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そして2020年、呼び出しを受けた不思議な話〔後編〕

※引き続き今回の投稿も、私に起こった真実ではあるけれど、目に見えない類の不思議な話になるので、そういうのが苦手な方は華麗にスルーしてください。

そして2020年、呼び出しを受けた不思議な話〔前編〕」からの続きです。

2020年2月の中旬、世の中がまだコロナ禍に入ってしまう前のお話。

出発の前日は季節外れの雪が降って本当に行けるのかという状況だったのだが、必ずたどり着けるという妙な確信もあり、一人故郷に向けて予定どおり車で出発した。当日朝の自宅付近は幻想的な深い霧の中だったが、途中から快晴となって、長時間のドライブも苦ではなかった。

車がダム湖に近づき、昔からあって見覚えのあるトンネルに差し掛かった時、車を運転している「自分」自身は思ってないような感情(感動のような)が突然湧き上がってきて自分の口が「連れてきてくれてありがとう」と言った。運転している当の本人が自らの口をついて出てきた言葉に驚いて「えっ、誰が言ってるの?」と混乱した。思えば、水没前も水没後も、一人きりで村を訪れるのは初めてだった。だから全ての意識を自らのためだけに終始使える初めての対峙の機会に、深いところが喜んだのだろう。

ダムの堤体がある場所に管理所があり、冬季期間であるその日はそこまでしか入れなかった(5月の雪解けの季節になればもう少し奥の会館や展望所(注:過去記事の”望郷広場”ではない)までは行けるのが通例)。
村全体の入り口あたりにある展望所にさえも行けなということは、私にとってみれば故郷と思える地点には1ミリも到達してない感覚なのだが、ダム湖の女神さんはそれでも今ここに来るようにと言ったのだ。
雪が少し残る山々を目に、冷たい風に吹かれ、ダム湖に向かって、心の中で「呼んでくれてありがとう」と伝え、神社でよくそうしているように名前や住所などを心の中で述べてしばらく佇んだ。当然、何が起こるわけでもなく、でもせっかくはるばるやって来たから立ち去り難くて、トンビが高いところで鳴く声を聴きながらしばらく車の中で居眠りをして、その場を十分に満喫してから、帰り道。

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物理的には特別何かが起こったわけではなかったけれど、明らかに何か、来る前とは心持ちが変わったのを感じた。

「新しくつながり直した」感覚があった。以前住人だった当時からの延長線のつながりではなくて、改めて、その場と全く新しく深いつながりをもった不思議な感じだった。立春前夜のお告げの時、女神さんは(私の)子宮とダム湖のイメージを重ねて見せてくれていたけれど、それがまたよぎり、もしかしてこの意味というのは、今回は「産まれ直し」に来たという意味かな?という深読みをしてみたりした。

一方で、実家に帰って充電した、みたいなスッキリとした感じもものすごくあった。
以前一旦「あのダム湖の場所にもう私の故郷はない」みたいに感じたことをこのnoteでも実際書いたし、今回訪ねた場所は自分の中では村のあった場所と認められない地点なのに、だ。親が暮らす今の実家に帰った時よりも、もっともっと深い癒しがあったなあという感覚があった。
この場所は、あの最後の時間を過ごした村の川(過去記事「川と体とのつながり」参照)で、私の自意識じゃない部分(=潜在意識?)が歓喜していた、その深い部分とのつながりの意味での故郷ということなのか。川のように流れてはいないけれど、この場所にたっぷりと貯まっている「水」の存在自体がそういう媒介となるのだろうか。
同記事の最後に『こうやって書きながら実はもっともっと大切な根源的なことが隠されているような気もしてきた。』と書いていたが、その”大切な根源的なこと”というのは今回のこの経験につながるのではないだろうか、とも思う。
話が少々ぶっとんでしまうと、あの私を包み込んでくれた川という存在も、すごく広い意味での『私』の一部なのではないか。川の水の流れや周りの環境との一体感を味わう夢のような体験だったと思い込んでいたが、そもそも、元々全部一体なのだ、ということだったのではないか、などとも思いを巡らせてしまうのである。
そういう意味で、自分の「一部」であるこの場所に意識を合わせたことでより精巧なチューニングにつながった、という感じか。
(あっ、これって過去記事「生きる(活きる)フィールド」の話にもじわっとつながりますね)
こういうことって誰かの特別な話ではなくて、人が本来みんな、何かしらの環境や対象物との関係性について、潜在意識の奥底に持っているはずの感覚なのだろうなという思いも自然にわいてくる。

自意識の外側から「連れてきてくれてありがとう」と発声した自分の深いところが、女神さんの姿を私に見せて、ここに連れて来た。普段「これが自分」と思い込んでいる私の顕在意識ではない「潜在意識」と言われるような、自覚はできない”私”自身が仕掛けた「自作自演」なのではないか。という仮説を立てて、”私”とは環境をも内包し、時間も超えて目に見えるもの・見えないもの含め広範囲に渡る複合体のことを言うのかもしれないとか思い至るのである。そして他の誰かの”私”たちとも実は深く深くにある大元で繋がっているのだろうという確かなイメージも湧いてきた。

黙々と車を運転する行為というのはいつも自分の内側とどっぷりと対話できる時間になるが、今回の帰り道はこうやってどこまでも気づきと考えが広がって行くひとときとなり、それが狂ってるのか真理なのかどうかみたいな客観的なことはどうでもよくて、極私的なとても幸せな体験となった。
そんなわけで、また再びこの場所との新しいつながり(過去の経験によって深い部分にインストールされた叡智を携えて「今」でつながる)を結べた、私にとっては第2章が始まったとでも表現したくなるような、とても意義深いエピソードとなったのだった。

その後まもなく、世界が未知のウィルスの影響で行動に大きな制限がかかって容易にどこかに出かけることができなくなりひたすら自分に向き合う時間が増えた体験をした後となっては、あの呼び出しのタイミングの絶妙さにうなるばかりだ。(あのくらいの分かりやすくインパクトある呼び出し方でないと、無精な私はさっと動けなかったと思う)

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余談。
その日私は今の実家に一泊した。事前には詳細もなく「単独でそちらに行く用事があるから泊めて」とだけ伝えてあったので、夕飯を一緒に食べながら母は心配そうな顔をして「一体どんな用事があってこっちに来たんや?」と尋ねてきた(笑)。
そりゃそうだ。なんでもない平日に、孫も一緒でない娘だけがいきなり実家に来るなんて、怪しくないわけがない。
「事前に伝えると妙な話で心配されるから事後報告にしたんやけど」と事の次第を正直に話したらやっぱり「はぁ?」という反応。同居している姉も同じような反応をした。
なのだが、呆れつつも「そんなこともあるもんなんだね、無事に行ってこれてよかったね」といった感じの受け止め方をしてくれた。
さすが、あの村で時間を過ごした家族だけあって不思議な話には免疫があるんだなあ、と妙に嬉しくなったのだった。(もしくは私の元来持っている唐突さに慣れてしまった、ということなのかもしれないが 汗)

そしてその翌朝から、遠征ついでに伊勢・熊野に回り道をして不思議な体験をさらに重ねることになった。この話はまた別の機会があれば。


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