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#2「救い難き人」赤松利市

「週刊アサヒ芸能」で連載中! 小説「救い難き人」の冒頭にあたるプロローグを公開! 連載第2回分です。

3.18号イラスト

プロローグ(承前)

 コンクリートの小屋を囲む鉄柵の扉の前に立ち、是永が無言で西原に左手を差し出した。凶器になりかねないそれを携帯した西原の右腕は、鉛のように重たくなっている。それほど重量のあるモンキーレンチだ。
 西原がモンキーレンチを手渡した。
「手錠を掛けたままでやれちゅうんか?」
 是永の利き手はテシクと繋がれている。
「兄貴の剛腕やったら、左で十分でっしゃろ」
 隙間なく有刺鉄線が巻かれている鉄柵の扉には、大きな南京錠がぶら下がっている。その南京錠を叩き壊すという事で、是永が用意したモンキーレンチだ。
 是永が南京錠に向かって半身に構えた。西原とテシクが半歩後退りした。
 是永が腰を落とし、モンキーレンチを振り上げ、
「どりゃぁ」
 裂ぱくの気合とともに振り下ろした。硬質な金属音がして、それを南京錠が弾き返した。
「やっぱりあかん。右手を自由にしてくれや」
 是永が振り返って言った。
「それこそあきまへんわ」
 西原が首を横に振った。
「もとよりそんな気ィはおませんでしたが、今のを見て余計その気が無うなりました。あれは兄貴の本気やあらへん。俺に手錠を外させるための演技でっしゃろ。それに手錠の鍵は、兄貴の車に放り込んできましたやんか。ここはどうあっても、このまま兄貴に南京錠をぶっ壊して貰うしかおませんねん」
 薄ら笑いを浮かべて言った。
 大仰な舌打ちをし、是永が西原らに背を向けた。再び腰を落として足場を固めた。
 モンキーレンチがブンッと空気を裂いて振り下ろされた。
 南京錠が弾き返した。
 是永が無言で振り下ろす動作を繰り返す。憑かれたように南京錠を叩き続ける。
 やがて是永の額に玉の汗が浮かび、それが飛び散り、漸く南京錠の留め金が弾け飛んだ。
 戒めを解かれた鉄柵の扉を、是永が靴裏で蹴り開けた。鉄柵の敷地内に一歩足を踏み入れた。腹立ち紛れに引っ張られ、西原とテシクがたたらを踏んだ。
 コンクリートの小屋までは数メートルの距離だ。湿った地面に生える冬枯れの雑草を踏み締めて、三人は歩を進めた。
 小屋の扉の鍵も、鉄扉のそれよりひと回り小さい南京錠で施錠されていた。
 鉄製のドアに沿って、小屋の壁に、地面近くから南京錠の高さまで、等間隔に並んでいる把手に西原が目を留めた。
「あの把手みたいなん、なんですの?」
「自分の脚で立ち上がられへんアイツが、身体を持ち上げるための把手や」
「そこは兄貴の手を借りんわけですの?」
「ああ、この小屋の鉄柵までアイツを運んだ俺は、鉄柵の手前で、さっきぶっ壊した南京錠の鍵を渡されるねん。地面に下ろしたアイツが敷地内に入ったら、南京錠を掛けて、隙間から鍵を返す。その間銃口はずっと俺に向けられとる。俺の役割はそこまでや。鉄柵の敷地内に足を踏み入れる事は厳禁されとった」
「ほな社長は、小屋まで這ったちゅうわけですか」
「バッグの把手を口に咥えて引き摺りながら這って向かうんや。こっちはええ迷惑やったで」
「迷惑?」
「考えてもみんかい。帰りはバッグを置いたアイツを車までまた背たろうんや。スーツの背中がドロドロになってまうやろ」
 手にしたままのモンキーレンチで、是永がドアの南京錠をガンガンと叩き始めた。鉄柵ほどは手こずらずに留め金が弾け飛んだ。
「さあ、いよいよや」
 踏み込んだ小屋の中は薄暗い。その床に是永がモンキーレンチを投げ捨てた。ガランカランと小屋の中に金属音が響き渡った。 
 是永が、見当を付けてドア付近の壁に手を這わせ始めた。照明のスイッチを探した。
 見つからない。
 ドアから射し込む淡い冬の陽光だけが室内を照らしている。「灯りはあれへんのかいな」
 忌々し気に是永が言った。
「懐中電灯なら車にありましたけど、取りに戻りますか?」
 テシクが惚けた返事をした。
「アホかッ。ここまで来るのんにどんだけ時間掛かったと思てんねん。日が暮れてまうわ」
「それより兄貴」
 西原が言った。不安げな声だ。
「どないした?」
「匂いませんか?」
「匂う? 何がやねん」
「社長のオーデコロンの匂いですわ。小屋に入った時から気になってたんです」
