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track 19 「オフ会でファンだっていう娘に」

 母親が死んで仕送りが止まった。

 いつか必ず訪れる事態と理解をしていたが故、予想される経済的困窮に対する不安は小さく、むしろ父親と顔を合わせたくない一心で以て母の葬儀を出席せずに遣り過した自らに対し落胆している精神状態のあって、これに驚いた。

 詰まり十年を超える自堕落の先で未だ感情の死んでいない自分と邂逅を果たした次第、ならばと希望を思った。

 一念発起、サイドメニューのちゃんこ鍋が人気のファストフード店の求人に応募し、アルバイト採用された。

 面接時の説明によれば新規業務に向けた増員、今後に繋がる取り組みであるとの並々ならぬ店側の意気込みの感じられ、だからそれは勤務開始前の壮行会的な集まりだとばかり思っていた。

 数日前に電子メール、及び電話連絡のあって参加を求められた店舗に於いての説明会は、実際のところは、本社法務部の若い女性社員が自身を含めた肥えた男ばかりの出席者に対し延々と土下座をし続けるだけの、不穏な空気と異様な雰囲気が混ざり合わず並行して渦を巻いて在る殺伐とした場となった。

 詰まりその新規の業務、内容としては読んで字の如しの力士デリバリーは、文化の盗用や国技に対する冒涜などの理由によりいわゆる炎上の虞がある為、開始直前のタイミングながら中止を決定、それに伴いデリバリー要員、いやさ力士役の雇い入れも覆さざるを得ない旨のその方針が、絵に描いたようなスケープゴートを演じる法務部社員の口から伝えられたという次第。

 母の亡くなった後の世界に自分は迎え入れてもらえない、事実としてそれを実感させられるばかりの、再生を期した意気込みが三行半を叩き付けられるだけの男にとってはそうした結果に終わった。

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 居場所がない。

 居てはならない、居た堪れない。

 顔を上げて前を見られない、その権利がそもそもない、生産性も皆無の分際で公道を歩くなど罰せられなければならないいやべきだ。

 べきなの、べきとも。

 罰せられるべきだとも。

 まともにものを考えられない精神状態での彷徨は無意識下で選択を行った上での死に場所探しだったのかも分からない。

 中身はクオカードとちゃんこ鍋のおかわり無料クーポン、御足代と表書きされた茶封筒を握り締めて忘我と心身の消耗を云うみたいな足取りで向かった先が、駅前の公園。

 鯉と亀が棲む池の、深緑色の水面を渡るあめんぼに誘われ入水、中心部に向かい進めど進めどしかし脇下が濡れるか濡れないかの水深がやっと、苔で滑って飛沫を上げるような派手な絵面も生せないままに、最終的にスワンボートの青年に救助される。

「まるで周囲が見えていない、ま、虚ろな様子に見えたんでなにかをやらかすんじゃないかと思って」

 嘗て路上生活をしていた頃に培った観察眼が役に立ったのか、或いは他者の自由意志を奪ったのか、そう言った青年の名は神代国見カミシロクニミ、校章入りの紺のブレザーとナイロンバッグが彼を、市立宝町高校の生徒だと伝えている。

「三年生って事でやらせてもらってますね、ま、一応」

 逆さにした茹で卵に焼き海苔の髪を貼り付け爪楊枝で糸目を引っ掻いたなら完成、滋味もなく地味なだけの薄い地蔵面。国見のそんな風貌と、水上の浮遊感とが男をリラックスさせたのか、身の上話が吐き出される。

 敷かれたレールの上を往けば順風も吹いて主体性すら不要、それこそ大学入学時にものごころのついていたかを問われたとして、胸を張れなかった。身の丈を超える挑戦こそを是とするような就活熱に我が身を晒して初めて、それまで未体験だったものを考える必要が生じた。果たしてあっさりと心が折れてそれからの十数年、昨日までを大卒ニートとして過ごしてきた。

 限界集落の雑貨屋の商品棚みたいにまるで密度のない人生。

「ぶふふー。特技もないからお先真っ暗ぶふー」

 男の名前は負可和封加フカワフウカ、なんとかいうMMORPGに於いては負封ブフウというプレイヤーネームで幾つかの金字塔をうち建てたと言うが、それも今夏のサービス終了が決まっており、彼の名声もまた電子の海の澱と化す。

「ぶふふー。泣きっ面に蜂とはこの事ぶふー」

 ならば、と、国見が提案する。

「好い枝振りを見付けられたとして縄も持参してないんじゃあ、ま、今日は命を断つのは諦めてもらうしか」

 仲間内で、遊びの範疇で行っている金儲けごっこ、その実務面を統括している電算室で手伝いをお願い出来ないか、と。

「ただその前に一つだけ、ま、確認させて欲しい事がありまして」

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 実際のところ実務に於ける能力は決して低くないが、身長170の男が履くシークレットブーツの底上げ分並みに高い自尊心が珠に瑕。

