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第二話 日用品を買いにゆく

 黒のロングヘアーをまとめてちびのミイみたいにしている所為か、顔つきも柔らかく歳相応に、鏡の中の彼女はそう見えた。

「だってあたしの場合は或る程度は自分で責任を取るって事でやってるからさ、線引きが出来てるっていうかさ」

 二十歳の叔母、一ノ瀬綾子(イチノセアヤコ)が一人暮らしをするアパートに。

「それだったらおれも、しっぺ返しをいつかくらう事があるとしてそれも自業自得だって思ってるけど」

 六歳の甥、三塚松理(ミツヅカマツリ)が押し掛けて以て始まった共同生活。

「と言うか年長者としてあんたの自堕落を看過しちゃ駄目じゃない、やっぱし」

「なら手本となってくんないと。自分が出来ない事を人にやれったって説得力なんか生まれないんだからそこには」

 それは、およそ二ヶ月半後に小学校入学を迎える松理にとっては集団生活の予行練習。

「うん、そうなのよ。そこなのよ問題は」

 或いは亀鑑たる相手に恵まれたのならば。

「てゆーか普段は何時に起きてんの」

「バイトがある日は13時。ない日も概ね13時」

「じゃあ今日は早起きなんじゃん、むしろ」

 洗面台の前に並んで立ち、歯磨きをしながら鏡越しの会話を続ける二人。

「せめて朝と言っていい時間に起きようって昨日、決めたからね。あんたを預かる間だけでも」

「言ってもおれもいつも昼前には起きてるぜ。だからむしろおれを手本にしろって感じ」

 松理のその指摘を受け、一つ間を置くみたいに口をゆすいだ後に綾子が、答えた。

「そうね、問題はそこかもね」

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 それこそ歯ブラシは買い置き分を分けてもらった形、詰まり成人女性が継続的に生活を行っている場に未就学児童が合流した場合であっても、人が一人、さらで暮らしを始めるに当たっては少なからずの必需品を揃える必要は確実に、ある。その為に今日は買い出しに出ようというのが二人の先ずの段取り。

 綾子の化粧が終わるまでの間、松理は、彼女が昨夜の内に作成したという買い物リストに目を通す。

「この、食べかけの袋菓子の口を閉じるクリップとかはあれば食べ過ぎだとか食い散らかしの防止にもなるし、是非を問う気はないけども」

 昨日の、自身の素行を反省しながらそう言って、松理が続ける。

「この寝巻き、かっこ猫の着ぐるみに限るってのはリストから外すべきだと思うねおれは」

「クッションの上に丸まって寝てる姿はさ、昨日あたしが帰ってきた時のあんたのね、それはそれは生意気でも、斜に構えるでもなく素直でね、とっても。あんたの本来の姿がそれだったならなってあたしは思った訳」

「子供に子供らしさを期待して、時に一方的に押し付けてくるクレーマーみたいな社会に対する反発も、おれはとっても素直な気持ちでやらしてもらってるけどね」

「そうやって大人ぶるなら迎合しなよ。素直に猫の着ぐるみ着た方が生き易いよ」

「詭弁だ詭弁。これだから大人は油断ならねんだよ」

 氷肌玉骨、化粧を終えワンレングスの髪で顔の左半分を隠した綾子はまさに、擬態か或いは臨戦態勢を整えたようにあった。

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第二話 日用品を買いにゆく

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「あんたは育ち盛りなんだからやっぱり食べるべきなんじゃない」

「そういったなにか行列には並ぶべきみたいなものの考え方はおれは好きじゃないね」

「はいはい、理由なき反抗理由なき反抗。じゃあ毎朝、トーストとカップスープくらいは食べるって事でマグカップは購入決定ね」

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「あたしも別に潔癖じゃないから取り違えても問題ないけどさ、色で区別も出来るし尚更ね。だから買い置き分でいいって理屈は分かるけど、でもそうじゃなくってフィットしてなかったら使い難いじゃない、実際。一人分のお蕎麦茹でるのにドラム缶みたいな鍋は使わないじゃない」

「大人用とか子供用とか表記する必要あんのかって話。自分に合ったサイズのものを普通に選ぶしその判断も出来るよ、それを頭ごなしに子供のお前はこっちを使えなんて言われたら反抗したくなるのが人情じゃん」

「はいはい、造反有理造反有理。じゃ、子供用歯ブラシゲットだぜー。はいあんたも声を揃えて。子供用歯ブラシ」

「ゲットだぜー。しまったうっかり乗っちった」

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 寂れた海の近くに建つ展望タワーみたいに、すらっとして実際よりも背の高い印象の綾子と、たっぷりの伸びしろがあるものと期待を持ちたい松理の、二人のじゃれ合う姿はきっと傍からも仲睦まじいものに見えているだろう。

「じゃあそろそろ寝巻きを売ってそうな店、探そうか」

「要らないし買わないし断固拒否」

 或いは彼女を知る人物は、熟れた調子で客いじりをするベテラン演歌歌手みたいな綾子の様子を。

「それを猫語で言ってみようか」

「言わないし意味分かんないし絶対拒絶」

 珍しく上機嫌だと見たようだ。

「お前がそんな表情を人に見せるの、いつ以来だ」

 夕方前のショッピングモール、きっとこれから混雑するだろうフードコートの一角。サグチキンカレーにナンを潜らせていた綾子の隣に、ハンバーガー屋のロゴマークがプリントされたペーパーカップが置かれる。

