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track 14 「るねっさーんす」

 実店舗を構えて以ての物理的看板の掲出が然程有意でなく、むしろ都合が悪い。更に言えば実務以外は特段にすべき事も少なく、それもほぼ、指先を僅かに動かしたら終わる。

 だから仕事の依頼のなければ喧嘩代行を副業とする高校生などというものは、第三者に判断を委ねれば、だいたいそれの平均層に分類される。

 詰まり死屍毒郎シカバネドクロウ、通称死郎シニロウの放課後が退屈極まるのは彼にそれを楽しくする才覚の備わっていないが所為ではなく、高校一年生という制約を設けられた立場が故、或いはそれを満額で楽しんでいるか或いはそう出来ると思っているものがあるなら彼らは死郎からすれば、気狂いだ。

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 市立宝町高校一階、一年B組の教室内。

 四列離れた席に届けるべくのなかなかな声量でこれからの予定を友人に訊く女子、敗者から順にYouTubeの視聴履歴を晒される地獄じゃんけんを昼休み以来に再開する男子グループ、など。

 終業時間を迎えやおら生徒らが活気付くが、そこに交じるという選択肢を死郎は持たずただ早々と立ち去るのみ。

 或いは上履きからスニーカーに履き替えた後の道中も、精肉店の特製メンチカツを買い食いして気力回復を図ったり、ロマンを求めて古書店の店頭ワゴンを物色するといった事をせず、ベルトコンベアに載せられた自らを想像して淀みなく足早に帰宅する。

 途中、最寄りの鉄道駅を西口から東口に突っ切って徒歩十五分、携帯の電波はおろか外来語も届かない山奥の孤児院出身者が構成する一団の、その内の女子ばかりが共同生活の場とする、旧く、立派な造りの一軒家の、その庭に張った天幕が死郎の寝食の場。住人の指名で用心棒として詰めている。その役割を全う出来ているかを言えば、番犬ほどに吠えもしないが警備会社のステッカーよりは僅かに抑止効果が期待出来るか、といった程度。

 定時上がりで真っ直ぐ帰宅した人間の全員が、叉焼を煮たり、内部の視えるよう透過蓋を被せた箱状を傾けパチンコ玉をゴールに導く立体迷路を製作するなどの目的を持つ訳では決してない。死郎の場合、時間の流れを加速させる能力の不備は外でも内でも変わらない。

 頼りはノートPC。prime video、ネットもテレ東にYouTube辺りでお薦め、或いは関連動画を数珠繋ぎに再生、たまに思い出したようにブリリア ショートショートシアターオンラインで拾い物を探す、そうしてシークバーの進みを眺めて時計の針を右に回す。

 その安穏なるがらんどうを、しかし望んでいる訳ではなく、また対外的には認められるものではないが故の喧嘩代行業。

 やがて、天幕の支柱に吊るしてあるワイヤレスチャイムが鳴ると、応えて母屋の勝手口に向かう。扉をノックして直ぐに、この日の食事当番の波乃上花澄ナミノウエカスミ、通称花乃ハナノが中から顔を覗かせ、彼女から夕食の盆を受け取る。

「茶碗蒸し。レンジで出来るって知って試してみた。後で感想聞かせて」

「いや、美味いとしか言わないですよ、立場上」

「それでも」

 SNSにアカウントを持ち常に種を蒔いてはいるが、実務のなければ、死郎の日常は無為且つ空虚、言わば恒常性浪費を強いる部屋に閉じ籠もり或いは脱出を図りもせず絶望的に無益。

 その状態を見咎めずに居るのだから或いは花乃を、事業計画書を以て納得させたとは言え、死郎は理解者と認識すべきだろう。

 天幕に戻り、それの調理動画などを視て手間の多さを知り天を仰ぐような気持ちを覚えつつ、茶碗蒸しを食した。

「どうだった」

 と、空になった食器を受け取りながら花乃は既に、得意気な、自信満々といった表情を浮かべている。

「具材の大きさを揃える丁寧な仕事に如才のなさが、いや、表れてましたよね」

 花乃のその態度に反感を覚えなかったが故にそこは素直に、むしろ積極的に、肯定の気持ちを死郎は言葉にした。

「確かに美味かったですよ、いや」

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track 14 「るねっさーんす」

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 翌朝、始業までまだ充分な余裕のある時間。

 通学路上にあるコンビニエンスストア、その真裏に位置する月極駐車場の路地に向いた出入り口近く、04と番号の記された軽自動車専用スペースの車止めに、死郎が腰掛けている。

