニケーション、やがては民族の存続に繋がる、強弱以上に重要な知恵なので、故に古代に受容されるデザインモチーフはどれも生活に結びついており、当然ながら洞窟の様に閉塞的で暗く静かな環境に長く住めば、 衣装や器、入れ墨だったりと、小さな文様一つにも、内向性シャーマニズムの精神が自ずと帯びつつ、新しいアイテムや機能開発と合わせて、デザインファッション性に取り入れる工夫も伝統的に高まって行きます。

おおよそ壁画の内容も狩猟対象の動物はじめ、男女や身体に関する図像や、生死、天文、気候、祭祀、戦など、民族が積み上げた観想が視覚できる様に、日記的な記録場面で飾ります。まだ短い平均寿命ならその分逸話と図像で次世代に伝えれるのも有意義です。

例えば狩猟は生きる為の格闘です。画で獲物のリストや急所を示したかも知れません。それでも供給したい願望が上手く叶わない事も多い筈です。そうなったら誰の責任でしょうか?大自然でしょうか? いえ自然は寧ろ非情を与える側です。

そこで恐れの対象から恩恵を受けるには、一丸となって立ち向かう結束意識、自然を崇拝してなだめる理由を精霊的な信仰を深めモチベーションを養う意味でも、こうした対象の性格や特徴を観察し、描き手も十分理解し構築して意味を発信しているので、対象のどこをどう着目したか面積や比率に強調的に表れます。

制作は継続して空間埋めるのに適した上下左右に拡張性を持った画面構成ですが、祭壇や見え方の映える場所には後からでも重ね描きをしています。棒の先にカーボンを挟みフォルムをとって、時には洞窟のメンテナンスでも足場は必要でしょう。画面の上部が向こう下部が手前だったり、中部を含めた安定性ある三段構成で、対象を主眼で平行目線の横か正面シルエットで明快に扱います。

それは一見は子供が自然と最初に描き始める様ですが、動物達の動きに対して洞察眼が余程良いのと、死体を横にした記憶観察を経験者の成人がつぶさに描いています。

火灯が頼りの薄暗い洞窟では影も揺らぎ、意図したシルエットが実に幻想的に恐ろしくも生々しく、都度完成する度に浮かび上がったでしょう。

次に私達に何を示しているか分からない抽象図柄だとしても、分かり難く悩ましい視点や感情を読み取らせる様な飽和的芸術性はありません。

ただ身の回りの無機物に対しての固定観察は正気が無い為か十分な表現に至りません。子供の絵の不明瞭な点にこれは何?と聞くと大抵答えは定まっています。同じく当事者達にしか分からない程度に記号的でも充分な扱いになっているだけです。

ところで、この記号的な解釈は、後に段々とコミュニティが広がるにつれ、古代文字化であったり、数であったり何かしら伝達効率の必要性に迫られる要素です。この時が意外にも原始的信仰文化としては一つの到達点を迎え、封建的信仰文化へと移ろう転換期となりますが、ここからは次回の考察の領域にしたい思います。

この様に洞窟壁画を始め、その他の古代造形の着眼点は何万何千年と長い期間をかけて、他者や他族との差別の主張と自尊を「美のカタチ」をモノで試みた知恵にあります。そこに種の存続の糧となる存在を観て厚く信奉したからです。

次回は「見えざる美の誤算」にて、創造性の逆転ついて考察します。

ご通読頂きありがとうございました。

日本画家 戸倉英雄

*美術人類史造形論

目に見えるモノやカタチ、目に見えざるモノやカタチ。

見えるものは過去で、見えざるものは将来。

モノやカタチに未来無く、イデアに未来が宿る、

モーションこそ確かな現在。

造形は造形者の動機こそに全ての文化影響が一点に集まると見るのが美術人類史の注目点です。温床があって気泡の様な例え未完にも人類史的価値があるなら看過できません。今後もどうしてそうするのか?動機を基準に追って行きたいと思います。ここが美術作品から辿る美術史と違うところと明記します。


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