「なにかと困る 磯貝プリント株式会社」第4話
4 蓋であって蓋じゃない
郵便物の仕分けをして、各担当者の机上に配っていると、バタバタと大きな足音が階段を上ってくるのが聞こえ、事務所の入り口で止まった。
「い、石井くんっ……!」
朝から銀行との往復で体力を使い切ったのか、ドア枠と膝に手をついた姿勢の大塚さんが立っていた。
「おはようございますー。振り込み、お疲れさまでしたー」
離れたまま挨拶をして郵便物の配布を続けようとしたが、大塚さんが事務所に入ってくる気配がない。改めて入り口を見ると、せわしなく手招きをしている。『僕?』と自分を指差すと、大塚さんの手招きの速度が上がった。一体なんだろうと思いながら、郵便物の束を自席に置いて事務室を出た。
大塚さんに左手首をつかまれて給湯室へ連れていかれる。捻挫した方の手である。
「お、大塚さん。さすがに引っ張られると痛い……」
「あ。ごめん」
大塚さんは投げ捨てるように手を放した。それから、僕を給湯室の奥の角に押し付けると、一旦廊下を見渡しにいって、すぐに戻ってきた。それからなぜか戸棚の中をひっかき回していたかと思うと、僕の横の壁に片手をついた。
「えっと、大塚さん。なんだろ、これ? 僕、壁ドンされてるんですかね?」
僕の軽口なんか耳に届いていないらしく、大塚さんはさらにもう片方の手も壁についた。完全に角に閉じ込められている。なんだ、これ。
「……わかったわよ」
「へ? 僕、まったくわからないんですけど」
「蓋よ、蓋」
「え。蓋の謎、解けたんですか?」
「蓋であって、蓋じゃなかったのよ」
「は? ますますわからないんですけど」
大塚さんはにやりと笑う。
「銀行にヒントがあったわ」
そう言って、撮影画像を表示したスマホを印籠みたいに掲げた。
*
「ありがとうございました」
今村課長があちこちを回って頭を下げている。
「いやいや、気にしないで」
「よかった、よかった」
そんな声を返されている。
僕と大塚さんは事務所の入り口でその様子を眺めていた。
「石井ちゃん、つかっちゃん、ちょっと」
背後からの声に振り向くと、磯貝社長が顎をしゃくって三階に来るよう促した。僕たちは顔を見合わせてから階段を上った。
社長室に入ると、磯貝専務が応接用のソファに座っていた。目の前のテーブルに、社長室にはふさわしくないオブジェが鎮座している。
「あら。かわいい」
大塚さんがいつになく高い声を上げる。
僕たちがよく見えるようにと、磯貝専務が立ち上がって応接セットから離れた。
「今村ちゃんの娘さんから。うちの会社にプレゼントだってよ」
磯貝社長が嬉しそうに言う。
「よくできてますねえ」
大塚さんが目を細める。
そこにあるのは、おとぎ話に出てくるような西洋風のお城だった。
一週間前のあの日、大塚さんが見せてくれた画像はキリンだった。いくつもの紙筒を繋ぎ合わせて彩色を施した、大人の背丈ほどもあるキリン。なんでも、銀行のロビーに展示してあったのだという。画用紙の作品プレートが付いていて、小学校名と3年1組一同と書いてあったらしい。
それを見て、ピンときたそうだ。謎の人物の狙いは、蓋ではなく、ラップの芯だったのではないかと。
そこまで言われても僕はなにもわからなかったのだが、一緒に大塚さんの推理を聞かされた社長と専務は「なるほど」と呟いた。小学校ではよく、図工の材料として空き箱やトイレットペーパーの芯などを持っていくことがあるのだという。今回はラップの芯が必要だったのではないかというのだ。
今村課長に見つからないようにと戸棚に隠していた使用済みラップの箱は、すべて芯が抜かれていたことを大塚さんが確認している。あれだけ目ざとく口うるさい今村課長がラップの使用に関してだけ気づかなかったとは考えにくい。その前提で見張ってみたところ、今村課長が戸棚から芯を持ち去るのを目撃したのだった。
容れ物の蓋がなくなれば、代用としてラップを使う。蓋が何度もなくなれば、ラップはどんどんなくなっていく。実際、戸棚には使用済みのラップの箱がたくさんあった。
どの家庭でも、図工の材料は集めるのに苦労するらしい。それがましてや自宅でラップを使用していないとなると、入手経路がない。そこで目を付けたのが職場だった。
ところが、ここでも問題があった。常日頃、資源がどうのと言い続けている手前、ラップの芯が必要だなどと言えるはずもなかったのだ。今村課長は困った。
しかも、小学校からはひと月も前に知らされていたのに、途方に暮れているうちに一週間前にまで迫ってしまった。いまさら普段の言動に反することはできない。でもそのせいで娘を困らせるわけにはいかない。
追い詰められた今村課長が思いついたのが、ほかの人に使ってもらおうということだった。本来ならば、他人の資源消費にまで干渉するところだが、そこだけは折れるしかなかった。
今村課長はせっせと蓋を外し、誰かが――だいたいは大塚さんだったのだが――せっせとラップを使い切ってくれるのを待っていたわけだ。
大塚さんの推理を聞いたあと、社長は今村課長を除く全員に社内メールを送った。全員とはいっても、作業場の従業員は社内メールアドレスを振り分けられていないから、正しくは事務室勤務の従業員だけということになる。それでもかなりの人数だ。そこに不要なラップの芯があったら持ってきてくれるようにと指示したのだ。もちろん、無理に使い切ることのないようにとの念押しをして。
そして集まった芯を今村課長に渡した。課長は初めに絶句し、すぐ赤面した。それから、泣いた。泣きながら謝った。誰も責めなかった。社長なんて豪快に笑っていた。
*
あれから、今村課長のエコ活動が控えめになったかというと、そんなことはない。だけど、言う方も言われる方も無理のない範囲で相手を尊重するようにはなった。
今村少女の作ったお城は今も社長室にある。
そして僕は営業車を走らせている。
(第一章 また蓋がなくなりました/完)