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心の変化/「故郷」=「その場所」ではなかった

前回の投稿を書きながら、村の川との最後のやりとりの中で当時感じた幸福感を追体験していたら、意外にも心のつかえがすっと消えたようになって、すっかり筆が止まってしまった。
もともと、自分の中に焦げ付いてしまったよくわからない「執着」を観察・検証するためにはじめたブログなので、その焦げ付きがほぼ剥がれ落ちてしまった今、この書き綴りを続ける原動力となった重たいエネルギーはすっかり昇華してしまった感がある(自分でも、ものすごく予想外)。

めでたしめでたし・・・・・。

・・・というわけではなく、こういうテーマは一般的イメージとして、多少なりとも第三者に「ふるさとを失った悲劇」のように映ってしまう傾向がある話ではあるので、「私の場合はそういうこと(悲劇)ではなかったのです」ということはぜひ書き残してみたい。また、フラットに「場所」と「人のくらし」との関係について実体験を通じて考えていくために、ダム前後に感じていた私の正直な心の動きや、目に映った色々について、もう少し書き続けていってみたいと思う。

「故郷」=「その場所」ではなかった

ダム湛水が完了した当時に、元住民に対して「望郷広場」のお披露目会が企画され、招待された(「望郷広場」とは、各集落のあった場所の水没しない高い場所にダム建設時に作られた広場の名称。東屋と記念碑がたっている)。私は当時遠く離れた都市部に住んでいたが、予定と交通費をやりくりして両親と一緒に参加させてもらうことになった。

村の8集落を流れる2つの川が合流する、本流の村入り口近くに、ダム湖が見渡せる展望所や会館(誰でもいつでも訪問できる)があって、私たちの集落に行くにはそこから船に乗ってダム湖を分け入っていく必要がある。船着き場に集まった参加者は久しぶりの再会に喜んで、その一団は楽しげな空気に満ちていた。県内の何箇所かに作られた集団移転地や個人で探した地に各家庭が希望に合わせ土地を買って引っ越し、住人はバラバラになっていたから、集落の単位で一堂に会することはほぼないからだ。

思い出話をしたりしながら「久しぶりに村に帰れるなあ」と口々に喜び船が進む。
車で20分以上かかった距離なのに、船を使って直線的に進むと意外に近く、皆の距離感が少し混乱する。「まもなく望郷広場に上陸します」という説明に「えっ、このへんかうちの集落は?」となった。
実際に行って分かったのは、とにかく自分たちが故郷として胸に抱くものはみーんな水の底に沈んでしまったということだ。「ここが皆さんの集落ですよ」と説明を受けても、人々が毎日土と共に生き、見ていた風景は”全く”そこにはなかった。
自分たちが立っているその「望郷広場」は、かつて村で大切にしていた神社があり「上ん山」と呼ばれ昔ばなしにも度々登場する山の高いところに作られた。多くの人が初めての視点で村を見下ろしたことになる。

集落のおじさんおばさんたちは、対岸に広がる山々の稜線の形をたよりに、かつて田仕事に通っていた場所はあのあたりか、うーん、どうやろ、と確認しあったりするのがせいぜいで、最初にワクワクウキウキしていた空気はすっかり曇ってしまった。
その後は、その場所を味わうというより、お互いに話をすることで、集まったかつての隣人たちの中にある「記憶の中の村」をお互いに発掘しあって懐かしみ喜ぶような時間を皆が過ごしていた。

その場所にいられたのは小一時間ほどであっただろうか。帰りの船に乗船するときにおじさんたちは「まあ(もう)ここには来んやろなあ」「来てもなんも分からんでなあ」と諦めにも似た会話をし、「またマメで(元気で)会おうなあ」と再会の約束をしていた。
自分の生きていた地点に立って、そこに生きている農作物や野草や生き物や微生物や木々や、色々なものと五感を通してやりとりしないと「故郷に帰ってきた」ことになならないのだなあと、大人になった私は知った。それをできなければ故郷との繋がりは全く感じられない。
そうなると故郷として残っているのは、そこに過ごしていた私たち自身の身体の中に刻み込まれた記憶だけということになる。

子供の頃、私が物心つくと、集落を取り囲む山の高い場所に、赤と白の看板が立てられ、親に「あれは水没線らしいど」と教えてもらった。ダムに湛水されたときの満水時のラインを示すらしい。

その印の設置された場所のあまりの高さに、村の小さな川の水がどれほど貯まればあそこまで貯まるんだろう、とその途方もなさに気が遠くなりそうだった。実際に自分がそのダム湖の底にいるようなイメージを受かべ空を見上げたりしたが、抜けるような青い空の下で「まさか、そんなことほんとにあるんか」と、子供の頭では信じられないばかりだった。
大人になった私が望郷広場から村のあった場所を見下ろすと、湖面には青空が一面に写っていた。水面には、うっかり落ちてしまったカメムシが不器用に手足を動かして浮かんでいた。
同じカメムシがふわふわと青い空に不器用に飛ぶ様を、あの「まさかね」と思いながら上を見上げていた小さな私が湖底から見ているイメージを湧き上がらせ、時空を超えて私同士、視線が合うような妄想を抱いた。

今年の長い長いGW、久しぶりに「望郷広場」にもう一度行きたいという思いは叶わなかったが、数日だけ実家に帰省した。その際に家族に「望郷広場にはもう行けんのやって」と残念そうに伝えた。しかし、家族は「ふーん、まあしょうがないよね」という全然興味のなさそうな淡白な反応をした。
前回の投稿記事を書く中で自分の中の故郷と濃厚に再会してしまった私自身も、この話題を家族に悔しそう話す自分に内心違和感を覚えたことで、その場所自体(今では「望郷広場」)=「故郷」ではないと、あらためて納得し、家族のその反応をも理解できたのであった。

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