 白の開襟シャツを着用し、足下には学校指定のナイロンバッグが置かれてあり、登校途中には違いない様子。

 朝飯を摂り過ぎたが為に休憩中か、ビーチで相手に気取られぬ内にその水着姿を目に焼き付ける技術の修得中か、或いは単に時間調整をしているのか。

 そこへ、明らかに駐車場利用者ではないと思しき少年たち、死郎からしたら他校の制服をだらしなく着崩した三人連れが現れる。視線に不穏さを云わせる態度が如何にも型通り、彼らの頭上に、与太者で御座います、とネオンサインの瞬く様子が見えるよう。

 ならば彼らこそが自分の客であると言うように、尻を叩きながら立ち上がった死郎が昏い笑みを浮かべて見せる。

 応え、カイゼル髭をたくわえた小太りとマドラーみたいに細身で長身の丸眼鏡の二人が、立ち塞がるように死郎の前に出る、と。

「るねっさーんす」

 互いが手にしていた或いは赤の葡萄酒らしきが注がれたグラスを打ち鳴らす。それが寸劇の導入。

「よもやこの貧弱なおちびちゃんが死郎とかいう身の程知らずで間違いないか、下僕」

 と、カイゼル髭がバリトンボイスを響かせると、丸眼鏡が二十日鼠みたいな前歯を剥き出して調子を合わせる。

「そのようですよ伯爵様、この子猿の他に候補者らしきも見当たりませんし」

「喧嘩自慢と聞いていたのに信じ難い、まるでどこかのお見送り芸人みたいじゃないか、下僕」

「もてたくて、金髪に染めてる背の低い男がいたんですよぅ」

「なぁにぃ、やっちまったなぁ」

「二秒で倒せそうな雑魚且つ間違いなく童貞、FANZAのサンプルからパイズリシーンばかり集めたオリジナル動画作ってスマホのメモリをパンパンにしてますよ絶対」

「藪から棒になにを言い出すんだ下僕。下ネタは万人受けしないんだ、しかも具体例を挙げて想像を促すなぞ悪手の掛け合わせだ」

「斯く言う自分もバキバキの童貞なんですけどね」

「なにを脈絡もなく告白しとんじゃーい」

「パイズリ動画編集も伯爵様の趣味でしたよね」

「巻き込み曝露とか止さんかーい」

 いわゆるお約束ごとと思しく、丸眼鏡のおとぼけに対しカイゼル髭が突っ込むと同時にやはり二人が、グラスをぶつけ合う、円を拡げる高音の残響が心地の好い余韻を生む。

 その内容はともかくとして、息の合った掛け合いを間近で体験したならきっと相応、しかし死郎は馬耳東風の構え、スマホの辞書アプリで先の、るねっさーんす、という言葉の意味を調べている。

 気付いていない訳がない。

 と、掛け合う二人の後ろに控え、くちゃくちゃとガムを噛みながら険しい目付きで死郎を観察していた残りの一人が、きっとそう断じた。

 喧嘩を売られている状況に真正面から相対せず涼しい顔で遣り過ごす、死郎のその態度を、鈍感が故ではなく此方を意図的に舐め散らかしているものだと判じた。

「おい、ちび」

 どすを利かせたガム男の呼び掛けが、しかし死郎に無視される。

「おい、ちび」

 苛立ちの表れたガム男の呼び掛けが、しかし死郎に無視される。

「おい聞こえてんだろミニチュア人間、あ。お前なに余裕振ってんだ、あ。人の話はちゃんと聞けって親に教わってねえのか、あ」

 ミニチュア、という言葉の意味を調べながら死郎がようよう答える。

「いや、用件分かってるんで僕には茶番なんですよ、この前段。ただ殴り合いにはちゃんと応じますんで、そこは安心してください」

 神経を逆撫でされた、と、三人がその表情で云う。

「このちび完全に舐めとるやないかーい」

「やっちまいますか、伯爵様」

「やらいでかーい」

 先ず、グラスを地に叩き付けたカイゼル髭と丸眼鏡が死郎に迫る、葡萄酒だかが広がって出来た赤黒い染みがまるで死郎の直ぐの未来を暗示していたが然に非ず、崩折れたのは彼ら。

