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人生は思いどおりならないからこそ有り難い


こんにちはトクです。本日もお読み頂きありがとうございます。

今日は「人生とは思いどおりならないからこそ有り難い」をお題に書いてみたいと思います。

貧弱な知識と想像力で書くので、おかしな点が多々あるかもしれません。

「コレって違うじゃない?」とか「これは明らかに間違っている」という点があったらご了承ください。

また、色々なご意見のコメントを頂ければとても嬉しいです。

人生って本当に思いどおりにはいかないと思います。


思いどおりにならないことだらけです。


私にしたら、何も好き好んで、うつ病を10年以上も苦しだ訳ではありません。


ところが人生とは「思いどおりにならない」。そういうものなのです。


仏教の教えに有名な四苦八苦がありますね。


八苦の方はとりあえず置いておいて、四苦の方を見てみますね。


あまりにも有名なので説明は不要かもしれませんが一応書いておきますね。


四苦とは、生老病死。


〇生きること・生まれること


〇老いること


〇病を得ること


〇死ぬこと


この四苦の「苦」を「苦しみ」と捉えると本当に人生は苦しみに満ちたもの。


そんな風に思えてしまい、いったい生きている意味があるのか・・・。とため息が出てしまいます。


ところがこの「苦」ですが元々のパーリー語では「ドゥッカ」と言い「思いどおりならない」とか「ままならない」という意味があるそうです。


そうすると、「生きることは苦しみである」。ではなく、「生きることはままならない」となりますよね。


生きることは苦しみであると、言われるよりも生きることは思いどおりならない、あるいはままならないと言われたほうが救われる気がします。


ですから私は、四苦とは「4つの苦しみ」ではなく「4つのままならないこと」そう解釈します。


生きることも、老いることも病になることも死ぬことも、すべて自分の思いどおりにはなりません。


もっとも、スピリチュアルの世界一では、すべては必然であり生まれることも、どのような人生を送るのかも生まれる前に計画をしてくる。そう言われていますね。


病を得ることさえ、計画に入っているようです。


私は33歳の時に難治性うつ病を発しよしたのですが、これもこの時に難治性うつ病になることを計画していたのかもしれません。


あるいは、自分の計画していた人生から外れた生き方をしていたので、其れを気づかせる為に難治性うつ病になったとも考えられます。


仏教的に言うと「生きることはままならない」

。スピリチュアル的に言うと「生きることはすべて計画どおり、すべては上手く行っている」です。


これはどちらかが正解でどちらが間違っているといった類いのものでないと思います。


仏教的にもスピリチュアル的にも結局は同じことを言っている。そう思うのです。


ただ視点が違うだけ。


私達の本質は魂です。そして魂は「大いなる存在」の一部でもあります。


私達はいつか必ず死んで「大いなる存在」の元に帰ります。


人間の死亡率は100%なのですから。


そして「大いなる存在」の元ではすべてのことが瞬時に叶うのです。


〇〇が欲しいと、思えば〇〇が現れるし、△△に行きたいと思えば△△に瞬間移動します。


つまり、すべてのことが思いどおりになってしまう世界。それが「大いなる存在」の世界なのです。


しかし、そのすべてが思いどおりになる世界では魂が進化・成長期するのには適していないようです。


「大いなる存在」の願いは魂の進化・成長です。


私達人間は、いや人間以外のすべての生命あるものは魂を進化・成長させる為にこの3次元の物質世界に生まれて来るのです。


魂を進化・成長させる為には「思いどおりならない」、「思うままにならない」そういう体験が必要なのです。


ですから、人生が思いどおりにならないことは当たり前なのです。

つまり、人生のすべての思いどおりになるのならば、この3次元の世界に生まれて来た意味が無いことになりますね。


と、ここまで書いて来てもうひとつ別の考え方も浮かんできました。


それは、私達は魂の進化・成長のために生まれて来るのではなく「思いどおりならない」「思うままにならない」ことを楽しむ為に生まれて来たと、いう考え方です。


「大いなる存在」の世界ですべてが思いどおりならないなってしまうことは、とても退屈なもののようです。


この3次元世界でもそうですよね。


きっとすべてのことが自分の思いどおりになってしまったなら。


最初のうちは楽しくて仕方ないでしょうが、それがずっと続くというのは、それはそれで退屈この上ないのかもしれません。


まあ、退屈に感じられるほど、すべてが思いどおりになる体験をしてみたい気もしますが。


話をまとめてみますね。


仏教的に言うと「人生はままならない」。スピリチュアル的に言うと「人生は計画どおりに行っている」。


真逆なことを言っているようにもみえますが、

スピリチュアル的には「ままならない人生を経験する為に生まれて来る」ので、やはり「人生とはままならないもの」だという点で一致すると思うのです。


ですから「ままならない人生」を送ることが出来ることは、実はとても有り難いことなのです。


とまぁ、ここまで貧弱な知識と想像力で書いてみました。


このブログの他の記事にも書きましたが、私は仏教を勉強した訳でもなく、スピリチュアルな体験をした訳ではありません。


ですから、お読み頂いて、これはおかしいんじゃない」とか「コレは間違っているよ」と思われることもあるかと思います。


その点はご了承ください。


もしも何かコメントを頂ければとても嬉しいです。


それでは最後までお読み頂きありがとうございます。


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