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ちょっとだけ明治はじまり雑学集

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いま身の回りにある、あんな物もこんな言葉も、すべては明治時代に原点がありました!当ブログ連載中にちょっとだけ紹介した雑学を一挙に集めてみました!
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記事一覧

#025 万博バンザイ!

「美術」という単語が生まれたのは、ウィーン万国博覧会がきっかけであることを前回述べました…

#026 ちょっとだけ大学物語

坪内逍遥の『小説神髄』本文冒頭は、次のように始まります。 小説の美術たる由を明らめまくせ…

#027 日本の貝から始まった!

1853年に、マシュー・ペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が…

#028 明治が始まる微妙な半年間

1868年は明治元年なのですが、厳密にいうと、この年は、ほとんどが慶応4年で、明治は1868年の9…

#042 オランダと辞書と「社会」の話

安土桃山時代の頃は、スペインやポルトガルとの貿易によって開国維持政策がとられてました。い…

#043 ちょっとだけ新聞と「社会」の話

1875(明治8)年1月14日の東京日日新聞にて、福地桜痴(1841-1906)が執筆した記事に、「社会」と…

#045 日本語は鵺のようだ

1875(明治8)年8月29日付の東京日日新聞にて、福地桜痴(1841-1906)は、こんな一文から始まる社説を載せています。 日本ノ文章ハ、将来ニ於テ、如何ナル体裁ニ帰スベキカ ヨーロッパに留学経験のある桜痴にとっては、日本語の文体は複雑すぎており、しかも、公と私を繋ぐ新聞というメディアに携わったことによって、この問題は、ますます喫緊の課題になっていたのでしょう。 現ニ世上ニ行ハルル所ノ文体ヲ大別シテ三種トナサザルヲ得ズ。論説、記事、尺牘(セキトク)コレナリ。 尺牘

#054 国語と教科書と標準語の話

坪内逍遥の『小説神髄』は、「文体論」に多くの紙数を割いています。 それは、我が国に本物の…

#055 事件は現場で起きてるんだ!

上田万年(1867-1937)は、1898(明治31)年、『太陽』で「内地雑居後に於ける語学問題」を書き、…

#077 ちょっとだけ牛肉店の話

では今日も、坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。 万世橋で偶然出会った…

#081 ちょっとだけ法学校の話

さて、今日も、坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。 門限に合わせた帰宅…

#147 ちょっとだけ時刻の話

面白い話にも関わらず、常識がズレてしまったため、なかなか醍醐味が伝わらない話というものが…

#152 ちょっとだけ心理学の話

坪内逍遥は『小説神髄』でこんなことを言っています。 稗官者流は心理学者のごとし。宜しく心…

#202 ちょっとだけ百科事典の話

今日は坪内逍遥の『当世書生気質』からちょっとだけ寄り道したいと思います。 学校を退校した山村くんと継原くんは、海外の辞書の翻訳をするバイトを始めますが、翻訳の出来高に応じて料金を支払う形態は、かつて「賃訳」と呼ばれていました。 石井研堂(1865-1943)の『明治事物起原』(1908)の「賃訳所の始」には、「依頼に応じて、洋文飜訳をやる所は、明治五年秋に始れり」と書かれてあり、「この時代は、飜訳の仕事が多く、『賃訳』といふ新しい言葉さへ出来せり」と説明しています。そして