 崩折れた彼ら二人の向こうに、直前までと同じ姿勢のままで立っている死郎の姿をガム男は見る、スマホを、成人男子の歩幅ほどの長さの棍に持ち替えている事にそして気付く。

 腹を抱えうずくまった丸眼鏡はかろうじて息だけはしているという様子、手足を投げ出し仰向けに転がったカイゼル髭の口からはあぶく混じりの喀血が見られる。

「全く以て役不足ですよ、いや、誤用の方で」

 瞬間、ガムを噛む事を忘れていたガム男が我に返ってガムを噛む。

「油断して、そんで虚を衝かれただけの話だろ、あ。得物に頼るような奴は徒手じゃからっきしってのが定説だろ、あ」

「油断を誘うのも戦術、喧嘩に卑怯も糞もいや、ないと思いますけど」

 ガム男の浅はかなものの考えを無遠慮に指摘した死郎。

「ではお望み通り素手でお相手しましょうか。せめて一分くらいは、いや、保ってくださいよ」

 指先を地に向ける形で掌を、相手に見せるように広げ、棍を取り落として昏い笑みを浮かべて見せる。

 昨晩、窓口として開設しているSNSに仕事の依頼が舞い込み、先方自ら高校生だとその身分を明かしていた事もあり、仔細の聴き取りを目的とする面談を朝の内に行う旨を提案、待ち合わせをこの月極駐車場に指定していた。

 そこへ現れたのだからカイゼル髭も丸眼鏡も、ガム男も、依頼者かその関係者と考えるのが自然。

 その事実と、現状の成り行きを合わせて考えればこれは言わばオーディション、喧嘩代行を依頼するに死郎が相応しい人材かどうか見極める目的の。

 死郎のその読みは正解。

 そしてガム男はその立場上、追い込められる、場馴れした死郎の認めざるを得ない実力を、或いはそれこそが裏打ちする圧を、目の当たりにして充分に覚りながらそれでもやり合わねばならぬ事態に。

「それとも瓦割りでもしてみせましょうか、いや、やった事もないですけども」

 最早盲滅法に、ごみ溜めに腕を突っ込み自らに発破を掛ける言葉を掴み取り、それをガム男が場に、相応しいかどうかの精査もすっ飛ばして放る。

「手前どうやら死にてえらしいな、あ」

「いや僕がですか。あなたじゃなくて」

 その時。

 なにを燃料にしたものか、或いは意地を振り絞ったカイゼル髭が左手で死郎の左の足首を掴み、体を捻りうつ伏せの姿勢までもっていって以て立ち上がろうとする。

 死郎は先ず、カイゼル髭の手を振り払い。

 カイゼル髭は隣のスペースに停車してある軽トラのタイヤに、泥汚れを気にする余裕もないみたいに身体を密着させ上体を引き上げようと藻掻き。

 その背中に死郎が、遠慮も手心もない蹴りを先ず一発、見舞う。そしてガム男を睥睨する。

「言い忘れてましたけど僕、いや、素手だと加減が出来ないんでその積もりでお願いしますね」

 カイゼル髭の、背中の程好い肉付きが心地好い感触を生むからという訳でもないだろうが、言いながら死郎が五度、六度とそれを踏み付ける。

「あ。あ。あ。あ。あ。あ」

 即ち感情移入、まるで自分が踏み付けられていると錯覚でもしたみたいに声を漏らしたガム男が、果たして。

「もう勘弁してやってくださいすみませんでした」

 と、土下座。

 曰く、死郎の素性を調べると必ず付随して小籠包虫男ショウロンパオムシオ、通称小虫コムシの名前が挙がり、或いは彼こそが一派の長であるように読み取れる、その前提の上で以てその逸話に触れた場合に。

「こんな言い方していいかどうか分かりませんけど眉唾にしか思えなくて。最悪、自作自演で盛ってるとしてそれなら君に喧嘩代行を頼むのもどうなんだと、考えてしまったんです」

 前金を受け取り、成果報酬の支払い方法の確認がとれたなら、三日前後の欠勤を余儀なくされる程度に親を痛め付けて欲しいとする子の依頼も請ける、その翌日に親から依頼の舞い込めば元々の依頼者だろうが問題にせず鼻骨の折れるまで子の顔面を殴る。

「では対象人物の情報を、いや、預からせてもらえますか」

「請けてもらえるんですか」

 感情も人情もなく金こそ正義が基本方針、請けないという選択肢がそもそも存在しない。

「とは言えその懸念も冷静な判断だったかも分かりませんよ」

 ガム男の交際相手のバイト仲間の男子大学生が対象、問わず語りで聞かされたその理由については実に他愛なく、途中から聞き流し最終的には遮って終わらせた。

 或いは既に退屈が約束されたと落胆、その仕事への意欲を失い表情筋の全部を段ボールに詰め実家に送付してしまったような無表情で死郎が、まるで独り言ちた。

「なにせ今の小虫くんは、いや、吐き気がするほど腑抜けですから」

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 高校三年生なる身分に自らを置き、しかしながら学校指定のブレザーには袖を通さず詰襟を肩掛けして過ごす、或いはそれが隻腕を覚らせずに誤魔化す為の扮装ならば実相、盲たるは彼我のいずれか諭すべくに叩き込まずしてなるものか。

