見出し画像

『千年女優』の感想、追う者と追われる対象というモチーフについて(2023年5月3日の日記)

何度か観ている『千年女優』を久々に観た。以前観たときはラストの千代子のセリフから千代子の気持ちだけしか追えなかったが今回はそれ以外の文脈にも気づけた気がする。

この映画では千代子が謎の男を追いかけるというのが主題となっている。以前はそれだけを認識していた。しかし「追いかける人」と「追いかけられる対象」というモチーフは本作に他にも登場する。千代子のファンで千代子に取材をする立花源也も千代子を追う人であり千代子自身は追われる側という構造になっている。他にも宇宙を追い求めるということ自体が宇宙開発というものを追っているという見方もできる。

本作で出てくる追う者と追われる対象を列挙すると以下になる。

・千代子→謎の男
・立花→千代子
・今の千代子→過去の千代子
・鍵の男→理想の思想
・千代子→女優業
・詠子→千代子(若さを妬んで追っているということ)
・鍵の男→満月の前の月

このように追う者と追われる対象というモチーフは作中に複数見いだせると思う。そしてこのモチーフがそれぞれ描かれることによりこの作品に通底する思想が垣間見えてくるような気がする。それは追う者の心理と追われる対象にありがちなミステリアスで不透明な性質である。追われる対象は鍵の男のようにミステリアスさを醸し出しながらどこか不完全なところがある。そういった空白が感じ取れるからこそ追ってしまうという心理が生まれる。本作でも現実でも何かを追う人は追われる対象に似たような心理を抱えているように思える。本作ではそれを暗に描いているのではないかと思う。

そして最後の「だって私あの人を追いかけている私が好きなんだもの」というセリフでその根底的な心理を端的に表している。これは追う者は全てこういった心理を抱えているんじゃないかという今敏の問題提起に見える。

ここだけ抜き取ると追うこと自体を批判しているように見える面もあるが自分は単純にそうではないと思う。一面的にはそういったエゴ的な側面を批判しつつも、それを肯定する側面も作中にはあるように感じた。厳密に言えば肯定というより老婆のセリフにあるように逃れられなさがあるのだ。

そういった文脈でこの映画を見ると面白い。見るたびになにかしら解釈が増えるのであっているかはともかくとしてこの文脈を作り出せる今敏はやっぱり凄い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?