見出し画像

#1「救い難き人」赤松利市

「週刊アサヒ芸能」で連載中! 小説「救い難き人」の冒頭にあたるプロローグを公開! 連載第1回分です。

3.11号_小説第1回イラストデータ

プロローグ

 冬枯れの山道を黒いセダン車が滑らかに走る。運転席でハンドルを握っているのは韓テシクだ。他の二人、是永信二と西原智之は後部座席に座り、辺りをキョロキョロと見渡している。無理もない。何度も通った道だが、是永と西原にとっては初めて見る景色だ。高速を降り、一時間ほど走った所でテシクが車を路肩に寄せた。先ずは後部座席の二人が降車した。
「どうや、見覚えがあるか」
 是永が西原に質した。
「ちょっと待って下さい」
 西原が念入りに辺りの景色を確かめている。
 韓テシクも運転席から降りる。
「西原さん、まさか見覚えがないやなんて、言うんやないでしょね」
「待てと言うとるやろが」
 テシクの言葉に西原が軽い苛立ちを込めて返す。
「俺かて右折しろ、左折しろと言われるままに運転しとったんやから、出発点が違うたら、先の道に迷ってしまうやないけ」
「おのれこそ、ここに間違いあれへんのやな」
 是永がテシクに確認する。
「間違いありませんよ、兄貴。さっき折れたカーブミラーがありましたやん。あれが目印やったんですから、間違うはずがおまへんがな」
「そんなもんあったか?」
 是永は190センチを超える巨漢だ。その上強面、野太い声は普通に喋っても恫喝しているように聞こえてしまう。
「ありましたやん。どこぞの道に迷うたアホウが、夜道にぶつけでもしたんでっしゃろ。根元の辺りが曲がってたカーブミラーがありましたやんか」
「折れてたわけやないよな」
「ええ、まあ折れていたわけやないですけど……」
 頼りないテシクの返答に是永が舌打ちする。
「あっ、ここですわ。ここが中継地点です。ほら、あっこにゴルフ場が見えますやん」
 森の中を指差して西原が言う。
「ゴルフ場?」
 是永が目を凝らして林間に目を走らせる。
「そうです。冬枯れしてて緑やないですけど、芝生の傾斜が見えるやないですか」
「そやけどゴルフ場いうても、この辺りには掃いて捨てるほどあんねんど」
 三人が立っているのは兵庫県六甲山系の山中だ。千葉県、北海道と並びゴルフ場が多い兵庫県だが県面積が違う。単位面積当たりのゴルフ場の数で競えば、兵庫県が日本で一番ゴルフ場の多い地域になるだろう。
「間違いおまへん。あの傾斜の角度に見覚えがありますねん」
 西原が是永の様子を窺いながら言う。是永の怒りの沸点は人並み外れて低い。些細な事で躊躇なく人を殴る。
「間違えてたら、ただでは済まさへんからな」
 怒気を隠さずに是永が言う。
 それもそのはずだ。その日の遠出には特別の意味がある。是永だけでなく、同行している二人もピリピリと神経を尖らせている。
 是永がセダン車の助手席に乗り込む。西原とテシクは未だ辺りの景色を確認している。
「早よ乗らんかい!」
 助手席に乗り込んだ是永から怒声が飛ぶ。慌てて西原が運転席に、テシクが後部座席に乗り込んでセダン車が発進する。
 選手交代だ。
 その場所まで運転したテシクを含め、三人は、目的地までひとりで行ったことがない。最初はテシクが運転し、次に西原に代わり、その後は是永が目的地まで王マンスを運ぶ。
 マンスは彼らの雇い主だ。テシクと西原はマンスが経営するパチンコ店グループのエリアマネージャー、是永は運転手兼用心棒として雇われている。
 マンスは五年前の事故で両足を失った。四十五歳で膝から下を失い、普段は車椅子で生活している。車椅子が使えない場所では是永がおんぶする。
 三ヶ月に一度くらいの頻度で、マンスに命じられた三人は、兵庫の山中を目指す。
 テシクが運転している間、西原と是永はガムテープで頑丈に目隠しされる。途中運転を西原に代わり、テシクはその場に置き去りにされる。西原が運転している間も是永の目隠しは外されない。やがて第二の目的地に到着し、是永の目隠しが外される。代わりに西原はハンドルに手錠で繫がれ、マンスと是永の戻りを待つ事になる。
 マンスを背負った是永は、ずっしりと重たいボストンバッグを持たされて、最後の目的地へとマンスを運ぶ。
「あのボストンバッグの中身は金塊や。俺はそう睨んどる」
 前夜、是永は西原とテシクに打ち明けた。場所は西原が管理を任されているパチンコ店のバックヤードだ。