 その小虫から、呼び出される形で以て昼休みに、死郎が音楽室に顔を出すとまたぞろ目を覆わんばかりの大茶番に巻き込まれる。

 詰まり。

「今日、六月二十四日は死郎くんのお誕生日だと聞いたのです。お誕生日はみんなに感謝を思ったり、ケーキを食べさせてもらえたりするのでとっても素敵なのです」

 小虫と懇意の三塚ミツヅカ兄妹のその妹、るるが、手のひらサイズで紐付きの、水色のくまのぬいぐるみを死郎に向けて差し出しにっこりと笑顔を浮かべて見せる。

「そんな素敵な日のお祝いなのです。もしリクエストがあれば新しく創るのです、死郎くんだけのくまさんを。色とかポーズとか、表情とか、希望をお伺いするのです」

 続けて二年生の青空勇希アオゾラユウキ、通称空希クウキが桃缶を、申し訳なさそうにしつつそのラベルはしっかり正面を向けて、差し出す。

「今朝方に急に言われたものだからケーキまでは用意出来なくて。御免ね、そういう事は前以て伝えてくれるよう、小虫くんには後で改めて言っておくから。今のところは一先ずこれで、どうか何卒」

 詰まり、携帯の電波はおろか外来語も届かない山奥の孤児院出身者が構成する一団、或いはまた彼らを中心とする、資産形成を目的に個々の収支を一括管理する口座、通称エム資金参画者らが挙って、死郎の誕生日を祝おうというのだ。

 いやさ一部のものは。

 日頃から、仲間内で矢鱈滅鱈に馴れ合うばかりの現場からは距離を置いて在る死郎を、その渦中に放り込んだ場合に如何なる反応を見せるのか、それを観察してやろうという思惑を如実に表情に浮かべる程度に持ち、集っていたのだ。

 朝に相手をした与太者の言を借りれば一派の長、小虫に昏い目を向けて死郎が。

「朽木糞牆」

 御礼の言葉を口にする。

「烏合の衆の一員にすらなれない僕がこんなにも手厚く祝ってもらえるなど、いや、幸甚の至りと伝えてまだ言葉が足りませんよ」

 飽く迄も視線は小虫に刺したままで続ける。

「なにしろ好物ですから桃缶で充分過分、鮮やかな水色も軽率清爽を目指す僕としては常に傍に在って欲しい道標足る色、現状以上を望むなど以ての外との自覚の上に百万回のありがとうを捧げたい心持ちですよ、いやほんと」

 果たして。

「小心者に嬉し過ぎるサプライズは毒、来年は歳を重ねないよう努力が必要ですかね、いや」

 まるで役割を果たしたみたいな顔で死郎は、音楽室を後にした。

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 一年B組の教室に戻り席に着く。一先ず、桃缶とくまのぬいぐるみを机の上に置いてみる。

 黄桃、或いは白桃ピーチよぴぴではない方。総量185g、内固形量100g。果汁を多く含み柔らかい白桃に比し、実が固く形が崩れ難い特徴を持つ。

 水色。ぽっちゃり体型、概ね二頭身、座りポーズ。ハンドメイド品、その証たるるの字をデザインしたロゴのプリントされた特製タグ付き。

 決して戦利品などではなく、ならばと試しに、押し付けられた優しさと名付けてみるがしかし納得度は低い。

 或いはなんらかのどんなかによる挑戦を受けているような気持ちさえ、死郎は抱き始める。

 首を傾げて観察する、薄目で検める、いっそ瞑目して心眼で凝視する。

 しかし果たしてそれらは厳然と、桃缶とくまのぬいぐるみだ。

 或いは名状し難いなにかだ。

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「先ずは素直にありがとうって言えばいいんスよ。その後でなにかいろいろ言いたいなら言えばいいだけの話っスもん、やっぱ捻くれてんスよあいつ」

