なぜ『お宿図鑑』を出したのか
中学生の頃、なんとなく自分の本を出したい、と夢を持った時期があった。
本を出すなら中学生旅行記、とかどうだろう。とその頃は本を出すこと自体が目的であったが、国語の先生に相談したら一蹴された。
そこで、本を出したいという思いはいったん途絶える。
とても残念に思ったが、それは今となったら笑い話。
その頃、幼少期から読んでいた『河童が覗いたヨーロッパ』にアイデアを得て、建物の内観パースを描き始めた。
まったく趣味の範囲で自己満足だったが、どうせなら自分なりのスタイルを編み出したい、と様々な画角を試していた。
授業ノート、教科書、そしてテスト用紙にもパースの落書き。しかし受験勉強に差し掛かると、次第に絵のことなど忘れていった。
その後大学へ進み建築を修めることになるが、すべての転機は大学3年に上がってからのこと。
令和2年、コロナのパンデミックで身動きの取れない状況が訪れ、たくさんの時間を持て余すようになった。
実家に籠って何を考えたかわからないが、昔訪れた宿の部屋を回想してパースを描きはじめたのだ。
建築を学ぶうちに少し見方も変わって、また絵を描こうとすることで初めて観察する部分もたくさん残されていることに気づいた。
自分の建築の勉強のためにと思って、訪れた地でスケッチを描く習慣をつけた。
これがはかどった。コロナ中はどの宿も空いていて、また補助金もあって安いので、絵を描くにはもってこいの環境だったのだ。
令和3年。Twitterで「宿泊できる歴史的建造物一覧」を投稿。瞬く間に拡散し、意外にも興味のある人々の多いことを知る。
それ以来、伝統建築の旅館の世界を後世に受け継ぐ、というテーマができ、情報サイト「ときやど」を開設。
併せてTwitterでは宿関係の情報発信を強化し、またスケッチも好評を博すようになった。
それ以来Twitter「建築学生の呟き」は影響力を増やしていたが、到達できる層に限界を感じ始めていた。
本来の目的を考えれば、すでに興味を持っている人々よりも、もっと世間一般の人々に到達する方法を探すべきである。
そう思い、細々とSNSを続けながらもメディア出演や出版に可能性を見出すようになった。
本を出すきっかけは令和4年の7月13日、誕生日の一日前。
自分で特大の誕生日プレゼントを作ろうと思ってスケッチの画像付きで投稿した「あてがあれば出版したいなぁ」tweet。
一つくらいは出版の提案をいただけるかな、と安易に期待していた。
いざ蓋を開けてみるとこれまた予想以上の大きな反響があり、逆就活のような状況が訪れたのだ。
画集から雑誌、マンガまで様々な提案があったが、「ときやどに興味のある人を増やす」「楽しく泊まれるように」という目的のために、スケッチで解説するガイドブックを出版したいと思い、それが『お宿図鑑』となったのだ。
私の何事にもあてはまるのだが、特に脈略もなくなんとなく続けてきたことが次第に紐づき、何となく筋書きとして成立してしまうのは『お宿図鑑』の経緯を見てもまさにそう。それは常に自分のやりたいことを続けてこれたからで、その状況を作り出してくれた皆様のご協力のお陰に他ならない。そのご協力を無駄にせず、一つでも成果物として世に送り出せたことが最大の喜びであり、また近頃の大きな反響を通して、どれだけ有難く恵まれた環境を享受していたか再認識させられる。
そう思うと、『お宿図鑑』をいかに褒められても一人で舞い上がらず、常に冷静でありたいと思う。