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深夜ラジオと無駄の効用

深夜ラジオが好きだ。

受験生の頃『金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD podcast』 と出会いドップリ沼にはまった。
大学受験には失敗し、浪人生時代、ありあまった時間を使って本格的にJUNKやANNを聴き始めた。
それ以来、時期によって熱量に差はあれ、かれこれ5年近く聴き続けている。

深夜ラジオを好きと言うとたいてい「何がいいの?」とナナメから問われる。その度に納得のいく返しができない自分にモヤモヤしていた。

適当に取り繕うことはできる。
「音だけだから、何かをしながらでも楽しめる」
「映像がないからこそ、パーソナリティと同じ空間を共有しているような親近感がある」
「TVでは見れない芸能人の裏の顔が味わえる」
「リスナーとのインタラクションで番組がつくられる柔軟さが面白い」

どれも正しいとは思う。だけど何か腹落ちしない。
もちろんこういう要素がバッチリ当てはまる番組もあると思うけれど、ぼくがラジオにいちばん求めているものとはどこか違うような気がする。

そして最近ようやく、ぼくが思う深夜ラジオの最たる魅力は「意味がないこと」だと気づいた。

以下では、ぼくがもっとも伝えたい深夜ラジオの魅力について、多少野暮ったくなる恐れを抱きつつもなるべく言葉を尽くして紹介する。

深夜ラジオに意味はない

深夜ラジオは無意味だ。
分かりやすい実益がないと言った方がいいかもしれない。
とくに役に立つ情報も伝えなければ何か強いメッセージ性を有している訳でもない。
それでも面白ければ意味はあるだろ!と言われるかもしれないが、ぼくが言う無意味とは、あらゆる即物的な目的から距離を置いているということだ。
ぼく自身ラジオは面白いと思っている。

ただ面白さについても、番組側がラジオを「面白く」することを目的として全力追及しているかと言えば、そんな感じはしない。
リスナーから爆笑を掻っ攫おうと毎週息をまき、肩をぶん回して臨むパーソナリティなんてそういないだろう。

そういった点で、山ほどある娯楽やエンタメの中でもとくに、深夜ラジオは目的から遠く離れた所にある。

深夜ラジオは大部分がフリートークによって構成される。フリートークとは言ってみれば雑談だ。そしてとくにパーソナリティが芸人の場合、その雑談には虚実が入り雑じる。
ボケとツッコミ、邪論と正論、フィクションとノンフィクションが行ったり来たりする。
そんなフリートーク自体にも、それを夜中に一人で聴くことにもなんら実益はない。
聴き終わって振り返れば、「何の時間だよ!」と番組や自分にツッコめないことの方が少ない。

また、フリートーク以外の部分でもラジオは無意味さに満ちている。
たとえば、ぼくの好きな『バナナムーンGOLD』や『オードリーのANN』では毎週のように日村や春日がラジオブースの中で全裸になったり、局部を露出したりして全力でふざけているが、その姿はリスナーにはまったく届かない。
だってラジオだから。

そんな感じで、ラジオは無意味だ。
しかし、だからこそすばらしい。

意味がないことに意味がある

これはただの言葉遊びではなく、本気でそう思っている。

これほど意味がないことは、今日逆に珍しい。
現代の社会には情報や娯楽・コンテンツが氾濫しすぎていて、それらを受け止めるには消費者の金と時間はあまりに足りない。
だからそれらを取捨選択するための基準が必要になる。

それが意味だ。
あるいは目的・価値・コスパ・実用性・作品性・生産性・クオリティなんて言い換えてもいいかもしれない。
ぼくらはいつだって選択を迫られていて、そうした言葉をよりどころに決断をしていく。
だから意味は大事だ。

ただ、意味を気にしすぎるのは疲れる。
だって、そもそも世の中なんて意味のあることの方が少なかったはずだ。
スポーツも、学問も、文学も、歌も、始まりはただの暇つぶしだ。そこに後から意味や価値が張り付けられていった。
そんな後づけのラベルをたよりにものごとに優劣をつけ、その選択を正当化するために自分が選ばなかったものを必死に価値下げする作業に、ぼくはいつも精神を削られる。

だからこそ、そんな空虚でゆるやかな地獄のなかで、深夜ラジオの無意味さは眩しく光って見える。

眠れぬ夜、深夜ラジオに耳を傾けてバカ話に夢中になる2時間は、常に脳裏につきまとう意味や目的をきれいさっぱり引き剥がしてくれるかけがえのない救いの時間だ。

きみは何が好き?

ここまで書いて、深夜ラジオはすばらしい、ということを自信をもって言うだけのためにもわざわざこんな言い訳を用意せずにはいられない自分の臆病さに少しうんざりした。
けれど、どうにか自分なりに言語化できたんじゃないかと思う。

これでこれからは、「深夜ラジオなんてどこがいいの?」という冷ややかな質問にも胸を張って「意味がないところ」と答えることができる。
多分相手はポカンとするだろうから、こう訊こう。

「じゃあ、きみは何が好きなの?」

意味から離れることを学んだぼくは、きっとどんな答えでも肯定できる。

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ここまで読んでくださった方はありがとうございました。

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