「札束があれほど重いはずがあれへん。運んどう時にキンキンってええ音してたしな。あれは金に間違いない」
 断言して是永は問い掛けた。
「今まで何回社長をあの場所に運んだ?」
 西原とテシクが小首を傾げた。二人が答える前に是永が言う。
「俺が運転手として雇われてからの五年間でも二十回近くやろ。その前は、社長がひとりで運転してあの場所に向かっていたんかも知れへん」
 是永の話に聞き入る二人に言い聞かせるように言葉を続ける。
「トンを超える金塊があの場所に隠匿されているんやないかと俺は睨んどる。去年2019年の金相場はグラム五千円や。1トンやったら五十億円の大金や」
 是永の言葉に西原とテシクの目が宙を泳いだ。
「おまえらは知らんやろうけど、俺が社長を運ぶ先には小屋がある。有刺鉄線を巻かれた鉄柵で囲まれたコンクリ造りの小さな小屋や。その小屋に入ったことはあれへんけど、あの小屋の中に、社長は金塊を貯め込んどんのに違いない」
「何で兄貴はそんな事が断言できますの?」
 西原が口を挟んだ。
「おまえも五つの店舗のマネージャーを任されているんやったら分かるやろ。テシクは三つの店を任されているんやったな」
 確認された西原とテシクが頷いた。
「合わせて八つのパチンコ店や。その脱税額がどんだけのもんになるか、おまえらやったら想像ができるんとちゃうか? 一店舗、日に三十万の脱税として、八店舗やったら日に二百四十万、月々が七千二百万円、年間にしたら八億を超える額や。なんぼ社長が金遣い荒うても、年に五億は貯めとるはずや。五年で二十五億やぞ。最低でも二十億は貯め込んでんのに違いない。最低でもな。それ以前から貯め込んでるんやったら、五十億あっても不思議やないやろ」
「それを金塊に変えて隠しとるいう事ですのん」
 テシクが身を乗り出した。
「そうや。そうでも無うたら、あれほど用心して、小屋に行くはずがあれへんやろがい。俺たち三人の誰も、小屋への行き方を知らへん。しゃぁけどやで、三人で力を合わせたら、小屋まで行けん事はあれへんやろうが」
 西原とテシクの二人が生唾を呑み込んだ。
「都合のええ事に、社長は昨日から二泊三日の予定で東京に出張や。このチャンスを逃す手ぇはないんとちゃうか?」
 それから一時間余り是永の説得は続き、三人は、マンスの留守を狙って金塊の猫糞を決め込んだのだ。
 是永に命じられてテシクが酒を買いに出た。軽く飲んでそのままバックヤードで仮眠し、明るくなったら出発する段取りだ。
 夜に移動したのでは山中の景色が確認し辛い。トンを超える金塊を持ち出すとすれば、三人掛かりでも何往復かする必要があるだろう。
 無言でテシクの戻りを待つ是永と西原。不意に西原の携帯がけたたましく鳴った。
 対応し通話を終えた西原に是永が確認する。
「社長からか?」
「ええ、いつもの定時連絡ですわ。変わりはないかとそれだけの電話でした」
 直ぐにテシクが戻り、三人はカップ酒を2本ずつ乾して、ソファーや床で眠りに堕ちた。
「ここですわ」
 西原が車を停める。
 助手席から車を降りた是永が周囲の景色を確認する。
「おお、間違いない。こっから社長を背負うて、俺はこの先の山道を登り降りしたんや」
 満足気に言った。
「けど、それなら、そのタイミングで強奪すれば良かったんやおまへんの?」
 誰もが考え付くに違いない疑問を西原が口にした。社長のマンスは身体が不自由でまともに立つ事さえできない。その一方で、是永は巨漢で腕力も人一倍ある。その気になれば、マンスを押さえ込む事など造作もないだろう。
「チャカや」
 不機嫌な声で是永が答えた。
「あいつは俺の背中からこめかみにチャカを押し当ててたんや。少しでもおかしな真似をしたら撃ち殺すど、と脅してな」
「それでも隙を捉えてとか……」
 テシクがボソッと口にする。
「おのれ、どつかれたいんか。実際にチャカをこめかみに押し当てられた経験あんのんか? あれへんやろ。しかもや、相手はあのマンスなんやど。引き金を引く事に躊躇するような奴やあらへん。ええ、そやろがい」
「すんません、すんまへん。俺の考えが足りませんでした」
 テシクが卑屈さ丸出しで低頭した。
「ケチがついてもうたやないか。いずれにしても、おのれらの協力が必要や。ここから先は俺が道案内するさかい、大人しゅう着いて来さらせ」
