とうこ

心のままに書いたり、書かなかったり。 寝言とか、タワゴトとか、 ぼやきとか。

とうこ

心のままに書いたり、書かなかったり。 寝言とか、タワゴトとか、 ぼやきとか。

最近の記事

最後の日とか。

最後の日は静かに過ごしたい。 目が覚めてはじめにそう思った。 朝から積読していたものたちに、少しずつ順番に目を通していく。 webメディア(web記事まで積読するようになってしまった)、紙もの、読みたかった書籍には手がまわりきらなかった。 そして、今年に入ってつける予定だった日記に手を出す。 といっても、すでに2024年が始まって105日が経過している。しかも今年は閏年で1日多い。何てこった。 事細かに毎日のことを遡れるのは4月中が限界。 3月、2月、1月と遡るほど

    • 8月の終わりとか。

      この8月は、きっと自分の人生を思い返したとき、きゅっとなった胸が甘かったり酸っぱかったり苦かったりするような、そんな夏になるんだろうなぁと今から考える。 どう転ぶかわからないけれど、 まだ終着点は見えないけれど、 人生が音を立てて動いたひと月だった。 そんな風にきれいなものにして、今からうまくいかなかったときのために、心を守るための準備をしているのかもしれない。 もう両手をあげたまま転ぶようなことはできないのだ。 からだが小さな頃は地面との距離も近いうえに、体がやわら

      • 16歳の夏とか。

        夏は大好きな季節だ。 寒いのが苦手な冬生まれ、夏が来るととにかくワクワクが止まらない。 そしてそんな夏は、過去に多くの失敗をした季節でもあり、そのときの嫌な記憶をいつまでも引きずっている季節でもある。 ************* 16歳の夏の終わりの嫌な思い出。 あの時なぜ私はこちらの選択をできなかったのかと、ずっとずっと後悔していたことがあった。 それに対して、突然自分の中で区切りがつけられたので、吐露してさらに整理しようと思う。 16歳の夏。 私は部活に明け暮れ

        • ひとごみとか。

          人混みのことを、誰かが人ゴミって書いていた。 もしかしたら変換ミスかもしれない。 もしかしたらそれがその人の本心なのかもしれない。 ただ、私はその言葉の並びを初めて見たとき、喉の奥がぐっと詰まって一瞬呼吸が止まった。 息を吐くと同時に、今度は心の中にもやのようなものが生まれる。 この感じを何と言うのだったか。 そう、「嫌悪感」というものを、久しぶりに体で感じた。

        最後の日とか。

          体と心とか。

          いろいろ書いていたのですが、あまり詳細を書くのもこわくなったのでふんわり。 休みたいなぁと思うのですが、休んでも何もしたいことが思いつかない。 どこに行きたいわけでも、何を食べたいわけでもない。 ただただ、何もしなくていいことが許されたい。 罪悪感を感じずに、明日の心配をすることなく、ぼんやりしてみたい……。 毎日毎日、 明日がくることの憂鬱さと 今日できなかったことの反省で 苦しい苦しいこの夜の時間から抜け出したい。 コロナ以降、ずっとずっと続いてる雪だるま状態がよ

          体と心とか。

          愛はあるのかとか。

          調子にのって1日に2本も書いてしまう。 ずっとずっとやらなくてはいけないのに、18日間引き伸ばし続けていた原稿がありました。 今日こそやらなくては、と思いながらもなかなか手が伸びなくて。 明日にしようか、いや、逃ゲチャダメダーとかもたもたもたもたした後、エンジンをかけるためになんとなく書いてみた一つ前のnote。 何も考えずに書いたので、一度あげた後、誰にも見られないうちに何度も何度もひっそり修正をしていたら久しぶりにちょっと波がやってきた気がして。 ひたすら書く