 と、実に素直な所感を一年生の千葉今日太チバキョウタが口にすれば、応えて小虫が三塚兄妹の兄、松理マツリを見遣る。

「へっ、批判されてんぞ今日太如きに」

「ちびで、目付きが悪くて、斜に構えた排他主義者の捻くれ者。確かに自分の事を言われてるなぁ。て馬鹿、そこまで言われてねえわ馬鹿」

「僕は好きですけどね、彼のああしたところ」

 三年生で生徒会長の清渚水流セイシャミズル、通称清流セイリュウがそう挿し込んで続ける。

「正直も過ぎると程度問題で和を乱す場合もあるでしょうが先の死郎くんに関しては、寛容度を試すほどでもない然したる悪態ではありませんでしたからね」

「え、どういう事スか駄目って事スか、好いって事スか」

 首を傾げる今日太を無視し、小虫が頬を下品に歪ませる。

「分かってんじゃねえか清流。素直さだけを基準にしちゃっちゃあその人間は、社会は、自らに貞操帯を着けるようなもんで誰も彼もがしゃっちょこばっちまうわ、なぁ」

「え、どういう事スか鯱はどこからやって来たんスか」

 先行し過ぎているのか遅れているのか、泡を食ったような顔で今日太が、三年生の神代国見カミシロクニミに縋り付く。応え、爪楊枝で引っ掻いたみたいなその糸目を国見が、更に細めて微笑んだ。

「それでいいんだ。お前は、ま、それでいいんだ」

 けだし見事な防御にして制圧、国見のその今日太への応対に学ぶべきところを見出したらしく、一年生の六神円将ロクガミエンショウが感心頻りという具合に何度もうなずいた。

 音楽室。

 先の死郎の態度を好くないものとするか否か、意見のまとまり掛けたまさにその刹那。

「な」

 小虫の、或いは不用意な発言がまたぞろ新たな対立の火種となる。

「うちの死郎は可愛いだろ」

 その我田引水を見逃さず怒気を、陽炎のように立ち上らせたのは花乃。

「御存知の通り死郎くんは今、女子寮に逗留いただいてる訳だけれどその事実を差し置いて、うちの、という言い方をするのはどういう了見かしら」

 と。

「馬鹿お前、俺と死郎の蜜月期を知らねえだろ」

 と、小虫が応じる。止せばいいのに、という表情を清流が、国見が、浮かべているのにも気付かずに。

「今ここで話して聞かせてやってもいいんだぜ、俺らの関係性を伝える逸話の数々を。或いは眉唾に聞こえたって構わねえ、なにしろ事実は揺らがねえしな、へっへっへっ」

「それが今はアンチ化してるなら蜜月も錯覚じゃなくて。上書き修正も出来ないで思い出を舐ってばっかりじゃあ、その内、寝首を掻かれるかもしれないよ」

「御忠告は痛み入るが論点ずれてんな」

「だから、うちの、死郎くんは可愛いでしょって話」

「そうだな、可愛いよなうちの死郎は」

「ほんと可愛いとこあるのよね、うちの死郎くん」

「可愛いぜえ、うちの死郎は」

「なんと言っても可愛いのようちの、女子寮に身を寄せてくれてる死郎くんてば」

「なにしろ放浪を共にした俺には分かる、俺だから分かるんだな死郎の、可愛いところが」

「女子寮のみんなで口を揃えていつも言ってるの、うちの、死郎くんは可愛いって」

 果たして。

 誰か大岡越前に成り代われるものがあるかと。

 皆が顔を見合わせている内に時間は過ぎ、午後の授業の開始を報せるチャイムこそがその俎上の人物さえ得をしない無益な対立を、終わらせたのだった。

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 放課後、宝町を横断する幹線道路に沿って流れる宝川、その河川敷。

 既に興味を失ってはいたが請けた仕事は次へ繋がる実績にして推薦状、そう割り切って、SNSを通じ依頼者が呼び出しを掛けた対象人物を待っていた死郎、しかし現れたのはそれとは違う三人組の男たち。

