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《美術人類史 .Ⅲ》 美と生死と帰着

人は知能表現を得て以来、森羅万象の観測できる範囲の事象を認知すると、対象へ自ずと意義や意味を与え人工物(不完結の性質)として解釈して来ました。対象がその内容で人にとって在り続ける為には、差異ある人々の思考の同調の継続を要すとし、それら定義が一定以上瓦解しない様、方向性とモチベーションを促す、文化の根底的役割を「美の使命」として、互いの思考を効率良く認識できる翻訳ツールが「美術の使命」と述べてきました。

今回は、では瓦解の先に何があるか、言葉を返せば、私達は何故結束するのか?

その答えは先に申せば、即ち滅びと向き合う為と言えます。

人間の生身は環境に適応した自然物です。生を受け、取り巻く環境を活き、思考は私達の人生を彩り、個人が人間である事を支え、命運と共に尽きます。

この一生で私達の思考の表現においては自由であり、脱自然と脱完結の宇宙的特権と申しては来ましたが、世間の物事の価値観は、急な流行り廃りでなるものでは有りません。

世代を継いで呼吸の様に、新しい古い、新しい古いと吸って吐いてを繰り返し練られ、今に至ります。

私達が普段気に留めない当たり前と定着した様な価値観でも、ようやくの時を経て成り立っています。

ですから、人類の系譜となると、これも当たり前の様に文化も、陽と闇、寒と暖、陸に海など地球環境の移ろう中を、積んでは壊れ積むの循環構築が当てはまります。

この間の膨大な思考の労力は思えば分かります。この人類のサイクルパワーの源が「生と死」です。美の使命は生と死の表現も繋げます。カタチになるのが芸術、美術です。

美術人類史では、命の誕生と終わりは森羅万象の一つで完結していますが、特に私達の「死」に着目し、死も人工物で不完結だと捉えます。

(何故「生」が基準では無いのか、それは生は重要ですが、美を論じるにおいて、生は当事者が幼く、当事者より周囲の人々の思考表現となるからで、思考の死は殆どが成熟をして、当事者も思考表現できるからです。)

本来どんな生も無、どんな死も無であるにも関わらず、人が観測せねば、誰がその価値観をつけましょう。

ではさらに考察します。お付き合い下さい。

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