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覚えておけ。おまえは、基本的にアホだ。-社会人1年目の私へ-

社会人1年目のおまえへ。

アラフォーになった、未来のおまえである僕からひとつ言っていこう。

おまえは、基本的にアホだ。
頭が悪いかというと、それほど悪いことは無いかもしれない。周りの多くの人に聞けば「いや、頭悪いひとではないでしょ」と言うだろう。それはきっと父上のDNAによるものだ。感謝しろ。

だがしかし、おまえはアホだ。
覚えておけ。
大事なことだからもう一度言う。
おまえは、アホだ。

だいたいなんだ、いきなり宮崎県都城市なんかに飛び込みやがって。一人暮らしすらしたことないくせに。就職も初めてのくせに。それを同時に始めるとか。しかも母上の目がまったく届かないほど遠い地でやるとか。おまえはアホか。いやアホだったわ。

その理由が「ここで逃げる自分はイヤだ。苦しい環境に飛び込んでこそ成長出来るはずだ」とか、なんだそのベジータみたいな発想は。アホか。それで実際に屈強なメンタルを手に入れて帰って来やがって、サイヤ人気取りかおまえは。いいかげんにしろ。母上が心配しただろうが。でも帰ってきてちょっと嬉しそうだったろうが。わかりにくい親孝行しやがって。アホだおまえは。

アホなおまえは、都城の飲み屋街で朝まで飲んで帰宅したはずが、気づいたらアパートの前で大の字で寝てただろう。たまたま通りすがったオバサン2人に起こしてもらったな。

「・・生きてる!この子、生きてるわ!」

おまえがアホなもんだから、こんな斬新な起こされ方をしてしまうんだ。そして、道挟んで向かいに住んでいる深夜バイトのお兄さんがいた。夜勤で一緒になったときに彼にその話をしただろう。「ああ、あれアナタだったんですね」と言われて、え・・・道端で寝てる人おるのに無視したん・・・って宮崎県民の光と闇を見た気になっただろう。ちがうで。それはおまえがアホなだけだ。道端で寝るなバカヤロウ。おうちに帰るまでが飲み会です。オジサンも肝に銘じます。

そういえばこんなこともあった。
深夜まで飲んで帰った翌日、喉が渇いて冷蔵庫を開けた。しかし、あるはずの麦茶がない。なんでや・・・と思ったら、冷蔵庫の上に置いてあった。おかしい。いま開けた冷蔵庫のドアポケットは埋まっていた。おかしい、と思ったらかわりにトニックシャンプーが冷やしてあったな
「いや・・・まあ、"トニックシャンプー"だから冷やした方が良いと思ったんじゃないですかね・・・」って言ったら

先輩「言いわけのがんばりどころがまちがってる」

って言われたな。おまえは本当にアホだ。
だがお前は、学生時代にサッカーで汗だくになり、喉がカラッカラで帰宅するときが良くあった。あるとき、おまえは冷蔵庫を開けてドアポケットにあったサントリーの烏龍茶(500mlペット)をがぶ飲みした。

だが、それはサントリーのウイスキー白角水割りだった。

こんなもん間違うに決まってんだろじゃなかったおまえはアホだ。しかし、今回は確認もせずトニックシャンプーを飲むという愚行をしなかった。アホだがちゃんと学習している。それはいいことだ。褒めてつかわす。

おまえはアホだから、2年程度で神奈川に帰ることが決まっているというのに現地で親友をつくってしまう。会社の同期だ。当時のおまえはいまの僕と違って痩せていてまあまあイケメンのチャラ男っぽい外見だった。しかしおまえはその自覚がないために、のちに親友となるそいつにズケズケと話しかけてクソ睨まれる

「都会から来たチャラいやつだと思っていた」って後で言われる。おまえは本当にアホだ。ちゃんと考えて話しかけろバカタレ。

「でも、仕事してる姿見てたら、オレ間違えてたって思った。こいつはそういうやつじゃない。むしろ、能力的にはハナっからモノが違う。こいつを自分と同じレベルだと思っちゃダメだ、と思ったよ」by同期