          愛はあるのかとか。

          お化粧とか。

          美容もファッションも大好きです。 コロナ前はどこに行くわけでもないのに毎月何着も服を買い、ネイルにマツエクを欠かさない生活でした。 欲しいものがあれば、メイクアイテム(いわゆるデパコス)もポイポイ気にせず購入。 お金が貯まらないわけです。 仕事のストレスをときめくものを買ったり身に纏ったりすることで発散させ、また足りない時間をお金で買い(タクシー、外食など)、週に2回以上は外で友人とお酒を楽しむ生活。 あの時の私にはそれが必要だったし、後悔はしていません。 お金はない

          お化粧とか。

          お説教したがる人とか。

          もうやだやだ。 ネットの海の中でいちいち傷ついたり落ち込んだりしているの、ただの時間の無駄だからできるだけしたくない。 嫌なものが飛んできたら読まずに削除、そしてブロック。 本当にめんどくさい。 世の中には「ファスティング」「糖質制限」というワードを聞いただけで、癇癪起こしたかのようにアドバイスという名のお説教をしてくる人がいて本当に大迷惑です。 糖質制限が流行ったときも、泣きながら主食やお米がいかに大事か語ってる人いたな…。 いや、泣かなくても……。 お腹が空

          お説教したがる人とか。

          食欲とか。

          コロナ前から体重が10kg減った。 外食(お酒)がなくなり、食事を見直してマイナス6kg。 彼と別れたショックでマイナス4kg。 前者で食生活がかなり変わったとはいえ、「あぁぁ食べたい!」みたいな衝動はたまにあった。 後者で食欲が行方不明になった。 当初は水も飲めなくなり、ラムネが主食だったときもある。 頭が回らなくなると仕事にならないから、エネルギーは必要で。 最近はなんとなく、あぁお腹がすいた気がすると思って食べるけれど、それは食欲とは似て非なるものの

          食欲とか。

          かわいそうとか。

          2020年2月28日に私の「新しい生活様式」がはじまった。 何て言うと何だかだけど、ようするに在宅勤務生活が始まったのだ。 そして今日は2022年2月28日。もうあれから2年もの時間が流れたらしい。 おめでとうニューノーマル2歳の私。 30代前半だった私も、30代後半に入ってしまった。 立派なミドサー、そして中年にいよいよつま先をつっこんでしまった感覚に慄いている。 気持ちは28歳、いや、32歳くらいと止まっている。 この2年間、私は何を得て、何を失ったのだろう

          かわいそうとか。

          ゴミとかなんとか。

          どんな職業だって、いろんな思想、考えを持つ人がいる。 例えば聖職のように思われる「教師」という仕事だって、考え方はさまざまだ。 そして仕事に対する思いや考えだってさまざま。 カイシャだけじゃない。 きっとあなたが身を置く集団だって、いろんな思想や考えを持つ人がいるはず。 マスメディアもそう。 いろんな思想、考えを持つ人がいて、それが集まり織物の目のような集団を作って、世にさまざまな情報を送り出している。 まとめてマスコミ、ましてやゴミ扱いされると悲しい。 私の

          ゴミとかなんとか。

          「あの日」のこととか。

          いろんなメディアでSNSで、著名人から一般人までさまざまな人が10年前の「あの日」を思い出して、話したり書いたりしている。 わたしは家も家族も失っていない。 高架下のお店にいたので揺れすら感じなかった。 だから自分が経験したことを書く「何か」もない。 でも、テレビ越しに見たあの映像と、あの時私たちも取り巻いた空気感は鮮明に覚えていて、とてもとても傷ついた。 被災された方はもちろんだけど、あの日を生きていた人みんなが、心に大きな傷をおった。 「わたしは被災していないから

          「あの日」のこととか。

          私のこととか。

          はじめまして、とうこです。 はじめてこのnoteというものを書いてみます。 以前はフクロウが見守る町で心に移りゆくよしなしことを、そこはかとなく書きつくしていましたが、最近フクロウさんのご機嫌が悪く、幾度となくしめ出されるたびにこの町がなくなってしまったらどうしようと心が落ち着かないので、noteも並行してはじめることにしました。 当分はフクロウの町で書いていることと同じことを、こちらにも残していく予定です。 書き始めて1分も経たずにこんなことを書くのはなんだかですが、私

          私のこととか。