 携帯の電波はおろか外来語すら届かない山奥の孤児院出身者の一団、その男子ばかりが共同生活の場としているアパートの201号室、電算室を預かっているのが槙慎実太マキシンジッタ、通称慎太シンタ

 四十路間近の外出恐怖症、人がその日常生活に於いてする程度の運動すらせず、主食がポテチのチーズ掛けと炭酸飲料なら外見はほぼ鏡餅、それを自虐もすれば弄る相手にも寛容だが、反面、自身を室長と呼ぶように徹底して周囲に要求する。

「マジすか、驚きの消化率ですね。やっぱ慎太さんに任せて正解だったすね」

 とは言え室員として実務を専任するは慎太ただ一人、故に室長を自称するその態度は彼の面倒な一面の表れだ。

「室長的にはこの程度は普通だよ。再生機器の現存問題は切実、ならば作業にも遣り甲斐を覚えるしね」

 夭折した父が趣味で蒐集していた映像ソフトや漫画や雑誌、それらのアーカイブ作業を丸投げ同然で電算室に依頼していた三塚松理ミツヅカマツリが、その予測以上の進捗状況に驚き素直に感心と感謝を口にする。

「ほんとありがとう御座います、慎太さん」

 学校帰り、松理は市立宝町高校の制服姿。片や慎太は甚平姿、デスクトップの鎮座するローデスクの前に胡座で座る。

「室長的にはどういたしましてといったところだよ」

 そこへ、男子寮に於ける絶対寮母、青空勇希アオゾラユウキ、通称空希クウキが袋菓子とグラスに移したソーダを持ってやって来る。

 応対に出た松理越しに室内を覗い、玄関先から空希が慎太に呼び掛ける。

「グラスは夜ご飯を持ってきた時に回収するので水で軽くすすぐのはお願いしますね、慎太さん」

「室長的には承知したよ」

 そうして。

 正確な時間で言えば今朝未明だが気持ち的には昨晩、母親が観たいと言い出した映画の。

「未だアプコンが済んでないので室長的には不満だが」

 そのデジタルデータをDVDに書き込んだ状態で以て入手。

「飽く迄暫定措置って事で。とりあえず観られればって事なんで」

 カールのうすあじをありがたく平らげた松理が帰り支度を始めたところ、アコギを提げ弾き語りに出向いた先の公園で出逢ったという相手を連れて帰寮した国見が、電算室に顔を出す。

「スカウトしてきた室員候補を面接してもらおうかと、ま、慎太さんに」

「室長的には現状、室長一人で満足に回せていると自負しているけどね」

「勿論です、ま、勿論ですけど松理ももう一本か二本か、ゲームアプリのネタがあるって言ってますし」

 え、そうなの。

 という驚きを顔には出さずに国見を見遣ると、自然、彼越しに正座をしている室員候補、負封の球体のような顔が視界に入る。その表情が社会全体に対する自信喪失を云っていたなら彼が雇い入れられる世界線の引き込みに手を貸さない理由はなく、心当たりのない自分発のアイデアを肯定せざるを得ない。

「そうなんですよ、そうなんです。あのー、矢鱈滅鱈に痩せたがる、モデル体型こそ正解と盲信するガールフレンドに、もしくはご時世的にはボーイフレンドも用意してもいいと思いますけどもしっかり飯を、勿論スイーツも、食わせに食わせてぽっちゃり体型を維持させる恋愛シミュレーションを、今考えてまして」

 咄嗟の作り話、直前に目にした光景が諸に反映された口から出任せながらそれは、好感触を以て受け入れられる。

「室長的に摂食シーンは誘導型パズルに出来そうだと考えるね」

「三連続でドーナツを食べさせたら連鎖ボーナスでしょうね」

 慎太と松理のその遣り取りに負封が乗っかる。

「ぶふふー。ゲージ制を採用するならそれで喉の詰まり具合を表現するのはどうでぶふー」

「タイム制よりもそっちの方が無限の食欲を表現出来る、か。いいですね」

「ぶふふー。お茶とかコーラでゲージ回復が出来るようにすれば理不尽な印象も薄まるぶふー」

 その負封の意見もまた慎太の興味を惹く。

「室長的にはルールの複雑化は避けたいところ、だけど検証してみる価値はあるだろうね」

 ならば採用決定かと国見が色めき立つが、事はそう簡単ではないと慎太が難色を示す。

「室長的には共に働くなら互いに尊敬し合えるのが最善だと思うんだ」

「尊敬が信頼と同義なら徐々に築き上げていくものじゃないですか、それは」

 松理のその援護も不発。

「室長的にはインスピレーションに不足があってね」

 面倒臭えなこのデブ。

 と、慎太の性格と自分との関係性を鑑みれば口に出しても問題ない台詞を、しかし松理が言い淀む。と、勝負に出た後続ランナーみたいに横から松理を抜き去った国見が、慎太に耳打ち。

