踊り手と弾き手が紡ぎ出す物語のような時空間 ー坂口恭平×白木聖子×廣谷ゆかり@早川倉庫ー
音楽・坂口恭平×オドリ・白木聖子×美術・廣谷ゆかり、場所・早川倉庫。
白木聖子さんはダンサーでありファーマーであるそうだ。相棒の愛犬と鶏と共に、日々、自然と農業に向き合っている姿がSNSの画像から伝わってくる。牛の追い込み、野草のお茶漬け、雪かき、マヤ文字、矢沢永吉のCD。
2023年5月13日19時
早川倉庫入口のシャッターがガラガラと降りる。
外からは雨音と市電の走る音が聞こえる。
チリーン…
冷んやりとした仄暗い空間
ベルの合図で幕は開ける。
倉庫二階の階段から
ひとりの人間が降りてくる姿が見える。
黒いタンクトップに
赤いラインの入ったジャージを思わせる衣装。
引き締まってしなやかな筋肉と、自然のなかで研ぎ澄まされたかのような所作が、誤魔化しようのない美しさを浮き彫りにしていた。
その踊り手は、裸足で素顔のようだった。
魅せるというより、神さまに捧げるための舞踏のようで、性や世俗を感じさせない鳥人間のようだった。しかし崇高さのなかに、人間臭い喜怒哀楽やおかしみをも感じさせる。だからか、ずっと鳥人間の動きや感情の動きに夢中になっていた。とにかく目が離せない。弾き手の即興的なピアノと繊細に対話しながら、身体と指先が次の物語を紡ぎ出していた。一部、弾き手による詩の朗読が入ると、物語はますます迷宮入りする。高校生のとき、谷川俊太郎の音楽朗読劇で感じたあの感覚がよみがえった。
このヒトは何者なのか?
ココはドコなのか?
目の前で展開されるなにかを夢中で追うなかで、外の雨音や市電のノイズが効果音的に共鳴する瞬間が幾度とあった。ハッとした。天と交信する鳥人間によって、なにかが降りてきていたのかもしれない。
普段だったらきっと耐えられない仄暗さのなかの静寂と沈黙の時空間が、とにかく延々に心地よかったのだ。そこだけフッと時が止まったかのように、長い永い産道を通り抜けているような感覚。内臓の感覚がなかった。初めての体感で、そのような神がかった時間を、何の違和感もなく受け入れることができたのだ。
ギターの弾き語りも、世俗とは一線を画する純度の高いものだった。
鳥人間と楽器弾きが、魂をつかの間の旅へ連れて行き、最後はちゃんと「家に帰ろうか」と身体に送り届けてくれる。
チリーン…
不思議で温かい体験に包まれた約1時間半だった。
※陶芸作家・アーティストでもある廣谷ゆかりさんの美術も素晴らしく、想像力を掻き立てられました。劇中の照明も担当されていて、暗転も素晴らしかったです。
※以下、美術を画像でお楽しみ下さい。終演後に撮影しました。
※この感想レポートは、内容や時系列的に記憶違いや勘違いが含まれてる可能性があります。どうぞご了承ください。
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