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助けるフリをして救われようとする

逃げたっていいし、弱音を吐いたっていいんだよ。

友人や家族に悩みを相談をした時、またはされた時、このような台詞を言われたこと、言ったことはあるだろうか。

思い詰めた人へのアドバイスとしては常套句であるし、私はスパルタ人間ではないからこの考え方に異議を唱えるつもりはない。

「責任を取れるわけでもないのに安易に諦めさせるのはよくない!」と考える方もいるかもしれないが、まぁ相談してきた相手を批判して更に落ち込ませるのはもっと悪手だろう。

悩みの程度にもよるが、苦労した相手をねぎらいつつ慰めるにはベターな言葉である。


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しかし、私は軽率にこの言葉をかけることができない。


それは、私自身逃げ続けて数多の弱音を吐いてきた人間だからである。

勿論、「その言葉をかける資格が私のような弱い人には無い」と考えている訳ではない。

私の心の問題である。

自分の弱さを正当化しているように感じてしまう。

相手を救済するフリをして、その実自分が助かろうとしているように感じてしまう。


貧困下にある人が、「世の中お金じゃないよ」と虚勢を張るような。

所謂"低学歴"の人が"高学歴"の人に「学歴だけが大切な訳じゃないだろ」と僻むような。


結局は自己の正当化に過ぎないのである。

怠慢を、努力をしなかったことを、「正しい選択だった」と思い込もうとする自己暗示である。


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再三言うが、私は努力を怠った人にそういう台詞を言う資格がないと言いたい訳では無い。

言論や思想の自由があるのだから、どう正当化しようと虚勢を張ろうとその人の正義でありそれが全てである。他人の口出しは無用なのだ。

あくまでこれは、私の拗れたプライドの問題だ。

私の捻くれた正義が、違和の感を感じ取っているというだけの話である。


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そういう意味では、私こそがスパルタ人間なのかもしれない。



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