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「吉祥寺」に宛てたラブレター 〜「吉祥寺かるた」の種

「吉祥寺かるた」誕生前の想い

今では「ご当地かるたプロデューサー」を名乗り、「かるたやばい」とか「日本中の街でご当地かるた作ったほうがいい」とかすっかりかるたの魅力に魅せられてしまっている「かるたおじさん」な僕ですが、2019年の秋、『吉祥寺かるた』を作り始めるまでは、その【かるたのやばさ】に気づいていたわけではありませんでした。

   ◇   ◇

僕の会社「クラウドボックス」は、【デザイン会社】です。

基本的に僕たちの仕事は、どこかの会社から「パンフレットを作ってほしい」「ウェブサイトを作ってほしい」「ロゴを作ってほしい」などと頼まれることでことでスタートします。つまり、いわゆる「請負仕事」です。

どこかの企業であったり、商品であったり。《想いを伝えたい誰か》が最初にいて、その想いを、《伝えたい相手に伝わるカタチにして伝える》ことが、デザイン会社の仕事です。そんな自分たちの仕事を、僕たちはいつも【ラブレターの代筆屋】なんて形容したりしています。

そんな【代筆屋】の役回りが僕はとても好きですし、自分の強みを活かせる「向いた仕事」だと思っています。……でも。
ずーっと他人のラブレターばっかり書いてたら、「たまには自分自身のラブレターを書いてみたい!」と思うのが人情。僕たちも「いつかは、自分たちの想いを発信するような仕事がしてみたい」と、ずっと思っていたのです。

そして、クラウドボックスは、東京・吉祥寺の会社です。もう十年以上【吉祥寺のデザイン会社】という看板を掲げて仕事をしてきていて、この街に対する愛情、愛着は、僕もメンバーのみんなもなかなかなものだという自負があります。さらに僕自身は、井の頭線沿線に生まれ育ち、中学校のときには吉祥寺に来て遊んでいたので、かれこれ40年近く吉祥寺を拠点に暮らしてきたことになります。吉祥寺駅のアトレがロンロンだった頃、ヨドバシカメラが近鉄百貨店で、ブックスルーエが喫茶店だった頃から吉祥寺がホームグラウンドだったのです(50代以上の吉祥寺在住の方なら伝わるはず)。

だから、「発信したい自分たちの想い」について考えようと思ったとき、「吉祥寺の何かをつくりたい!」と思ったのは、とても自然な流れでした。

つまり『吉祥寺かるた』は、もともと、僕たちから吉祥寺の街に宛てたラブレターだったのです。

誰かの「ためになる」とか「役に立つ」とかではなく、ただ、本当に僕たちのパーソナルな「愛」を伝えたい。そして、できれば「面白く」伝えたい。

本当に、スタートはそれだけでした。

でも、そのことが、結果的にはみんなの「吉祥寺愛」を集めることにつながり、『吉祥寺かるた』というプロダクトを完成させ、そして僕に「ご当地かるたプロデューサー」を名乗らせたくなるほどの不思議なつながりを生み出していくのです。


じゃあ、なぜそれが「かるた」になったのか。それも本当に些細なきっかけというか、なんのビジョンもなかったのですが、それはまた別のエピソードでお話します。

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