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とりわけ好きなもの(常磐道編)

与野本とこです。
2度目の投稿となりました。
今回は私が高速道路と鉄道の中で特に好きな路線がそれぞれあることをお伝えします。

何故常磐道と埼京線がとりわけ好きなのか?

「何だよ!その組み合わせは!」

と思う人がいるかもしれません。
今回は常磐道推しのきっかけや流れについて述べます。

常磐道推しの経緯


きっかけ


最初に常磐道推しを初めとした高速道路好きのきっかけを述べます。
私が小学生の頃、毎年親戚の車で旅行に行ったことがありました。静岡県や栃木県等、関東やその隣県の範囲で様々な場所に行きましたが、その中で頻繁に行く場所が茨城県でした。当然、常磐道を通ることになり、毎回寄る休憩所が守谷SAと友部SAでした。
目的地は、大洗と日立の海水浴場はほぼ毎年夏に行ったことがありました。それ以外でも、筑波山、袋田の滝にも行きました。
そのきっかけが記憶に刷り込まれていき、小学4年生の秋には常磐道や守谷SAに興味を持ち始めていました。
サービスエリアにはお土産やお店等があり、高速道路を通っている時しか味わえない特別感がありました。(当時はウォークインゲートという一般道からSA・PAに入れるところがあることは知らない)
また、旅の初めに「守谷 2㎞」という案内標識を見て、利根川橋を渡ればワクワクした記憶があります。
守谷SAが好きになることから始まり、守谷SAのある常磐道に惹かれ、推していました。

当時の擬人化創作

もともと小さい頃から絵を描くのが好きだった私は、常磐道を推して以降、キャラクターの名前に「守谷」「友部」「岩間」等常磐道の施設名を使っていました。私の人生で最初の擬人化キャラクターでした。当時は「擬人化」という言葉を知りませんでしたが…
オリジナル漫画を描き始めるようになったのもその頃でした。(感覚任せだったため内容が支離滅裂でしたが…)
今の擬人化創作「じょうはい日和」のキャラクターは、当時描いたキャラクターのリメイクから来ています。

当時描いた常磐道の擬人化。某少女漫画雑誌の影響があった気がする

同時に推したものが存在、そして深く推す

小学4年生から中学1年生までの間に推した常磐道。その他には同時に推したものは茨城県と守谷市でした。常磐道と関係のある地域ですね。
特に気になった守谷市はどんな所なのか探検したくて親に言い、TXで守谷駅まで乗り、一緒に市内で探検しました。
小学6年生になると、常磐道の事が知りたくて自宅のパソコンで調べ物をしたら、延伸工事が行われていることを知りました。(当時の終点は常磐富岡まで)
高速道路網が載っている地図帳で常磐道の所ばかり見たり、数字から常磐道のキロポストを連想したり(例:15を見て守谷SAに連想、守谷SAは起点から15㎞の位置)、起点から終点までのIC・JCT・SA・PA名を丸暗記したりするなど、深く推すようになりました。

一旦離れて再燃

小学4年生から3年半推した後、別のものに興味が移ったので離れていました。
9年後、運転免許取得後に再燃しました。
当時とは違い大人になり、常磐道を見る目が変わった気がします。
運転免許取得し自分の車で運転するようになったことで、運転手の視点で見るようになりました。また、当時では知らなかった所が知れるようになりました。
「常磐道ってこんなに真っ直ぐなんだ」
「友部JCT付近って片側4車線もあったんだ」
「半地下区間になっている所(流山~柏)があるけど、あれは昔反対運動があったからなんだ。初めて知った」
「福島の方は4車線化工事やってるんだ(公式HPを見て)」
当時では知らなかったことや、離れている間に常磐道が変化したこと(全線開通とか)があり、成長を感じていました。
そして再燃1ヶ月後、擬人化創作「じょうはい日和」を進めたり、高速道路を含む風景画を描いたりし、私の得意分野の軸の1つとなりました。
私にとっての「常磐道」は、初めて推した後に左右される程人生の影響が大きい道路だと思っています。

埼京線推しのきっかけや流れはまた後日お伝えします。

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