 それぞれ根性だけはありそうな角刈り、動きの鈍そうな巨漢、胃弱に悩んでいそうな骸骨顔、という特徴を持つ。

 彼らを認識すると同時、それはもう素直に正直に、死郎が落胆を色濃く表す。にも拘わらず角刈りが、得意気な顔で第一声。

「びびったかちびったか驚いたかこのちんちくりんめが」

 きっと当人にすれば盛大な打ち上げ花火、骸骨顔が空かさず引き継いで解説を加える。

「この度、私共も喧嘩代行業を始めさせていただきまして。その初仕事でまさかあなたの裏をかけるなどとは日頃の行いの賜物でしょうかね」

 そして巨漢が不敵に笑う。

「ふっふっはー。親しき中にも礼儀ありだー、名乗ってやるからよく聞きなー」

 先ずは角刈りが。

「呪運でーす」

 骸骨顔が続く。

「弔作でーす」

 そして最後に満を持して巨漢が。

「三波派流王で御座います」

 ここまでが一揃い、三人組のお定まりの、掴み。

 いわゆる白目、無聊に目蓋の落ちた半眼で眺めて遣り過ごしてなんらの不都合も生じない行。

「終わったぜやり切ったぜ戻って来いやこのちんちくりんめが」

 と、呪運ジュウンがまるで段取りと自らの言で以てそのお定まりを解剖すれば。

「お待たせしました、本題に入りましょう」

 と、弔作チョウサクが毅然たる態度で歴然とそれを、本来は不要のものと切り捨てる。

「ふっふっはー。数で言えば俺たちが断然有利だー、覚悟しなー」

 そして三波派流王ミナミハルオウはきっと、過去を振り返らないタイプなのだろう、実に前のめりだ。

 果たして死郎は。

「いやはやこれは、いや」

 暴力が更なる暴力を呼ぶ恐るべき連鎖のこれが、或いはこの場所ではこれこそが、実態なのだと自身に言い聞かせようと試みて、しかし。

「これはこれは、いや」

 白目で絶句、猛然と茫然に取り憑かれてしまったみたいな気分で眼前の事象を眺め抵抗も徒爾と噛み締めて染み々み思うが、精々だった。

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 同時刻、宝町高校音楽室。

 小虫が待つそこへ、円将が案内をする形で以て言わば客人を連れて来る。一年B組の男子生徒二人、校則違反の回数が多いほど誉れと思っていそうな身嗜み。

「なにか、俺の耳に入れたい事があるとかないとかって聞いてるぜ」

 背もたれに上体を投げ出すように座り、黒革の眼帯が覆う右目を肩に引き付けるような角度に顎を持ち上げている、開放と緊縛を同居させた態勢。

 二人の内、左頬に腫れと青たんをこさえた方が口を開く。

「ちょっと、死郎くんに関する事で話したい事がありまして」

 二人から見て左前方、様子を窺うように窓際で腕を組んで立っている国見の姿が在る。同じく左側の、真横辺りの席にタブレットを挟み向かい合って座った清流と今日太がオセロゲームに興じている。右斜め後ろには円将、右前方の席ではるると、今日太の姉の明日美アスミがくまのぬいぐるみの新規デザイン案を出し合っている。

 唯一の軽音楽部部員と、部活動見学の名目でたむろしている連中とを見回し、気圧されて、話を切り出し難そうにしている二人の雰囲気を読み取り小虫が、円将に人払いを指示する。

「ほら見て、空手着を着たくまさんを考えたのよ。椎那さんをモデルにしたの、いんすぱんぱんなの。だからとっても素敵なのよ」

「確かに可愛いね。でもパンパンは言っちゃ駄目、女性に向かってパンパンて言葉は言っちゃ駄目絶対、フォローが出来ないから」

「それでね、お気に召したら早速作ろうと思うのです」

「じゃあ本人に見せてみようか、このスケッチ。きっと武道場に居るよ」

 そうして、室内に小虫と客人二人を残し引き戸を閉める間際に円将が見せた表情は、そのどちらの無事を案じたものだっただろうか。

「で。言いてえ事ってなんだよ」

 大通りに面した喫茶店の開放的な屋外席にて、情報商材を売り付けるべくに言葉巧みに相手を緊縛していく時の声音で、小虫が話を促す。

 端的に言えば、死郎に暴力を振るわれたと、二人は言った。

 やっかみか迷惑行為に対する抗議か、軽音楽部とその周辺人脈を指し、音楽室組、という揶揄めいた呼称が広まっている。或いはまた彼らに対する認識の内の一つに、部外者との喧嘩沙汰は御法度、という当初は内々のものだった取り決めがある。

