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お客さまは、なぜ『客』なのか?

 誰もが当たり前のように(すなわち何も考えずに)使っている言葉に、しばしば遭遇する。言葉は概念につけられた目印みたいなものだから、言葉がいいかげんなのは概念のいいかげんさを示す。そのような言葉に、あらためて焦点をあてて考察すれば、新たな知見が得られることだろう。

 今回は「客」という言葉。なぜ「訪」や「来」ではなく「客」なのか。こういうときには、まず「客」を使った言葉を調べて、そこから特徴をあぶり出せばいい。

 客観⇔主観、客体⇔主体・・・「客」には「外にあるもの、自分とは離れているもの」という意味があるのだろう。そういえば旅行先で不幸にして亡くなれば客死だ。客年(昨年のこと)・・・「過ぎ去った」という意味もありそうだ。論客・・・「人」という意味ももつのだろう。客人・・・「一時的に来ている」という意味だろうか。このように考えていくと、「客」というのは『ふだんは外にいて、一時的に来ているが、やがて帰っていく人』と理解できよう。言ってみれば、かぐや姫みたいなものか。

 問題はここからだ。この理解によれば、「客」と「主」(店だったり会社だったり)との間には明らかに一線が引かれている。ほんとにそうなのか、それでいいのか

 まだスーパーがなかった頃、八百屋では「ニンジンとタマネギちょうだい」と客が言えば、ザルから袋に入れて渡してくれるのは八百屋のオヤジさんの仕事だった。客はアレとコレと指示するだけでよかったのだ。スーパーが登場すると、客は自分でレジまで持って行かなければならい。つまり「主」の業務の一端を「客」に委ねたとみることができよう。

 AKBグループのビジネスモデルは凄い。ふつうなら、センターに誰を置くかというのは、人気に直結するためプロダクションの専権事項だ。だがAKBグループでは、それを「客」に委ねた。それが総選挙という仕組みだろう。考えてもみれば、おカネを払うのは「客」なのだから、「客」の好きなようにさせるというのは合理的でさえある。

 このように、かつては「主」の業務だった部分を「客」に委ねるという現象は、いろいろなところで観ることができる。つまり「主」と「客」の間にある一線が揺らぎ始めたのだ。もはや「客」は帰って行く人ではない。ずるずると関係を保とうとする存在だ。

 「主」のもっとも重要な業務は「企画」だろう。「客」によろこんで買ってもらうために、必死になってニーズを探索する。外れれば大きな損失になるというリスクを構造的に孕んでいる。だとすれば、AKBのように「客」に委ねてもいいのではなかろうか。じつは、その仕組みはすでにある。それがクラウド・ファンディングなのだ。

【結論】 もはや「客」は帰って行く人ではない。業務の一部を「客」にオープン化することで、あらたな顧客関係性が築かれる。「お客さまは神様」の時代から「お客さまは仲間」の時代へと移っていると言えるだろう。

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