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越境する世界

年の瀬にminou books石井さんが
訪ねてきてくださった記事が
公開されました。

『明治産業 presents 文化の熱源』
石井勇〈MINOU BOOKS〉が、
戸倉徹・江里〈とくら家のたべるもの〉に会いに行く


年内最後の撮影仕事を終えて、
上五島から復路のフェリーが佐世保港に
着いたのは19時半。
およそ2時間半の船旅ののち、
これから同じ時間、運転して耶馬溪の自宅を目指す。

(やっぱり無謀だったかも)
佐賀県に入ったあたりで、
出張翌日の取材を受けたことを後悔し始めていた。
(ご飯とか作れる気がしない)
明日は火曜日。
お話を頂いた時から、
そして取材始めが11時と聞いた時から
昼食のことが気になっていた。
火曜日は耶馬溪の
ほとんどの飲食店が定休日になる。
(お弁当買ってくるとか、食べてくるとかかな。
うちも早めに食べとこうか)
そう思っていたら
編集の方から連絡が入った。
「大変に恐縮なんですが、お昼って
ご用意をお願いすることはできますか?」
おおお。

取材日を動かすことは難しく、
(なんせ年の瀬)
また、その日は夕方から
お客さんのお正月用の餅つきを
夫とすることになっていたから
お尻の時間も決まっていた。
お昼を食べてきてもらうと
取材の時間が遅くなって短くなる。
一瞬の逡巡ののち、
「いいですよ」と答えていた。
夫に伝えると「大丈夫か?」と言われたが、
たんぼの時のごはんだと思えば
まあなんとかなるだろう。
(たんぼ開きの時は
田仕事が連日続く日も
来てくださったみなさんの
簡単な昼食を用意していて、
量を作るのも
ご飯を人に作るのも苦手だったのが
いくらか免疫がついたような。
でも決して得意ではないし
プレッシャーもあるのだけれど、
皆で同じ釜の飯を喰う、という
楽しみは知ってしまった、気がする)
船の中で休めばいいし、
簡単なものでいいと言ってくださったし。

島ではクリスマスミサの撮影があり、
前日は下船後午後から夕方までと、夕方から夜までの二部撮影、
翌日は朝から
復路の乗船まで撮影という
ハードなスケジュールだった。
2時間半の船中での回復を期待していたが、
同行者と分かれて
車に乗った途端に
体がシートに沈むのがわかった。
めっちゃ、疲れてる。

(明日のご飯、無理かも)
PAでトイレ休憩中、夫にメールを送った。
(俺がなんか作ろう)
珍しくすぐに返信がある。
夫も楽しみにしているのだろう。
分かる。取材のお話を聞いた時、
無謀だと思いながらも引き受けたのは
声をかけてくださったのが
石井さんだからだ。
そうでなかったらとうに断っていた。
いいや、夫に任せよう。
決めると肩の荷が降りた。
とにかくわたしはゆっくり無事に帰るだけ。

が、帰りながら
明日の昼食のことを考えている。
大根餅ならできそうだな。
揚げ物ならボリュームが出るしサッと作れる。
帰ったらじゃがいもを茹でておこう。
夫はああ言ったが(書いたが)
下ごしらえとかしているはずもない。
うん、想定内。
いいや、朝にお味噌汁だけ作ってもらおう。

休憩しつつ
23時頃帰路に着いた。
予定通りじゃがいもだけ茹でて寝た。
到着時間に合わせてコロッケを揚げよう。
年末の慌ただしさがあるものの、
わたしも夫も石井さんに会いたい。
話したい。
minoubooksの石井さんは
わたしたちにとって、
そんな人だ。

果たして、
起きるとわくわくしている。
疲れはあるが動ける。
ただ、疲れている時にご飯を炊くと
結構な高確率で失敗する。
(ん?あれ?)
という感じになる。
おかずはなんとか
作り慣れているものであれば
体裁を整えられるのだけれど、
(いや、でも揺らぎますが)
ご飯を炊くのは
ごまかしが効かない気がする。
夫に任せればよかった。
お釜の木の蓋を開けて
湯気を顔面に受けながら、
夫が「あ」と言った。
すぐ分かるよね。はは。
蟹穴もなく、
なんかべたっとしている。
お米の元気がない。
お米を楽しみにしてくださっていたのに、
不本意だよね、ごめん、お米達よ。

お米に、
研ぐ人の波動が入らないようにと
手を触れずに
しゃもじで研ぐ(混ぜる)炊飯方法を
推奨している人たちがいるけれど、
初めて聞いた時は
うろんしく思っていたのに(今は違いますよ)
失敗すると思い出す。
うちは土鍋でご飯を炊くようになって
15年ほど経つのだけど、(炊飯器も家にない)
こんな時、
炊飯器で炊いても失敗するのだろうか。
もしかしたらそんなことにも
気付かないのかも、しれない。


申し訳ない昼食になってしまったが、
それでも断らないでよかった。
ご飯を作ることを怖がらないでよかった。
これも夫の一言が(実際はどうあれ)
功を奏して肩の荷を下ろしてくれたから
力まずゆるりと挑めたのだろう。
みなさんと一緒に
ご飯を食べて話すことは、
それがない時とは違う気がする。


対話して
思いを言葉に変換していくことが、
頭だけではなく
身体感覚を伴っていることを
改めて感じた数時間だった。

どうすれば生きたいと思える
世界になるのだろう。

13年前に途方に暮れた
あの頃のわたしに
教えてあげたい。

越境して
繋がることができる世界を
わたしたちは
既に持っているのだと。

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怒涛の年末年始の
糧となった
大切な記事です。

リンクへ飛んで、
ご一読いただけたら
嬉しいです。
(本文とは異なります)


あっちこっちに脱線しまくりの
わたしたちの話を根気よく聞いてくださり、
とても丁寧に取材をして下さった
三好さんをはじめ、
ライターの浅野さん、
カメラマンの橘さんには感謝ばかりです。
ありがとうございました。


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