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塔 #00b

【承前】

時間も物質も超越した宇宙の特異点にて、禁断の知識にこの手で直接触れた瞬間のことは、今でも鮮明に憶えている。
そのとき私が人間であったかどうかは疑わしい。肉体の概念はとうに無く、あらゆる知覚はかつての名残で擬似的な五感として感じ取っていたに過ぎない。

果てしなく眩い光の中、手を伸ばし、神秘に指先が触れたと感じた。
その瞬間、私という存在は消し飛んだ。

…………否。

未だこうして思考を続けているのは、少なくともその残滓が存在している証だ。

究極の知識とはこの宇宙そのものであり、その一産物に過ぎぬ私が直接触れて無事でいられる筈がなかった。私は弾き飛ばされた。
奇蹟的にも辛うじて人格は消滅せず、僅かに掴み取った叡智の断片とともに、今ここに私は在るのだ。

いつしか、私は、螺旋階段を降っていた。
…螺旋階段という概念を。

一段一段下りる毎に、ものごとは形而下化していった。概念の階段は具体的な物質へと徐々に変化してゆき、私自身も徐々に朧な仮初の肉体を模っていった。

時間の観念が甦るに従って、自分が元いた世界から完全に切り離されたのだと認識するようになった。そこでは私は最初から存在しなかったことになっているに違いない。過去のいかなる記憶も、今の私には無かった。

劫初の時より無限遠の彼方に輝く神秘の玉座。そこに到達した経緯は憶えていない。これと同様の螺旋階段を登ったのだろうか。だがそうだとしても、世界から切り離された私が元へと引き返す道は既に消滅した。

では代わりに出現したこの階段を降った先、いかなる世界が待ち受けるというのか。もはや禁断の知識から弾き返され、行く宛も無い筈のこの私に。

どのくらい下ったかは測り知れない。
階段が半物質とでも呼ぶべきクリスタルの様な状態になった頃、私は円形ドームの大広間に到達した。

驚いたことに、広間の反対側から、時同じくして一人の若者が姿を現した。

青灰色のフードつきマント。背には杖と箒をクロスさせて差している。細かくウェーブのかかった黒茶の髪は短く切られており、顔立ちは色白で端正といえた。
私の姿を認め、僅かに息を呑むのが見て取れた。

私は瞬時に悟っていた。
それが自分の生き写しであることを。
そこにおよそ10年の隔たりがあることを。

彼の姿はおそらく20代半ば。ならば10年前の自分と対峙している構図となろう。時間の観念が未だ曖昧なこの空間において、そのことにどれほどの意味があるか、疑問ではあったが。

未だ残響の如くこの身に宿り、有り余って渦巻く叡智が、即座に答を導き出した。
この空間に二人は同時に存在できない。そして自分が進む道は、この広間の先に続く下り階段であるのだと。

【続く】

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