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谷崎潤一郎『卍』の感想

谷崎潤一郎の『卍』を読んだのでその感想を書いていこうと思う。

この小説はとある美術学校に通っている2人の女性の恋愛の様子が描かれる内容となっている。つまりは女性2人の同性愛だ。しかも片方は夫がいるという若干倫理的に危うい設定。戦前にこのような内容を書くというのはなかなか攻めた趣向である。この時代にこの内容がどのように受容されたのかはわからないがそのあたりも調べてみると面白いかもしれない(本作に限らず、谷崎潤一郎の作品がどう受け入れられてきたのかは非常に気になるところ)。

同性愛と言いつつもプラトニックな関係性が描かれるというわけではなく結構生々しい人間模様が描かれる。主人公園子の関西弁で物語は語られるが、その語りすら本当なのかがわからないし、園子の語りの中で出てくる光子や光子の恋人綿貫の話もどこまで本当なのかがわからないという、何を信じたらいいのか最後まで読んでも不明という錯綜した内容である。

その誰がどこまで本当のことを言っているかわからないという部分がミステリーとなって面白さを作り出している面もあるが、どちらかというと光子という女性の人を引き付ける力の怖さが中心に描かれているような気がする。

そういう意味で伊藤潤二漫画の『富江』を思い出した。『卍』の場合は同性愛という側面もあるので『富江』とは違う部分もあるかもしれないが、女性の謎の魅力に惹きつけられて操られる感じが似ていると思う。『卍』では最後に園子の夫も光子の魅力に溺れてしまうという展開になるため、そういった超展開も伊藤潤二っぽいなと思った。惹きつけられる魅力を誇張して象徴的に描いている点が似ていると思う。

ただ『卍』の場合は、ラストに園子だけが生き残るというのが意味深な終わり方だとは思った。語り部が園子である以上、やっぱり自分に都合のいいように話しているという側面もあるのかもしれない。そのあたりについては1度読んだだけでは拾いきれなかったので確認するために再度読む必要があるが、正直そこまでハマりきれなかった気もするので読むのは相当先になりそうである。

ハマれない理由として園子と光子の関係性があまり良いものと思えなかったというのがあったと思う。自分は百合漫画なども読むが、百合カップルの関係性が良かったりしてそういった点で微笑ましいと思える場合がある。それだけが百合漫画の魅力ではないと思うが、キャラクターを好きになれるかというのは百合漫画を楽しむうえで重要なポイントだと思う。そして『卍』の場合はキャラを好きになれなかったような気がする。

この小説の場合、地の文の語りすらも園子の関西弁語りなので、悪い意味で妙にリアルというか生活感が出すぎている。それゆえに創作物の関係性として素直に受容できなかったのかもしれない。

生活感が出すぎているということに若干の忌避感や楽しめないという感情を持ってしまうというのは漂白された綺麗なキャラクターに慣れ過ぎている現代人の自分の問題もあるかもしれないが、そう思ってしまうのは仕方がない。

なので恋愛ものとしての楽しみ方というよりは伊藤潤二的ホラー兼サスペンスとして楽しんだという感じである。園子の話が本当かはわからないが、彼女が語る疑心暗鬼の心理は非常にリアルでそれぞれの証言が食い違う様子は映画の『羅生門』を思い出した。ハマれないとは言いつつもそういった観点では面白かったと思う。

谷崎潤一郎は他にも積読本があるのでちょっとずつ消化していきたいと思っている。あまり作品を読んではいないが結構好きな作家かもしれない(現時点だと『細雪』が一番面白かった)。

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