東日本大震災から12年

どうも、たくとこです。
2023年3月11日午後2時46分、あの日から12年の月日が経ち、小学校入学前の幼稚園児だった私は高校を卒業しました。
それほど時間が経ってしまったんですね...
東日本大震災当時のことを改めて今少しづつ思い出しながらここに書いていきます。

幼稚園帰り、帰宅して間もなく。

2011年3月11日。
その当時、僕は幼稚園年長。
卒園式練習の日々で、本番もそろそろという中ほどんど最終確認みたいな形で練習をして、2時ごろに園バスで帰宅という日々を過ごしていました。

その日も普段通り練習が終わり、園バスで自宅に帰ってお母さんと「今日○○の練習したよー」なんて日常会話をしていました。

はっきり覚えているのは、リビングのドア側でキッチンにいるお母さんと話していて、その場所が「ピアノ」と「ハープ」の真ん中だったことです。

2:46
話が弾むなか、突如として突き上げる長い揺れに襲われます。お母さんは一目散に僕の元に駆け寄り、横のピアノのハープを両腕でそれぞれ抑えながら、身を守るように言われた気がします。

揺れは非常に長く、その中に2回ほど強い揺れ。幸い、自宅に大きな被害もなく、自分も母も怪我はしませんでした。
弟が風呂に入っていて、母が地震大丈夫だったかと聞いてもポカンとしてたそうですw

その後、テレビをつけて見はじめたお母さん。当時のニュースのことは覚えていませんが、YouTubeでNHKの震災直後の動画を見て、多分これだったんだろうなと。
それ以降のことについては全然覚えていません。

ただ、震災後のテレビは民放のcmが全て自粛し、「AC」のcmが大量に流れており、そこから最近まで続くトラウマになっていたことは言うまでもなく💦


ある時に、車のディーラーに行った帰りにコンビニに立ち寄った際、計画停電だったかは定かではありませんが、突如停電してレジが使えなくなり、店員さんは電卓で精算。僕を見た店員さんは、店内に飾ってあった「ライオンの木工玩具?」をくれました。今でも持っています。

その後

しばらくして、春休み期間中に母方の両親(祖父母)の家に泊まりに行ったことがありました。
その時はcmの自粛が減ってきていましたが、ディズニーリゾートの休園cm(眠ったシンデレラ姫と大きな時計、キラキラしたディズニーランド)が流れていました。

液状化などで駐車場が泥沼化し、営業再開の見込みが立たないなか、「再びゲストを迎える楽しい空間の準備中」という流石夢の国というようなナレーションがあった気もします。

最後に

もう今では小学生までが、当時生まれていない世代になっています。
教科書や映像などで詳しく習っていると思いますが、これからも風化させず伝え続けていきたいと改めて思いました。

あの日、幼稚園の卒園間近だった私は、今高校を卒業しました。12年は終わってしまえばあっという間です...
改めて被災者の方々のお見舞い、ご冥福をお祈りいたします。

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