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これまでにない気づきのあるオリンピック

競技が始まり、改めて、選手のための祭典なのだと感じたオリンピック。

開会直前まで続いた大人たちのゴタゴタで、少し斜めな気持ちで見ていた開会式。
演出について思うところはたくさんあったけれど、選手の入場行進が始まってすぐに、ああ、これはこの人たちのためのお祭りなんだなと思った。

1年延期されてもなお、安心できないこの状況下、たくさんの制約を乗り越え、その日に照準を合わせてやってきた選手たち。
やっとオリンピックを迎えられたという彼らの輝きは、選曲やプラカードがどうのとは別次元だった。

各競技が始まり、たくさんの選手が活躍している。ただただ、その瞬間を画面越しに目撃しているだけなのだけれど、何度も何度も鳥肌が立ってしまう。

親近感あふれる解説も心地よかったスケートボードは、これまでの競技にない気持ちよさのある競技だった。ほとんどの選手は10〜20代前半。技が決まれば讃えあい、失敗しても笑顔が見えたり。楽しんでいる感じがとてもよかった。これからはこういう若い世代が世界の主役でないといけないと強く感じた。
大人の部類に入る私は、ここぞという時には彼らに気持ちよくバトンを渡せる勇気を持っていたい。そして若い世代にもリスペクトされるだけの人間でありたいと、奮い立たされる思いがした。

メダルラッシュが続いた柔道では「自分の柔道」という言葉が耳に残った。柔道精神を表す言葉のひとつ「精力善用」は、柔道とは人間としての成長や人格形成のための修行だ、というもの。自分の柔道を求めて戦った彼らは、真に自分の「道」を極めた人だ。神々しさすら感じるその姿はまぶしかった。

そしてもうひとつ、大きな発見があった。
ニュース速報を告げる、あの音への感じ方が変わったことだ。ニュース速報といえば、事件か?事故か?災害か?と、一瞬ドキッとさせられるものだった。それがオリンピックが始まって以来、日本選手のメダル獲得を知らせるハッピーなお知らせとなり、身構えずに、画面に目をやれるようになった。
オリンピックは平和の祭典。ほんとにそうなんだなーと感じている。


まだまだ競技は続く。
開催については賛否あるし、始まってしまったのだからとなし崩しなつもりもないけれども、純粋にスポーツを楽しむことはすごく心にいいことだな、と思う。とくにこんな時代だからこそ。


メダルを獲得した選手たちに渡されるビクトリーブーケ。最初はなんだかパッとしないなーと思っていたのだけれど、東北で咲いた花を使っていると聞いて、このオリンピックにふさわしい、意味のある花束だなと、今はむしろ誇らしく感じている。

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