若い頃に星新一を読んでる人に憧れる

謎の憧れについて語ろうと思う。タイトルの通り若い頃に星新一を読んでいる人に憧れるというやつである。

星新一と言えばショートショートの神様と言われている存在だ。短い話の中にユニークなお話と人匙のメッセージ性を込めた作品を多数発表しているすごい作家である。

そんな星新一の小説を若い頃に読んでいる人になぜ憧れるのかと言えば、やっぱり「若い頃にこういう話読んでる人センス良さそう~!」と思うからだ。

「小中学生の頃に星新一読んでました~!」なんてたまに著名人とかyoutuberが言ってたりするけどなんとなくすごいと思ってしまう。

もちろん全く根拠はない。自分は星新一を読んだことがないので星新一がセンスいいのかも知らない。だけどショートショートを若い頃にたくさん読んでいる人はお話のパターンを脳内に網羅してる感が出てるような気がする。若い頃に読んだ本の記憶は残りやすいので小中学生の時に読んでいるとそのショートショートのパターンが身についているように感じるのかもしれない。

何かを語ってるときに「星新一のショートショートにそんな話あったなー!」とか言ってみたい。ちょっとスノッブっぽい感じはするけど人は基本的にスノッブになりたいものなのだ。星新一でこういう気取り方をするのはダサいと思うけどやってみたい気持ちがなんとなくある。

「じゃあ今から星新一読めよ」と思う人もいるかもしれないが、スノッブになるという動機で読み始めるのもダサいと思うので自意識が邪魔をしている。さらに言えばそういう欲求を満たす際にはやっぱり若い頃に読む星新一こそ至高だと思うからおじさんとなった今読むのはなんか違う。

もちろん今の年で星新一を読んでも普通に面白いのだとは思う。だけど若い頃に読む星新一には敵わない。文化祭や体育祭などの過ぎ去ってしまった青春と同じく、年を取ってしまった今は若い頃ほど星新一を読むという行為の純真さを享受できないのである。

ここまで書いてきたが、正直意味が分からないと思う人が大半だろう。かくいうこれを書いた後に寝て起きた自分でも意味が分からない。深夜テンションとは恐ろしいものであることを供養するために投稿しようと思う(星新一は普通に気になるので何作か読むつもり)。

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