「なのに一方的に殴られて。ちょっとどういう積もりなのかなって」

 何故か誇らしげにそう話す青たんと、その片割れ、市松模様のおしゃれ眼鏡も詰め寄るような空気感を全身から醸す。

「それで、俺らにどうにかしてくれって話か」

「軽くお灸を据えてもらえればそれで。事を大きくしようという気もないので」

 思わずの溜め息を漏らした小虫の、頬に自然と浮かんだ歪みは苦笑か嘲笑か。

「お前らの希望は分かった。俺が直々にあいつをぶん殴る事も今ここで約束してやる、きっとお前らの話も嘘じゃねえだろうからな」

 虚偽の証言を成立させる手間と、万が一にばれてしまった後に待つ処遇を想像し、その場合の賢しらなるの選択を推量しての判断。

「でもよ」

 目を剥いて暴力的に二人を睥睨、小虫が続ける。

「俄には信じ難い話だぜ」

 上体を起こし前屈みになり、二人を下から睨め上げる構図を作る。

「あいつはよ、俺と違って器用で我慢強えんだ。境界線を見極めて越えずに済ませられる人間なんだ」

「でも殴られたんですよ事実、俺は」

 青たんが同調を求め、おしゃれ眼鏡が追随する。

「目撃者は他にもいます。必要ならそいつらにも証言させます」

「要らねえ。分かってるっつってんだろ、うるせえな」

 或いはもう直感で以て二人に、不都合な真実の秘匿があると決め付けてるみたいに小虫が苛立ちを露わにする。

「死郎がよ、俺の信頼を裏切った事は一度たりとてねえんだ、お前らなんぞに言ったところでこんな事、なんの意味もねえだろうがな」

 ならばもう眼帯も不要としてそれを、自ら外して右の眼窩を洞に抉り頬まで届く裂創を晒す。

「或いは死郎の逆鱗に触れるような事を言ったかやらかしたならお前ら、命拾いが出来ている幸運もここまでだと覚悟をするんだな」

 その洞は、中からなにが出現しても不思議がないくらいに底が知れず。

「さぁ、喋るか喋らされるか、どっちか選びな」

 そしてまた暗く、冥くて昏い黒だった。

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 再び、宝川河川敷。

 ともあれ仕事、処理を要する事案として三人組と向き合わざるを得ない、そうした自覚を以て死郎が独り言つ。

「近隣一帯で番を張るには小虫くんの打倒が必須条件、それに向けた活動のこれは、いや、一環という事で理解しますね」

 続けて頭を低くして疾駆、その速度でこそ虚を衝き圧を掛け、攻撃を予測する時間を与えない。

 然らば必然、防御もまた間に合わず。

「呪運じゃないでーす」

 十全の力で金玉を蹴り上げられた角刈りが股間を押さえ絶叫しながらのたうち回る。

「弔作じゃないでーす」

 顎下を棍で突き上げられた骸骨顔が見事な孤を描いて川面を割り、沈む。

 そして巨漢が。

「三波派流王では御座いません」

 踏み付けるような蹴りの連続を膝に高速で入れられ前のめりで地に突っ伏す。

 一方的に圧倒的に、もしかしたら殺伐たるに他愛もない喧嘩に一先ずの幕引きをした死郎だったが、しかしそれが予感の通りに退屈だったのだろう。

「いやもうほんとに、いやいやほんとに」

 未だ白目で絶句状態だった。

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 翌日。

 始業前、一年B組。

 退屈な仕事は飯に在り付く為の方便、窮屈な身分は創意工夫を忘れない為の条件。

 それとも義務を全うするだけの為に登校したなら席に着き、頬杖を突き、目蓋を閉じて時間が流れるをただ待つのみの、死郎の前に件の二人が立つ。

「昨日はすみませんでした」

 その謝罪に興味はなかったが、二人を見遣った死郎の瞳孔が開く。青たんは更に顔面に青たんを増やし、おしゃれ眼鏡も鼻根の辺りと顎下に打撲を負っていたのだ。

「いや、階段で転びでもしたんですか」

 思わず問うた死郎に対する二人の返答が、正解たる事実がところをそのままに伝える。

「小虫さんからの言伝てで、屋上で待ってるそうです」

 最早それはダンスの誘い、死郎の頬が自然と緩んだ。

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 そうして。

 冷たい風の吹く中、太陽が行方不明になっている空を見上げていた小虫が背後から聞こえた足音に応える。

「こりゃあ午後まで保ちそうにないな。死郎、お前はどう思う」

「そんな取って付けたみたいな前置き、いや、要らないんじゃないですか」

「それもそうか。俺とお前の仲だしな」

 半歩引いた右足に重心を置き百の生霊を右肩に憑けているみたいに傾いで立つ小虫が、暫し死郎を見て、後、口角を持ち上げて左の頬を歪める。

「この世界は退屈か、死郎」

「まるで無間地獄、いつが営業日か分からない秘宝館を唯一の楽しみに寂れた温泉街に連泊してるみたいな、いや、そんな気分ですね」

「そこまで深刻か。ならば遣り場のない鬱憤も溜まるか」

「卓球を極めようにも周囲は腑抜けばかり、有料チャンネルのプログラムも連日変化なしなら、いや、お手上げですよ」

「鶏群一鶴も自称じゃ疲れるだけだろ」

「他者に呉れられる秩序に与して立派な大人を、いや、目指せますかね餓鬼畜生共に」