なんてことまで言ってくれるやさしいやつだ。大事にしろ。予定より早く、1年半程度で神奈川に帰ることになった。泣きそうになりながらさよならした。そしたらその1年後ぐらいにその同期の方が上京してくるというミラクルが起こる。あれから15年近く経つが、いまでも親友だ。
僕が身近な人に叩かれてへこんでいたとき、彼は「トクちゃんはそれでいいんだよ。バリバリがんばってるトクちゃんに対する嫉妬だから。気にしちゃダメ。もっと前へ行くのがトクちゃんのやるべきこと」と、僕を救ってくれた人だ。アホなおまえにも付き合ってくれる良い人だ。

おまえはアホだから、せっかく新卒で入った割と大きな企業も3年に満たずやめてしまう。「もっとクリエイティブな頭を使う仕事がしたい」と、Web業界の門をたたく。未経験のくせに。新卒で入った会社でもそれなりに能力を高く認めてもらってたのに。「毎日毎日、こんな同じ作業だけする仕事じゃ成長が止まる」とかいって。おまえはおよげたいやきくんか。こんバカチンが。

アホなおまえは、Webディレクターという仕事がどういうものなのかもよく調べずに「まあ、やってみっか」と軽い気持ちで転職する。カカロットかおまえは。
でもおまえはアホだから、その仕事が「顧客と直に接する」「プロジェクトを安全に終了まで導く」だということを全く知らなかったので、悩む。ビビる。

しかも、おまえはまた後先考えずにアホみたいにガムシャラにやってしまう。結果として「出来そうな感じ」をヨソオウもんだから、入社1.5カ月というド新人なのにリニューアル案件のメイン担当を持たされる。さらになぜか新卒新人の教育担当まで任される。どういうことなんよ・・・。おまえが悪いんだぞ!もう少しうまくやれコノヤロウ。めっちゃ不安だっただろうが!

その会社で2~3年働くことでディレクションというものを覚え、とくに「超短納期案件を一ヶ月に20本まわす」という特殊能力を手に入れる。なのに、おまえは「もっと、大型サイトの戦略策定とかできるようになりたい」と言って、また転職する。職場でも評価されていたのにまたやめる。懲りない。おまえは本当に懲りない。

しかし、アホなおまえのその行動は地獄を見ることになる。業界でもかなり有名なその会社に入ったら、見事に打ち砕かれた。おまえ、もうちょっと会社を見て選べ!死ぬだろうが!。
結果として半年に満たずやめることになるが、しかし、そこで身に着いた意識はいまも僕を支えている。「ユーザータイケン」というものを知る。まだ世の中にUXという言葉が流行する前の話だ。アホなおまえでもこの言葉と出会えたのは良かったことだろう。

そして、その後おまえはなぜか専門学校の先生になる。Web学科の責任者になる。おまえはアホか。なんでWeb制作業界から突然ガッコの先生になるんや。そんなアホなことしとるから、さらに地獄を見ることになるんやで!

詳細は省くが、まあ辛かった。しかし、教壇に立つということは大変貴重なことだ。さらに「2年間というセットのなかでどうやって人を育てるか」という観点は、他の業界にはない。「教育というのは、わかりやすく教えることじゃない。適切なハードル設定をして、そこにどう持っていくか。人を育てるのはイベントや体験だ」ということを学ぶ。これはいまでもものすごく役に立っている。

環境が合わなすぎてちょっとおかしくなってるのを見て、周りの友人たちは「もうそこやめろ。他で働けるだろ」と何度も言ってきた。にもかかわらず、アホなおまえは「いやだ。せめていま見ている学生を卒業まで見届けてからじゃないと」と言って、辞めない。精神的にヤバかったのにやめないとか、アホだぞ。そんなのは誰も評価してくれない。

でも、おまえはその教え子を全員Web業界に就職させた。さらに幾人かはWeb業界大手の就職を勝ち取った。リーマンショックがあったころだから、なかなか褒められた話だ。なのに、おまえはアホだからまた辞める

そして超弱小システム開発会社のWeb部署立ち上げを担当する。理由はこうだ。

「Web制作の大手に戻ることも考えたけど、それじゃ成長しない。一度ゼロから立ち上げるところで勝負した方が良い」

このサイヤ人気取りめ!アホか!めっちゃ大変だったわ!!!

