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『安達としまむら』におけるしまむらの淡白な良さについて語る

長らく積んでいた『安達としまむら』の4巻を読んだ。安達がワタワタと慌てる展開でそのうぶな感じが非常に良かった。

読んでる最中にしまむらの魅力について考えたことがあったので、今回はそれについて書いていきたいと思う。

しまむらは安達のしたいことを軽く不平を言いつつも基本的には叶えてくれることが多い。安達が家に泊まりたいと言えば泊まらせてくれるし、膝の中で甘えさせてほしいと態度で示せば甘えさせてくれるという包容力を持つ。なんでも受け入れてくれる性格をしているわけである。

そして自分がしまむらというキャラクターの面白いと思うところはしまむらの何を考えているかわからない点である。安達の視点においてもしまむらの視点においても、しまむらの安達に対しての想いは好意的でも否定的でもなくただ淡白に「しょうがないなぁ」という感じで描かれている。

この淡泊さが安達がしまむらに惹かれる原因だと思う。「自分のことを特別好意的に思っていてくれるかもしれないという可能性」と「自分のことを気持ち悪いと思っているかもしれないという可能性」の両方が安達視点からは考えられ、そのわからなさが安達から見たしまむらの魅力になっているんだと思う。

しまむらは表面上包容力がありつつも淡白だからこそ気持ちがわからない。そんな危うさに安達は気を引きたくなり惹かれているんじゃないかと思う。

このしまむらのような距離感を持つ人ってリアルでもいるような気がする。リアルだと同性でこういった例は少ないと思うけど、淡白なのにある程度なんでも受け入れてくれる人はたまにいる。そういう人と接するとその優しさに甘えつつも「本当のところはどう思っているんだろう……?」という不安でその人のことが気になってしまうという心理がある気がする。

作者はそういう危うさを兼ね備えたキャラクターを描くという意図のもと、しまむらを描いているんじゃないかと予想している。的外れかもしれないけど自分はどうしてもそう思ってしまうのでしまむらというキャラが面白いと思うしそれが本作に惹かれる理由でもある。

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