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言葉をためる

ふとした拍子に、何気ないところからすごく良い言葉が飛び出てくることがある。
自分から良いものに触れようと意気込んでいる訳ではない時にそういうことがあると、たいてい面食らってしまう。

けれど、そういう言葉をどうにか逃さずにためていきたいと思っている。

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たとえば、『ウエストランドのぶちラジ』という芸人がyoutube上で配信しているラジオ風コンテンツがある。
その番組の中の『人間のくせに』という相田みつを風のクズポエムを投稿するコーナーで、ある日こういうメールが読まれた。

「がんばる人間の足を引っ張るのはやめるから、がんばりたくない人間の腕を引っ張るのもやめてくれ」

クスりともせずひたすら感心してしまった。対句の美しさもさることながら、内容も良い。
どちらかに足並みを揃えなくてもいいじゃないか。違いを認めて住み分けをして、お互いに尊重しあえば良いじゃないか。だからぼくのことも、このまま放っておいてくれ、ということだろうか。

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またある日、ふとテレビをつけると『相棒』の再放送がやっていて、どうやらクライマックスの場面のようだった。そこで犯人役の人がこう言った。

「私の気持ちは私だけのものだ」

すると、一拍おいて右京さんがこう返した。

「ええ。そして、これから受ける罰と屈辱的な苦しみも、あなただけのものです」

文脈は全く分からないけれど、なんて味なやり取りだと思った。
確かにそうだ。どんなネガティブな感情であっても心の中に抱くこと自体は自由で、誰にもそれを邪魔をする権利はないはずだ。右京さんはそれについてはきっぱりと肯定する。
そのうえで、だからこそ、それを行動につなげてしまったことの罰の痛みも独りで背負わなければいけないと諭す。

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またある時は、Twitterで「○○さんがいいねしました」という表示と共に友人の友人のツイートが流れてきた。

「ぼくよりつらい思いをしている人たちがたくさんいることと、ぼくがつらいことは無関係なので、これからもつらいと思うことはつらいと積極的に言っていきたい」

めちゃくちゃに共感してしまった。
今、台風や大雨、地震など自然災害によって苦境に立たされている人は日本の中だけでも山ほどいるし、災害に限らず世界に目をひろげればぼくらには想像もつかぬ痛みや苦しみに耐えて生きている人たちは本当にたくさんいることだろう。
その人たちを哀れみ慈しむ心は持っておくべきだ。

でも、だからといってぼくらが日々のちょっとした出来事につらさを感じたり、それを口に出したりしてはいけないなんてことは絶対にないはずだ。

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こうやって好きな言葉を集めていくことは、面白い。
集め方に人が出るからだ。
人間は自分の好きなもの・興味のあるもの・親しみのあるものにより目が向きやすいようになっている。言葉についてもそれは例外じゃない。

実際、上の3つの例は自分では適当に選んだつもりだったけれど、こうして並べてみると明らかに「個の尊重」というような一貫したテーマ感を持っている。
それはきっと、今ぼくがそういうことに強く興味を持っているからだ。
(そういうことについて語っているnoteもある↓)

そういう意味では、言葉をためるというのは自分が持っていなかった言葉を外の世界から拾ってくるというよりも、むしろ元々自分の頭の中に漠然と存在していた思考を、外からの言葉を使って具体化する作業に近いのかもしれない。

だからこそ、言葉をためればためるほど、自分の脳内の様子が、自分という人間が大事にしているものが鮮明になっていく。

これからも、こういう言葉たちをひとつひとつ脳内に捕まえて、ノートに書き留めて、少しずつためていきたいと思う。
そしてぼくもいつか、なんでもない時にこうした素敵な言葉をぽろっと溢せるような人間になりたいと思う。

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ここまで読んでくださった方はありがとうございました。

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