 果たして。

「幅広い挑戦が可能になるなら室長的にもね、増員もやぶさかではないよ、詰まり電算室の真価の発揮に繋がる判断だからね、これは」

 負封の雇用と男子寮への入居が決定した。

「実に現実主義的な判断だからね、これは室長的には」

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 そうして。

 男子寮、二階建ての集合住宅の外階段を下り、当座の衣類などを取りに現住所に一旦戻るという負封を見送った後、松理が国見に疑問をぶつける。

「なんて言って慎太さんを説得したんです」

「ま、童貞だそうですよ彼、て」

「しょうもな」

「初任給全額突っ込んで高級特殊浴場で脱童貞、それが慎太さんの一番の、ま、武勇伝だから」

「そこだけ切り抜いたらめっちゃいい話」

「それで風俗沼に落ちてえらい額の借金を短期間で作って転落。ま、十年前に完済はしたらしいけど、以来、勃起が怖いっつって引き籠もり」

「太陽に届いた男の話、教訓が止め処ない」

「でも実は、ま、童貞じゃないらしいけどね負封さん」

「なんたる衝撃、或いは残酷」

「オンラインゲームのオフ会でファンだっていう娘に、ま、喰われたんだって」

「うらやま」

「すんごい淫乱な娘だったんだってさ、ま」

「めっちゃうらやま」

「でも思ったほど顔が好みじゃないとか言われて付き合うとかは、ま、なかったとか」

「せつな。めっちゃせつな」

 とまれいずれがところは。

「それにしてもいい匂い。ホワイトソースですかね」

 102号室、空希が夕餉の支度を進めている様子。

「鶏とアスパラでグラタンを作るそうだよ、ま」

「食いた」

 とまれいずれがところは、電算室に増員のあったなら。

「親父のとは別件でデジタル化を企んでたコレクションが実はあるんで、体制強化は個人的には嬉しいニュースですよ」

「俺にもリリースしたい音源の、ま、実はあるんだ」

 取り組める課題の規模や数の変化に期待が持てる道理、馬鹿の振りをして金儲けのアイデアを、気軽な気持ちでものづくりの悪巧みを、口に出して甲斐もあるだろう次第だ。

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track 19 「オフ会でファンだっていう娘に」

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 妖怪魚市場。

 鮨宅配業。配達を妖怪が担当するというコンセプトは、宝町を舞台に展開されるフードデリバリー戦争のその既存の世界観にもマッチしたが、実際の利用者による衛生面を不安視する苦情が殺到、営業初日が廃業日となった。

 どす恋バーガー。

 全国チェーンの人気ハンバーガーショップ、その宝町駅前店に於いて独自の宅配形態、読んで字の如しの力士デリバリーの開始が予定されていたが、本社判断により中止が決定した。

 即ち。

 市井の人々の普段通りの営み、その光景を刺激する突発的アトラクションとして機能する宝町フードデリバリー戦争は、実質的には二大勢力の間でのみ行われている実情の長らくあり、マンネリズムを指摘する声の無視の出来ない局面を迎えていた。また同時に、近年急速に勢力を増した外来業者の町内侵攻が危惧される状態のあり、これらの現状を打破するべくの施策がしかし、軌道に乗らず頓挫したという事の次第。

 だが。

「二の矢、サンノー矢の用意はツネーに出来ていますよ」

 Pizza NINJA頭領、イタリア出身の犬童インドウの頭の中には既に秘策があり、それが、二大勢力のトップ会談の場、月影を頼るばかりの閉鎖後の電波塔の展望フロアに於いて、パンの移動販売、及び宅配を大名行列の形で行う大江戸ブレッドの主宰、大月代茶筅髷の男に対し披露されそして、大いなる戸惑いを与える。

「うつけめ。伝統を捨てろと申すか」

 それこそ傾いた外見とはちぐはぐに思える保守的な考えを茶筅髷が口にすると、犬童が、窪んだ目の奥に碧く月明かりを反射させ、或いは嘲笑を浮かべる。

「万物流転がいつノー世でも理。じダーイは変わるものデース」

 来日から十年、忍装束でピザを配達する彼に本懐のあるとして、今は未だ誰もそれを知らない。

('23.3.10)

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