おにぎり

アルバムの白黒写真
とはいっても
それは戦前のものではなく
ひとつ前の元号〈平成〉に
実家の台所で撮った写真だ

写真に残るのは台所に立つ父の後ろ姿

その時父が何を作っていたのか
思い出せないけれど
父の料理のレパートリーは
実際いくつもあって
そのどれもが華やかで
とても美味しいことだけは確かだった 

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なかでも父が得意だったのは

おにぎり

それもプラスチック製5連俵型で作った
判で押したように形のそろった
小さなおにぎり達だ

手で握ったふわっとした三角形のものは
なんとなく〈おむすび〉と呼びたくなるのだけれど、父の作っていたのはまぎれもなく〈おにぎり〉のイメージだ

いや、型押しでは
〈おにぎり〉でさえないかもしれない

具は、
細かく叩いた梅干し
お醤油たっぷり含んだおかか
焼いてほぐしたシャケ
細切りされた昆布の佃煮など

家族で旅行に出かける時は必ず父が
早朝から一人でお弁当を作っていた

大きなお重に詰めた小さなおにぎり達
甘い卵焼きには海苔が丁寧にまかれ
ちくわとこんにゃくの甘辛煮や
きつね色の唐揚げが定番だった

できたお重は新聞紙で巻いて
家族の人数分と予備の割りばしを入れて
輪ゴムで巻く
それを風呂敷に包んで車に乗り込む

旅行はいつも先手必勝で早朝出発するので
そのお弁当はよく車の中での
朝ごはんにもなった

運動会や遠足のお弁当もそうだったし
年末年始の親戚の集まりや
海水浴で泊まった民宿でも
ごはんが余ると必ず父が大きな手のひらで
小さな小さなおにぎりをいくつも作るのだ

私たち子どもはもうおなかいっぱいで
遊ぶのに夢中だったはずなのに
ついつい手が伸びてパクパクっと
食べてしまうのだった
父はいつもその様子を
本当に嬉しそうに見ていたと思う

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いつだったか
お米が大凶作だった年があった

その時に父は敢えて
〈タイ米〉を買ってきたのだった
初めて食べる外国のお米に
私たちはかなり衝撃を受けた

その年だったか
翌年だったか忘れたけれど
家族旅行で岐阜県白川郷を訪ねた
茅葺き屋根の民宿に泊まった
その日の夕食のごはんの美味しかったこと!

『いつも食べている日本のお米の美味しさ、
有り難さを感じてほしかった』

父のそんな戦略があったことを知ったのは
ずいぶんと後になってからだった

なにも〈タイ米〉が美味しくない
とかいうことではなくて
父なりの食育だったのだろう

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毎日ごはんを炊くことが当たり前になり
毎朝ごはんを食べることに決して飽きない
私の心と体の健康を支えているのは
お米だと今や断言できる

父の思いは確実に受け継がれた
いま素直にそう思えるようになった


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