だってさー、クライアントみんな個人商店規模だしさー、リテラシーなんてもうMAXに低いしさー、そしてこっちの会社名なんてまるで知らないしさー・・・。
というわけで、アホなおまえはここで「いかに自分が会社の看板に頼って仕事をしてきたか」ということを思い知る。ざまぁみろ。
しかも自分が立ち上げメンバーで一人しかいないから、デザイン~HTMLまですべて・・・だけじゃなく、見積書からスケジュール(WBS)、画面設計書など何から何まで自分でゼロからつくらねばならなかった。でも、おかげでドキュメントをゼロからつくりあげるという能力や発想が備わった。これが後にまあまあ名のあるWeb制作会社で大いに活躍することになる。

しかし、ここもまた2~3年でやめることになる。おまえはアホだk・・・いや、ここはおまえのせいではない。システム開発の部門が赤字つづきでたたむことになり、その部門の一部署だったWeb制作部署も終わることになったからだ。しゃーない。まあ「toksatoくんにはぜひ残ってほしい」って言われたのを1営業日もおかずに「はい、辞めます」って言ったんだけど

さて、だまってたらこのまま無職になってしまう。どうしたもんかと思っていた僕に声がかかる。アホなおまえは知名度も無いくせにブログに好き勝手に書き散らかしていたら、それを見ていた人がいた。とある有名なコミュニケーションデザイナーさんが「一緒に仕事しよう」と連絡をしてきた。とても頭の良い優秀な人で憧れてはいたものの、会ったことはなかった。その人からTwitterのDMで来たその連絡、いまも忘れない。ブログ、やっておいてよかったな。

その結果、なぜか編集プロダクションに転職することになる。もう呆れてものが言えない。もういい。そう、おまえはアホなんだ。だからもういい。そこも2年ぐらいで退職する。おお、アホだおまえは。そこでも、超大手総合商社の人に「toksatoさんはすごい!もっと有名になるべき!」って言われてたのに、いつの間にかやめていてその人をびっくりさせることになるんだけど、もういいんだ。アホなんだからしょうがない。

その後も、まあまあ名のあるWeb制作会社に入ってリーダーとかいう謎の管理職になって、知識も無いのに大型システム開発を伴うWebサイトリニューアルの担当になって。「いや、できねぇだろwww・・・まあいいか」っていうそういう後先考えないで受けるクセ、非常に良くない。そのあとぜったい苦しむから

そしてそこで4年勤務して、とうとう事業会社側の人間になった。

おまえは、基本的にアホだ。
どんだけ行き当たりばったりな生き方をすればいいんだ。苦労が絶えんじゃないか。もう少しお利口さんになってだな、穏便な生き方をせぇよ。

でもふと振り返ってみると、僕はだいぶ変なディレクターになっていた。

新卒で印刷業界の経験をしただけでなく、教育業界、出版業界の経験もある。従業員数10,000人を超える企業からたった6人の企業まで在籍したこともある。有名大手も無名弱小もある。UXを絡めた戦略策定も、システム開発の非機能要件定義もやってきた。
いま、それらがすべて活かされている。

僕ほど雑多な経験をしているWebディレクターもなかなかいないんだろう。

そう考えると、アホでいいのかもしれない。

覚えておけ。おまえは、基本的にアホだ。
でも、どうせ一つのことをずっとできる性格でもないんだし、変に利口になって優等生になってもおまえの場合は小さくまとまるだけだ。
だからまあ、きっとそれでいいんだろう。
アホのままがんばれ。そうすりゃなんかしらは手に入れている。なにより、いまの僕がそれで超楽しいんだから、それでいいのだ。

これを見ている社会人1年目のひとへ。
あんまり無駄を嫌って効率よく生きると、逆に人生つまんなくなるかもよ。っていうそんなアラフォーオッサンのお話でした。
最後まで読んでくれてありがとう。

あ、そうそう。
20代の頃は割と痩せていてまあまあイケメンだったので、ぶっちゃけ女の人には困らなかった。結婚しようと思った人も2~3人ぐらいいた。でも結婚せず、いまはアラフォーのデブサメンやってる。

「"toksatoさんは、たぶん相手を選びすぎて疲れちゃったんだ"って、社内で言われてます」by会社のオナゴ

って、言われた。しかも3人から。
「ああ、そういう噂話ね」って逃げさせてくれない人数。もう絶対みんなに言われてるやん。ひどい。

というわけで、結婚はしておいた方が良いかもしれません。
※まあ、べつに後悔してないんけどね。

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