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江戸に染まらない下男が女を救うために行方を追う。心理の綾に彩られた時代小説/『底惚れ』(青山文平)


   消えた女を捜すハードボイルド時代小説

 青山文平は一九四八年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。経済関係の出版社に勤めた後、九二年にライターに転身し、同年に「俺たちの水晶宮」(影山雄作名義)で第十八回中央公論新人賞を受賞。同作を含む短篇集は九四年に上梓された。一度は創作活動を離れたものの、二〇一一年に『白樫の樹の下で』で第十八回松本清張賞を受けて本格的にデビュー。一五年に『鬼はもとより』で第十七回大藪春彦賞、一六年に『つまをめとらば』で第百五十四回直木賞に選ばれた時代小説の名手である。
 直木賞の受賞会見において、著者は「銀色のアジを書きたい」と語っていた。有名人ではなく生きている大衆を描きたい──というこの志向は(戦国時代や幕末ではない)十八世紀後半から十九世紀前半の下級武士や町人に光を当て、その生き様を掘り下げる青山作品の土台に違いない。
 モチーフから物語を紡ぐだけではなく、しばしば謎解きや逆転劇が仕込まれるのも青山作品の特徴だ。デビュー作の時点でプロットには工夫が凝らされていた。一六年刊の『半席』は動機を探る連作ミステリーとして話題を呼んだ。明確なテーマとエンタテインメント性を備えることで、青山作品は広い読者層を獲得したわけだ。その最新刊『底惚れ』は『読楽』(二一年二月号~五月号)の連載に加筆修正を施した一冊である。
 大番屋の近くに建つ中番屋は、岡っ引きが〝事件そのもの〟を売買する裏の取引所だ。田舎を出て「江戸に居て江戸染まぬ」暮らしを続け、中番屋に出入りする四十歳過ぎの下男「俺」は、そこで変わった仕事を任される。若くして放逐された元殿様と下女・芳に男児が生まれたので、大名家の混乱を避けるために宿下がり(郷里への送還)になった芳を送り届けろ──というのがその内容だった。
 芳の扱いに憤った「俺」は、中番屋に疵話(元殿様の醜聞)を売って芳に金を渡そうとするが、それを望まない芳は「俺」を匕首で刺して姿を消した。命を取り留めた「俺」は江戸で金を作り、芳が郷里に戻っていないことを確認し、無事な姿を見せて「おめえは人殺しじゃねえ」と伝えるために行方を捜し始める。
 自分を刺した女を救うために奔走する「俺」は、やがて思いがけない話を聞き、一つの判断を下すことになる。この段取りに「成程」と納得する読者は多いだろう。放浪者の自覚を持ち、胡乱な取引所で稼ぎ、悪党の処分に加担し、目的をげるために手を尽くす。そんな「俺」の造型と語り口は、ハードボイルド小説の味わいを強く感じさせる。伏せられた事実と心理の綾を重ね、展開に巧みな捻りを加える──という著者らしい構成を通じて、人捜しのドラマティックな経緯をつづった快作。旧来の読者だけではなく、私立探偵小説のファンにもお薦めである。

福井健太◎ふくい・けんた
1972年京都府生まれ。書評系ライター。著書に『本格ミステリ鑑賞術』『本格ミステリ漫画ゼミ』、編著に『SFマンガ傑作選』などがある。

【文芸書2021.11】底惚れ_帯あり

江戸に染まらない下男が女を救うために行方を追う
心理の綾に彩られた時代小説

底惚れ
青山文平
定価 本体1600円+税

あおやま・ぶんぺい◎1948年神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。出版社勤務やライターを経て、2011年に『白樫の樹の下で』で第18回松本清張賞を受賞してデビュー。15年に『鬼はもとより』で第17回大藪春彦賞、16年に『つまをめとらば』で第154回直木賞に輝いた。


(「読楽」21年12月号掲載 「東京タワーのかなたから」)


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