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《美術人類史.Ⅶ》 美の文化創造

日常の意思の伝達動作や、自然や神を敬える様な感情を、私達はどう体得したのでしょう?

基本言語や所作の殆どは、家族、友人、先生など身辺の関係や制度に育まれ、幼少から青年にかけて、自然に理解を重ねて発達すると言った具合でしょうか。

さて、これを知識優位の者から生きる知恵を補って共感している教育構造だと思えば、私達は普遍的に主従の人間関係があるから成長を遂げている事になります。

すると境遇は人それぞれですが、人類に共通した主従関係の学習効果の最たる一つに、私達は自己内外の行動基準となる、自らの動機をわきまえる平等心と、実践する対等心を学び培える事を挙げれるでしょう。

先に「平等と対等」の心理発達があるから「差別」にも基準ができます。

この話は人格形成の理でもあり、即ち人類造形の根源的な品格の起こし方です。

では、文化の品格とは? 美術人類史として考察します。

人類の意思は人数分の思考宇宙の展開なので常に移ろいます。新しい人為事象が波の様に押し寄せているが世間なので、どの一つの定義も、確実な弁証も、人為をまとめるわきまえでもあります。

一つの文化も同様に、発する人、受ける人の其々の思考スタンスがわきまえられると、上述の様に主従一体化した価値観として世に現れます。

「わきまえ」とは、一人称ではまだ文化とも呼べ無い一方で、現じた時には主従で別々の信念を枝を辿る宿命であり、まるで地球と月の様に主客で保つものの、何処か相容れない一体感の緊張バランスです。

一つの文化が根付き、継承される(何れ必ず滅するまでの時をなるべく稼ぐ)時は、必然的に主従の一体化現象となるので、いつの時代の一時の流行に終わるか、何世代も継続できるかの存続ポイントは、短い賛同より長い共感です。

特にリーダーや、先駆者の造形思想に「共感=わきまえ」でもって、当初からわきまえたイズムを強く内包させた、フラッグになる「示す美」の理念の構築がカタチとして最重要であり、これにより主従一体の型をもって、何らかの作用で受け手を知識欲求を高揚させ、感動を末広く伝播浸透させなくてはなりません。

次いでこの時、中核となるファンや生徒やパトロンなど受け手に方向性とテリトリーを保ち繋ぐ為、示される美に対し相当な誓いを束縛的に求めるところになります。(この脈絡の発端はゼロからでは無く、既存の事象へ疑問などが社会根底に既にあり、ほぼ対峙の活動表現となる特徴から、組織面や犠牲面も賛同では無く共感だからこそ成し得ます。)

しかし、一番に誓いの造形に求められる理想は、余程の魅力です。ここが難解な印象ではいけません。

分かりやすく、明快な完璧性を練って、驚きに応用を効かせ、それらを利便性で洗える(償却できる)美のカタチが求められます。

さて、これが所謂「洗練」されたイメージで、文化が初期に求める創造性の品格です。

この洗練に、前回に触れました「創造性の純度」が関係します。美術人類史では今後も文化の存続性を観る尺度となる考え方なので、

次回さらに踏まえながら、以降に具体的な美意識を例に挙げたいと思います。

そして人の寿命や環境変化によって、どうしても初期の構成は、精神思考の共感から崩れ行く運命です。すると無意識にも利便性が目立ち、この時はあたかも華やかですが、総じて退廃傾向の警鐘に陥ります。

それは人の思考宇宙の威厳誇示は常に沸々として甘くはなく、集団になるといよいよ思想の忖度もできません。既に何処かで受け継ぐにも新たな創造性の温床となります。まるで花の一生の様に輪廻する進化に言及して、この内容を結びたいと思います。

それではどうぞお楽しみに。

日本画家 戸倉英雄

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