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課題を持つ幸せ

こんにちは、トクです。本日もお読み頂きありがとうございます。

今日は、うつ病でも感じられる「幸せ」の第6回目になります。今回は「課題を持つ幸せ」について書いてみたいと思います。

課題を持つ幸せ?って思いますか?学生時代なんかは、課題なんてない方が良い。そんなふうに思っていた方も多いと思います。私もその内の1人です。

ところで、人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなものだと言ったのは徳川家康だったと思います。

人は皆、それぞれの重荷を背負って生まれて来るのかも知れません。以前にも度々書いていますが、私の元上司1人と、先輩2人の合わせて3人が、自殺してしまいました。

3人とも、とっても良い人だったんですが・・・。善き人は早く逝くでしょうか。人が良いばかりに、背負わなくても良いものを背負ってしまったのかもしれません。

私自身も自殺未遂してるから、偉そうなことは言えないんですが・・・。

自殺だけは絶対にいけないと思います。

自殺した方はもちろん、周りの人間までも不幸にしますから。自殺をするというとは、自分で自分に与えた課題を途中で投げ出すことだと思います。

人は皆誰でも、生まれる前に、今回の人生での課題を持って生まれて来ると信じています。今回の人生では、この課題をクリアしょうとして生まれてきたのに、途中で投げ出してしまったら・・・。

次に生まれ変わっても、同じ課題を与えられることになる。いや、もっと難しい課題を持たされることになるかもしれないですね。

人それぞれに持って来る課題は違うでしょうが、課題をクリアするのが目的であることには変わりありません。

私の場合、今回の人生の課題は、うつ病だと思います。うつ病とどう付き合って生きるか?または、うつ病の経験をどう生かすかが、私に与えられた課題だと思っています。

自分に解けない課題は、絶対に持ってこないような仕組みになっているようですから、途中で投げ出さないことが肝心です。

また、課題が解けないうちに、寿命が尽きることもないらしいです。逆に課題が解けない間は、生き続けなければならないのかもしれません。

そうすると、長生きする人は、課題が解けていない人。

そういうことになるのかも・・・。

介護士という職業がら、長生きする人をたくさん見てきていますが、共通することは、皆さんワガママだという点です。

人生の先輩に対して失礼な言い方になりますが、やっぱり長生きする人にワガママな人は多いと思います。

この方達はワガママが直るまで生き続けるのでしょうか?

話が少し逸れてしまいましたが、私の今世の課題のうつ病とは、少しだけですが、友達付き合いができるようになって来ました。

この世が学びの場で、各自が課題を持って生まれてくるとしたなら、身体的なハンデや精神疾患を持っている人達は、きっと、高度に難解な課題を持って来ているんだと思います。

繰り返しますけど、どんなに高度で難解な課題でも、自分に解けない課題は、持って来てはいないってことです。

私は自分自身にそう言い聞かせています。

この世は、魂的に幼稚園児から、大学院生までが、ごちゃ混ぜになって生きてる世界。

だから、余計に生きづらいんですよね。

ちゃんとクラス分けされていれば良いんですけど、そういうわけにはいかないみたいなんですね。

私の年齢を考えると、人生の折り返し地点はとうに過ぎたと思います。他人はさて置き、自分で自分に課した課題だけはやり遂げてからあの世に帰ろうと思います。

次の人生で、今回の人生のやり直しをさせられないように。次の人生では別の課題に取り組んで、着実に進歩の階段を上がれるように。

そう考える今日この頃です。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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