「不思議でもなんでもあれへんがな。アイツはここに出入りしとったんやからな」
「いや、残り香や無うて……」
 西原が遠慮がちに反論した。
「俺が叩き壊してやった南京錠の事を忘れたんか。アイツがこの小屋に来てたとしても、どないして小屋の中から小屋の外の南京錠を掛けられるんや。アホも休み休み言えや」
 是永がコートのポケットからオイルライターを取り出した。着火し、火力をいっぱいにして手近な物から点検を始めた。
 揺れる炎の灯りの向こう、部屋の隅に蹲る影があった。他の物とは質感の違う影に西原は目を凝らした。徐々に輪郭が明らかになる。目も闇に慣れてくる。
「ひえぇ」
 西原が悲鳴を上げた。 
「今度はなんやねん」
 点検する手を停めた是永が腰を伸ばした。
 その刹那、銃声が轟いた。
「ぐぉ」
 呻いて是永がもんどり打った。引かれて西原とテシクも倒れ込んだ。床にオイルライターが転がるが火は消えない。
 その炎が照らし出しているのは紛れもなく、社長の王マンス、その人だ。
「しゃ、社長ッ」
 西原の声に是永が上体を起こした。どうやら撃たれたのは太腿のようだ。
 膝下のない両足を広げ、壁に凭れていたマンスが、上体を倒して寝転んだ。直ぐに身体を反転させてうつ伏せになった。そのまま驚くような速さで是永に這い寄り、銃口を右太腿に押し当てた。
 躊躇なく引き金が引かれた。
 くぐもった銃声と耳を塞ぎたくなるような咆哮がし、さらに二発、三発と銃声が響き渡った。是永の右足だけでなく、左太腿にも銃弾が撃ち込まれた。
 混乱する西原とテシクは、その場から逃れられない。巨躯の是永と手錠で繫がれ、逃げる事が敵わない。銃に弾丸を装塡しながらマンスが言った。
「手錠繫がりとは面白いアイデアやないか。お陰で手間が省けるちゅうもんや」
 含み笑いの声だ。持ち前の甲高い声が悦びを帯びている。
 銃口が西原の右太腿に押し当てられた。
「先ずは動けなくしてからや」
 その言葉が終らないうちに引き金が引かれた。是永同様、右だけでなく左太腿にも三発ずつ弾丸が撃ち込まれた。再び銃弾を装塡したマンスが、テシクの太腿にも銃口を押し当てて引き金を引いた。全弾撃ち尽くした。
「面白い物があるやんけ」
 マンスが床に転がされたモンキーレンチに目を留めた。激痛のあまり是永、西原、テシクの三人は、半ば失神状態だ。
「まだ眠るのんは早いで」
 是永とテシクを繫ぐ手錠の鎖を握ってマンスが言う。
 左腕で上体を浮かせ、不自由な体勢のままモンキーレンチを振り下ろす。力は込められていないが、それを補う重量がある。
 モンキーレンチが是永の右手首を破壊した。新たな痛みに是永が悲鳴と共に覚醒した。是永の右手首だけでなく、繫がれたテシクの左手首にもモンキーレンチが振り下ろされた。テシクと繫がれた西原の左手首にもモンキーレンチが叩き込まれた。
「どうやらみんなお目覚めのようやな」
 満足気にマンスが言った。
「ど、どうして……」
 西原が呻いた。
「ん? どうして俺がおまえらの悪事を知ったか不思議なんか? テシクや。昨日の夜、定時連絡の電話をした時の様子がおかしかった。西原とバックヤードで話をしてる。そこに是永も同席しとる。それを聞いてひょっとしてと思たんや。西原だけやったらともかく、あの時間に、是永と一緒やというのが腑に落ちんかった」
 うつ伏せの姿勢のまま、マンスがモンキーレンチを背後に投げ捨てた。
「まさかと思うたけど、そのまさかやったな」
「……どうして」
「なんや、西原。未だ訊きたい事があんのんか」
「な……南京錠が……」
「嫌な予感がした俺は、東名高速に車を走らせた。運転したんは『水戸連合』の奴らや。元を正せば、タケヤリ、デッパで有名な『水戸仕様』でブイブイ言わせとった連中や」
 東京に芸能事務所を構えるマンスのバックに付いているのが『水戸連合』だ。もともとは暴走族、現在は半グレ集団らしいということくらいしか西原は知らない。
「この小屋がある山の反対側のゴルフ場まで来て、その内のひとりにここまで負ぶって貰うた。着いたんは夜明け前や。小屋の床に下ろして貰うて、南京錠はそいつに任せた」
「俺らに……この小屋の場所……知らせんようにしたのに……関東もんには……えらい……簡単に……教えるんやのう」
 仰向けのまま、痛みに堪えている是永が皮肉を口にした。
「連合の連中はおまえらみたいな半端モンやない。あいつらは本職や。筋を違えるような真似はせえへん」