 協力とは金塊を三人で運ぶ必要があるという事だ。目論見通りの金塊があれば、とても一度に運べる量ではない。チャンスは一日だけだ。三人で手分けして何往復かし、陽が沈むまでが勝負なのだ。
 セダン車のトランクを開けて、銘々が空の登山用大型リュックを背負った。金塊を手分けして持ち出すための大型リュックだ。
 持ち出せる量でなければ後日出直して、運び出す事も考えられない事はない。ただしその場合は社長マンスの目が気懸りだ。
 場合によっては、マンスの殺害もあり得る。殺しておいてからという選択肢も是永は提案している。
 しかしそれにもリスクは伴う。固い信頼関係で結ばれている三人ではない。誰がどんな裏切り行為を働くか、それも考えなくてはならない。
 突き詰めて考えれば、その日一日だけで、悪事を終わらせるのが最善の選択なのだ。
「ちょっと待っとくんなはれ」
 歩き出そうとした是永を西原が呼び留めた。
「なんや。未だ言いたいことがあんのかッ」
「言葉を選ばんと言いますんで、切れんといて下さいや。もし切れたら、俺はここから走って逃げて、社長に今日の事を通報しまっさかい。兄貴より速う走れる自信はありますからね」
 西原は三十八歳、是永よりも一回り若い。細身で敏捷さもある。比べて是永は巨漢の上に筋肉の塊だ。言いながら西原がじりじりと距離を空ける。
「てめえ」
「おっと、そこまで」
 西原が指を広げた手を差し出して是永を制する。
「それ以上、一歩でも前に出はったら、俺は本当に逃げまっさかい。ほんで社長に通報します。東京に出張してはる社長が、こないな山奥まで、直ぐに駆け付けるのは無理やとしても、社長のバックにいる人間を動かすことはできん事もないでしょ」
「何が言いたいんやッ」
「これで兄貴と俺らの手ェを繫いでおくなはれ」
 西原がジャンパーのポケットから取り出したのは手錠だ。
「どういう料簡やッ」
「これでお互い裏切れんようになります」
「意味が分からん」
「その小屋に金塊があるのは間違いないでしょ。そやけどそれが、ひとりでは持ち出せん量かどうかは分かりません。俺はバッグに触れた事もありませんからね」
「バッグを持たされた俺が言うんやから間違いないやろ」
「もし一人で持ち出せる量やったら、俺らはその場で兄貴に殴り殺されるかも知れへん。そやけど三人が手錠で繫がれたままやったら、さすがの兄貴も俺らを殴り殺したりはでけへんでしょ。なぁ、テシクおまえもそない思わへんか?」
 テシクが頷き是永が派手に舌打ちをする。
「おのれらは仲間を信じられへんのかッ」
「仲間?」
 西原が鼻で嗤う。
「俺は社長の下で働いて二十年でっせ。テシクかて十五年は働いてますわ。それに引き換え兄貴は、社長が両足を失くしてから雇われたお人ですやん。仲間やとは思てません。社長があれほど理不尽なお人やなければ、俺もテシクも、今回の話には乗らなかったと思います」
「けど結局乗ったんやないか」
「あんな事提案されて、もし断ったら、兄貴は俺たちの口を黙らせようと考えたんと違いますか。兄貴相手では二人掛かりでも敵いまへんからね」
 西原の声は落ち着いている。
 再びの沈黙が流れ、先に折れたのは是永だった。不機嫌を隠さない顔で左手を突き出した。
「右手にして下さい」
 西原が要求し是永がそれに従った。
「テシク。兄貴の右手首と自分の左手首を繫げ」
 西原に命じられたテシクが唯々諾々とそれに従う。
「おまえは真ん中や」
 西原がテシクの右手首と自分の左手首を手錠で繫ぐ。そのうえで、これ見よがしに手錠の鍵をセダンの床に投げ捨てる。
「さあ、兄貴。これで準備は整いました。社長の小屋とやらに案内して貰えまっか」
「面倒い事をさらしやがって」
 唾を吐き捨てて是永が歩き始める。
 空の登山用大型リュックを背負った三人は、繫がったまま、獣道かとも思える山道を歩いた。横に並ばないと通れない隘路もあった。辿り着くまでに二時間は歩いただろう。
「いつもやったら一時間掛からへんのに……」
 終始愚痴を垂れながら歩く是永を二人は無視する。
「あれや」
 是永が息を切らせて言った。
 林の中、雨に汚れたコンクリート造りの小屋が見えた。


―――――――

(イラスト/鍵元涼)

週刊アサヒ芸能は毎週火曜(電子版は翌日)発売です!

赤松利市さんの既刊本もぜひ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?