見出し画像

ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』の感想

とある読書系ツイッタラーの人が「今のコロナ禍において『ペスト』が読むべき本とされてるけど『白の闇』の方がパンデミック状況においての本質的なこと描いてる」的なことを言っていたのでそれに影響されて『白の闇』を読んでみた(具体的なツイートはどうだったか忘れたので雰囲気でこんなこと言ってたなという感じです)。

こういうのは大衆のごとく広告に釣られ『ペスト』なんていう有名作に飛びつくよりも『白の闇』とかいう文学マニア以外知らなさそうな作品を読んだ方が通っぽいわけで、そういった安易なスノッブ的心理から読み始めた側面もある。一応補足しておくと白の闇の作者もノーベル文学賞獲ってるので有名ではある。ただ日本人って有名なノーベル文学賞作品以外は賞とってても読まないしおそらくマイナーだろう。おそらくマニア以外知らないと思う(自分もたまたまツイッターで見なかったら一生知らなかった可能性が高い)。

読んでみた感想だが、とにかく長かった。ページ数で言えば400ページ程度なのだが、文章がこれでもかというレベルでギッチギチに詰まっている。やたらと読むのに時間がかかってしまった。話自体も暗いのであまり読む気がそそられず2年くらいでちょっとずつ読んできた気がする。読んでいる最中にコロナ禍の話題も少なくなってしまったレベル。

この本の内容としては、突然目の見えない病が世界中で流行りだした結果、社会秩序が保てなくなりどうなるかというパンデミックものとなっている。目が見えなくなるとミルク色の白い景色になってしまうので『白の闇』というタイトルになっている。主人公は医者の男とその妻でその2人が中心となって物語が描かれる。

この作品を語る上で欠かせないのはやはり汚物だろう。普通だと創作物で汚物が出てきたとしても多くてせいぜい全体の5%程度だろう。正直5%でも多いと思う。スカトロマニア以外はそんな気持ちの悪い描写なんて見たくないのでそもそも需要がないのである。

しかしこの作品は違う。汚物まみれだ。パンデミックになる前に汚物が出ない場面はあるが、あとは汚物しか出てこないと言っても過言じゃない。汚物マニアは歓喜するかもしれないが、一般人には想像するだけで気持ち悪くなる状況が続く。文章もギッチギチだし汚物も気持ち悪いし、なかなか勧めづらい作品と言えるだろう。

だがこの作品は読みづらく汚物なだけの作品ではないというのも事実である。やはり評価されているなりの理由はちゃんとあるのだ。ここからはそれを語っていこうと思う。

この作品において大事なのはやはり「目が見えない」という象徴的な点だろう。この作品ではこの「目が見えない」ということ作中のギミックとして描くだけではなく、現実社会に対して「目が見えてないんじゃないの?」と問うように描かれている節がある。現実社会に生きる我々も目が見えていないということだ。

これは物理的に目が見えていないということを言っているわけではなく、指針が無かったり先行きが不安だったりという意味で目が見えていないという意味である。目が見えない人がどこへ行けばいいかわからないように、我々もまた目的地や指針を失っている。この作品では現実においての様々な心理的な見えなさを「作中の目が見えない人の行為」として象徴的に描いている。

この作品では目が見えないことにより何度も絶望的な状況に陥る場面がある。目が見えないからこそ見える人から見れば明らかに不合理でマイナスなことを生き延びるためにしたりする。そういった行為が現実に重ね合わされていると自分は感じた。そういった見方は途中になってから気付いたので読み逃している描写が結構ありそうな気がする。読み返すかは大変だしわからないけど一部の象徴的な行為(教会のやつとか)は強烈だったので印象に残った。

あと薄いけどラブロマンスもあったりする。風呂のシーンの伏線がとても好き。このような人間的な交流も生々しくて良い味を出していると思う。

この本は絶対映像化できないなと思う。したとしても魅力が崩れ去るだろう。そもそも汚物まみれの映画なんて基本的に見たくないだろうし。

と思って調べてみたら意外にも映像化されていた。タイトルは違うが『ブラインドネス』という映画の原作が『白の闇』らしい。どんな感じに仕上がっているかとても気になるのでそのうち見てみようと思う。

というわけでたまには難しめの本を読んでみるのも悪くないなと思った。文学と一口に言っても難易度に結構幅があると思うが、これはその中でも難しい方だろう(もっと難しめの『フランドルへの道』は挫折した)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?