「もし、また誰かと付き合う事があるなら絶対に年上を選ぶべきと思っていたが、まさか逆にいくとはな」

 パンツスーツを着こなしていても髪を掻き上げたならエンジンオイルの匂いが立つ、やんちゃしていた時期もありましたふうな女性が、がりがりと床に擦りながら無造作に椅子を引いて綾子の隣に腰掛ける。

「それともこれは禁断の恋なら口止め料、ぶん取れそうだねえ」

「甥ですよ、甥。姉さんの子供です」

 綾子のその簡潔な解説で全てに合点がいったみたいに、元ヤンふうの女性が大きくうなずく。

「という事は君が松理くんか」

「この人は瀧八千代(タキヤチヨ)さん。あたしの中学時代の先輩で、今は姉さんの雇い主」

 綾子が、八千代を指しながら松理にそう紹介する。

 見知らぬ相手に名前を呼ばれた事実に重ね、更にそれが印象からは程遠いところ、即ち母親の上司であると知らされる。

「脳内の小峠が例のフレーズを叫びそう今」

 混乱を来たすほどではないが一つ一つ処理をした方がいいだろうと考え、松理は、目の前の天ざる蕎麦に視線を落とす。

「ちなみにお姉さんは」

「八千代でいい」

「八千代さんは、えび天の尻尾は食べる派ですか、残す派ですか」

「目の前で残す奴がいたらぶん獲ってでも食べる」

「じゃあおれとは気が合うかもですね。綾子は食べないらしいんで」

「だから食べない方が普通でしょ」

「普通って言葉で線引きする奴ほんと無様」

「言うでしょあんただってそれくらい、普通に普通って」

「いつかテレビや雑誌が決めた通りにしかめしの味も分らなくなったら言ってやるよ、普通においしーって」

「はいはい、洗脳メディア洗脳メディア。警鐘を鳴らしていくよあたしも微力ながら、食べるよえびの尻尾もカルシウムを摂る為に」

 こん、と。空になったカップを軽くテーブルに叩き付け、放っておけば直ぐに言葉の応酬を始める二人の隙間に無理矢理身体を捻じ込ませた八千代。

「うわさ通りの理屈屋だな、君は」

「松理っす」

「松理。だからこそ綾子の素を引き出せる訳だな、似た者同士」

 椅子を立つ八千代を目で追い、僅かに焦りが滲んだ声で綾子が問う。

「あれ、行っちゃうんですか」

「ここのテナントと打ち合わせがあってね」

「そっか、仕事中なんですね」

 綾子にうなずいて見せた八千代が、次に松理を見遣る。

「ぜひ今度、ゆっくり話そう、松理」

「次はじゃあエビフライで」

「任せろ。ご馳走してやる」

 そうして立ち去る八千代の背中を見送りながら、松理。

「おれ見て子供らしくないとか言わないとか、あの人も相当だね」

「やってから出来るか出来ないか、じゃないな、上手くやり切る方法を考えるタイプ」

「百円入れてから操作方法を確認するタイプね」

 今はまだイカ天を食べても美味しいと感じない、箸で摘まんだそれを綾子のプレートの上空に侵入させた松理が、カレーの上かナンの上か、どちらに置くか強制的に選ばせようとする。

「どういう友達」

「だから、中学時代の先輩」

 掌で押し戻す仕草で以てイカ天を引っ込めさせ、後でもらうからと、綾子が松理を納得させる。

「知り合った切っ掛けとか」

「それはまぁ、追々」

 果たして随分と遅い朝食か、のんびりとした昼食を終えた二人。食器を戻し、テーブルに残り荷物番をしていた綾子の元に戻るなり、松理は言った。

「前々からそうじゃないかと思ってて、今日、確信したけどさ。綾子って友達いないよね」

 人によっては大ダメージとなり兼ねない指摘、だが綾子は。

「そうだけど」

 さらりと認める。

「なんでそう思った」

「姉夫婦と初詣に行くとか、子供相手に普通の喋り方で接するとか」

「あ、いま普通って言った」

「それこそヲタが自分の領域で早口になるみたいに。あとやっぱ類友じゃないけど、ヤンキーの先輩に気に入られてるとか典型的じゃん」

 人によっては古傷が疼くような分析、だが綾子は意地悪そうに笑って松理を見遣り、或いは意趣返し。

「じゃああんたも、小学校に入っても友達出来ないかもねー」

 それに関しては一つの期待もしていない、だから気持ちが沈んだりはしない。

「それが第三者によって証明されちゃったねー」

 しかし松理は、思わぬ機会が巡ってきたものだと嘆くように短い溜め息を吐いた後、やはりそれこそが望ましいと全力で、伏線を回収した。

「なんて日だ」

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「ほら見付けちゃった松理。やっぱり買っていこうよ、猫の着ぐるみ」

「なんて日だ」

「ボケが雑だってば、一辺倒じゃ」

('20.2.7)

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