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HSPの育自

息子の不登校をきっかけに、HSC(Highly Sensitive Child)という概念に出合い、調べ始めました。


私はHSP?

子どもがHSCだなと思うと、自分自身はどうなんだろう?HSPなのかな?と思いを巡らせました。
HSC(P)は遺伝的な気質だからです。
HSPチェックリストや「DOES」にあてはまるかどうかを考え、「私、HSPだな」と判断しました。

HSPの親として、HSCの我が子にこれからできることはなんだろう?

そうして、HSPやHSCについての知識を学んでいくうちに、
これまでの私の感じ方や捉え方について、必ずしもみんなそうではないということを知り、衝撃を受けました。

たとえば、イベントや行事などでは、みんなと同じ時間を過ごして楽しんでいるのに、自分だけ極度の疲労を感じている気がしていました。

気のせいだと思ってやり過ごしてきましたが、HSPの特徴である、ささいなことを察知したり、深く処理したり、過剰に刺激を受けている結果、起こっていたのだと思うと、なんだか納得できました。

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HSPの子育て

子育てにおいては、二人の子どもたちの要求が手に取るようにわかりました。子どもと以心伝心でいられる感覚がとても心地良くて、育児って楽チン、楽しー!と思っていました。今考えると、これもささいな変化に気づいたり、共感力の高いHSPならではだったのかもしれません。

一方で、要求がわかっているのに、実際には一人ひとりすべての要求には応えてあげられないことを感じた時、かなりのストレスを抱えていました。(今もまだまだあります)

疲れやすいのに完璧主義なところもHSPの特徴にあるので、そんな一面が際立ってしまうのでしょうか。子どもの頃、「何事にも全力で取り組む」という目標をよく書いていたことを思い出します。

こうやって自分でストレスフルになりやすい局面を自覚すると、「完璧にこなすことは不可能なのだから60点で万々歳だ」などと考えられるようになり、だんだんと自分に◯をつけられるようになってきました。

HSPを取り戻す

自分がHSPだと自覚してから気づいたのは、HSPの醍醐味である感受性をこれまでいかに疎かにしていたかということでした。

なぜなら、その方が生きやすかったからです。実際に、子どもが不登校になるまで、生きにくいと感じた覚えはありませんでした。自分が周りや社会に適応するために、自分の感覚を麻痺させてきたことに、やっと気づかされたのです。

大切なのは、自分がどう感じているのかという感覚を思い出すこと。

そう考えて、ポジティブだけなく、ネガティブな感情も含めて、「私はどんな感情を抱いているか?」について、徹底的に向き合い始めました。

特にネガティブな感情は、「持ってはいけない」と蓋をしがちだったので、「不安、寂しさ、憤り、恐れ」などを感じることを認めることで、足元がおぼつかなくなるような心もとない気分になりました。

そうすると、必然的に他人に頼らざるを得なくなりました。

ここで、「助けて、ヘルプー」と言うことはダメなことと思い込んできたことにも気づきました。人を頼るってこういうことなんだと。人を信頼するってことなんだと。

こうして、試行錯誤して、感じるチカラを取り戻していきました。まだ今も実践中です。

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まとめ

私は、子どものHSCという気質を知ることで、自分自身の気質(HSP)を知り、遅ればせながら自分自身と向き合い始めました。

HSPに限らず、すべての親は完璧な存在ではありません。

育児でも家事でも仕事でも、得意なこと、苦手なことがあります。

得意なことはどんどん生かせばいい。

苦手なことは克服しようとするのではなく、60点で上出来だと思って、うまく付き合えばいい。

「育児は育自」

ということをどこかの子育て講演会で何度か耳にしてきましたが、ピンときていませんでした。

今、痛切にその言葉の意味をかみしめています。

子どもは未熟な存在で、いろんなことを教えてあげなければならないと思っていました。

ですが、逆でした。

子どもは人間として大切なことをよく知っています。

私の場合は、人間として感じるチカラを取り戻すことが「育自」の始まりでした。

あなたは今どんな感情を抱いていますか?







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