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生活の隙間の優しさ

空を見上げることが増えた。空にある思い出とか弱さとか綺麗なものに感情移入する時間がとてもたまらなく好きだ。

イヤホンで爆音の音楽を聴くとつよい気持ちになるれど、やっぱり下りの階段を上ってくる人のことはよけてしまう。
ちょうどいいが一緒じゃないとちょうどよくないのだ。


知らないおじさんに胸を触られた日も、好きな人に振られた日も私は変わらない顔で変わらない日を過ごそうと思っていた。

何も言わないければ、誰にもわかることは無い。

言葉でしか、感情を伝えられないなら音楽はこんなに発展してないって誰かが言っていた。

わたしの言葉は受け売りばかりだ。


結局自分だ。という話をしたら、友だちに深く感動されたのだけれど。
別に誰でも言っているような一般論のうちにすぎないような内容だったのに、私がとても偉い人のような反応をされてむず痒かった。全部受け売りなのに。

私たちは、赤ちゃんの頃から周りから受け取ったものを吸収して成長してきた。自分の中から生まれたものなど、なにもないのかもしれない。
オリジナルなんてことば、ないのに存在するのが、永遠みたいで不思議だ。

電車で隣の人が隣の人のコナンをガン見しているのをガン見していた。


またみんなが靖子ちゃんの話をしている。大森靖子は信者ばかりだと言われているけれど、私は靖子ちゃんが何をしていても結局靖子ちゃんに救われた真実は変わらないので、ずっと好きでいたいと改めて思った。

生活の変わり目の中で取りこぼしたものは何だろう。
私はマメさや、丁寧さを、過去に置いてきてしまった気がする。

また生活が始まる

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