「しゃ、社長……すみません。お、俺……」
 テシクが情けない泣き声で詫びを入れた。
「テシクよ」
 三人が頭を並べる場所に腹這いになり、上体を浮かせたマンスがテシクに語り掛けた。
「おまえらをずいぶん待ったんやでぇ。どんだけ寒かったか。暖房も照明もあらへんコンクリの小屋で待ってたんや。表でガンガン南京錠をぶち壊す音がした時は嬉しかったでぇ。ようやと来てくれたんかってなぁ」
 語り掛けるマンスの目が優しい。実際マンスはテシクに微笑み掛けている。
 突然!
 是永が上体を浮かせた。繫がれていない左手でマンスに掴み掛かろうとした。
 しかし動作が鈍い。両太腿に銃弾を撃ち込まれた上に、右手首を潰されているのだから致し方ない。是永の手は簡単に躱されてしまった。
「危なッ。未だそんだけ元気が残っとんかいな。さっきの途切れ途切れの皮肉は演技やったんやな。役者やのう」
 余裕で言ったマンスが、ダウンジャケットのポケットに手を入れた。
「それじゃ、これをお見舞いしておこか」
 取り出したのは黒いスタンガンだ。荒い息をしている是永の頸部に当てて、バチバチと青い閃光を迸らせた。
「ガハァァァ」
 断末魔の叫び声を上げた是永が、口から泡を吹いて悶絶した。
 是永の顔を慎重に覗き込んだマンスが詰まらなそうに言った。
「何や、気ィ失のうたんかいな。そやけどそれも演技かも知れんのう。念のためや」
 再び押し当てられたスタンガンが、是永の頸部に青白い閃光を奔らせた。
 閃光に合わせ、是永が小さく身体をバウンドさせるが、それ以上の反応はしない。
「やっぱ気ィ失のうたんか」
 マンスが鼻を鳴らして顔を顰めた。
「……社長」
「なんや、西原」
 マンスが身体をずらし、西原の頭の位置に移動した。うつ伏せの姿勢のまま、西原の鼻先に自分の顔を近付けた。
「申し訳ございません」
「なんで謝るんや?」
 不思議そうに首を傾げた。
「是永に唆されて、ここまで来てしまいました」
「悪いのは是永やという事か」
 口を結んで納得顔を見せた。
「そうですねん。アイツは暴力で俺たちを脅したんです」
 是永が気絶していることを幸いに、すべての罪を押し付けようとする。
「テシクも同じです」
 テシクを庇う。マンスと同じ在日のテシクだけは、未だ助かる可能性があるかも知れない。その尻馬に乗ろうとする。テシクがそれに同調する。
「そ、そ、そうです。悪いのはあいつです。あいつはいつも社長の事を在日在日と陰で小馬鹿にしてました」
「テシク」
 マンスが顔を横に倒してテシクに語り掛ける。
「はいッ、社長」
 テシクが小学生のような返事をする。
「足は痛うないか?」
「大丈夫ですッ」
「手首も痛かったやろ」
「社長……」
 マンスが発した労わりの言葉にテシクが言葉を詰まらせた。
「ほんとうに申し訳ございません。心からお詫びします」
 テシクが言って、西原がそれに続いた。
「私も心からお詫びします。いくら是永に脅されたとはいえ、社長にお仕えした二十年間のご恩を忘れてしまうところでした」
 マンスが微笑んで首をゆっくりと横に振った。
「二人とも気にせんでええ。俺は怒ってへん。この小屋には三十億を超える金がある。誰かてそれに目が眩んで当然や」
「社長……」「社長……」
 マンスの言葉に、西原とテシクの声が重なった。
「心配すな。可愛いおまえらを殺したりはせえへん」
 西原とテシクの口から安堵の溜息が漏れた。
「おまえら自身が殺してくれと頼んでも、殺しはせん。そやから簡単に死なんといてくれや。せいぜい俺を楽しませてくれよな」
 いつの間に握り替えたのか、マンスの手にはペンチが握られている。
「歯を全部抜かれるんと、爪を全部剝がされるんと、どっちを先にしたらええ?」
 マンスが楽し気に、ペンチをカチカチと小刻みに鳴らした。
「ペンチだけやないで。千枚通しも用意して来たんや。身体中、突き通してやろうと思てな。目ぇも耳も舌も、残らず突き通してやるさけぇ。そない言うたら、尿道に突き通されてごつう喜んでた奴もいたな。ゴリゴリ搔き回したら、死ぬ死ぬ言うて喜んでたわ」
 それから五時間、早く殺して欲しいという三人の願いは叶えられない。


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(イラスト/鍵元涼)

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