「眼鏡の男は殴らない、そうやって自らを律する事の出来る人間だから俺はお前を信頼してるんだがな」

「頭ごなしの規則は反発心を煽るだけ。分かってるなら、いや、混沌に投じてやるのが親心なんじゃないですか」

「なるほど」

 小虫が膝を打つ。

「お前は俺をお山の大将なんかじゃないと思ってるのか。そこに齟齬が生じてたんだな」

 死郎が眉根を寄せる。

「へっ、買い被りもいいとこだ。今の俺は愚者に外界との和議を勧める調停者、改邪帰正に奴らを導く案内人なんだよ」

 或いは死郎が、普段よりも饒舌な姿を見せていたのなら、小虫もまた戯言を言って退けて斯くも堂々としたものだ。

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 昨日、一年B組の教室で。

 桃缶と、水色のくまのぬいぐるみを机の上に並べ首を傾げていた死郎に先にあやを付けたのは、その時はまだ青たんをこさえていなかった青たんとおしゃれ眼鏡。

 音楽室組の一員でありながらそこからも孤立しているように傍からは見える、実情はどんなかと半ばからかい気味に絡んできた彼らを、死郎は、当然に無視した。

 その態度を受け、舐められている、と感じた二人は自尊心を保つべくの他者への攻撃をエスカレートさせる、死郎の髪色を馬鹿にし、身長の低さを笑い、対人能力の不備を弄った。

 しかし糠に釘、一つの言葉も死郎の顎を打ち抜かない。

 苛立った二人は机上の、くまのぬいぐるみに矛先を向け、その作者の名を言い当てると再現も憚られるような言葉で彼女を侮辱した。

 ものを考えた上で敢えてそれらを用いたのなら勝手に責任を負えばよいが、無邪気に扱い弄べば無差別に自他の精神を殺ぐ刃物になり兼ねない類いの卑語。

 それを二人は関係性のない他者に向けたのだ。

 そうした道理を以て果たして死郎は、激したのだ。

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 屋上、雨の気配が更に強まった空模様の下。

「昨日、お前に殴られたって苦情をその当の本人から受けたんだがよ、間違いねえか」

 と、小虫が問う。

「その二人、音楽室に出向いた帰りに階段で転けたそうですよ、いや天網恢恢疎にして漏らさずというやつですか」

 と、死郎が嗤う。

「部外者に対する実力行使は御法度、理解してるな」

「なるほど部外者とは、いや、実にお山の大将ですね」

「道理も分からねえ内から押し付けられた秩序こそが俺には混沌だった。そして俺は経験則からしかものを語れない人間だ、あの時だって、今だってな」

「腑抜けの道理、それを言っちゃあ野暮なんじゃないですか、いや」

 互いが互いを認めている、それを言外に確かめ合う。

「だからよ、餓鬼畜生共の手前、示しの付かない真似が出来ねえんだな」

「誰が一方的に制裁を受けるなんて、いや、言いました」

 ならば殴り合いは個々の衝突ではなく二人でする作業。

「眼帯、外さなくて不都合ないですか」

 と、死郎が問う。

「いつかこの世界をぶっ壊す気でいるならよ、死郎、お前のその優しさは命取りになるぜ」

 と、小虫が笑う。

 そして雨の粒が一つ、天から落ちた。

 示し合わせたように二人は同時に左足を踏み出し、そして初撃もまた合議のあったみたいに同じく、顔面を狙った右の拳だった。

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 ダンスが済んだ。

 教室へ戻る途中、二階から階段を降りた先の踊り場で音楽室に向かうところと思しき円将と行き違う。

 鏡を覗いて確かめてはいないがおそらく、大量の鼻血を拭った痕跡は明らか、特段に左目の下辺りが熱を持っており腫れてもいるだろう、その様子を認めて円将がぎょっとして、声を上げる。

「ちょっと。階段で転びでもしたのかい」

「いや違いますよ」

 反射的に応え、その間に咄嗟に思い付いた嘘を死郎が、吐いてみる。

「もてたくてキャラ変狙って、その一環ですよ」

 しかし口にしながら既に自ら違和感を覚える、それが円将にも伝播したらしく改めて問い返される。

「階段で、転びでもしたのかい」

「いやそうですよ、転んだんですよ階段で」

 果たして一段、二段。

「あ、そうだ」

 そして三段目まで階段を降りたところで死郎が立ち止まり、円将を振り返る。

「後でリクエストがあるって、いや、三塚妹に伝えといてもらえますか」

 死郎のその言葉にまたぞろぎょっとした表情を、円将が浮かべて応えた。

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 後日、死郎のもとに、桃缶を抱きかかえたくまのぬいぐるみが届けられる。

 言わずもがなるるのお手製、色柄についてはお任せとしたところ、端切れを寄せ集めたクレイジーキルトで誂えられ、その仕上がりはどこか迫力さえも感じさせた。

 絆されるように自らリクエストをした結果の、それ、ではあるのだが、しかしやはりそれは名状し難いなにかである事に変わりはなかった。

('08.8.21)


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