現代矢倉と飛車先の変遷

 現代矢倉へ至るまでの飛車先の変遷が面白いため、ご紹介したいと思います。

◇そもそも矢倉とは

 初手より
 ▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀(図1)

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 図1または最後の▲7七銀を▲6六歩に代えた図2のような序盤から始まる戦型を、矢倉と呼びます。正確には図2は先手がまだ雁木や振り飛車も選べるため、必ずしも矢倉になるとは限りませんが、先手が望めば矢倉を選ぶことができます。
 矢倉の特徴は
 ・角交換をしていない
 ・お互いに飛車先交換を防ぐことが容易

 という点にあります。角交換も飛車先交換もしない場合、非常にじっくりとした将棋になります。将棋の基本といわれる「玉の周りは金銀3枚の矢倉」「攻めは飛角銀桂香」が実現しやすく、先後どちらを持っても総力戦となることが多いです。
 「矢倉は将棋の純文学」といわれることもありますが、故・米長永世棋聖は「ネチネチしてるから」という理由でそう仰ったようです。実際、飛車や角を動かして間合いを図ったり、相手の攻めをB面攻撃で牽制したりすることも多く、派手さの少ない将棋ではあります。

◇歴史と変遷

 今回の主題である矢倉の変遷は、飛車先と密接に関わっています。
 当初の矢倉は▲2六歩や▲2五歩を突くのが普通と思われていました。居飛車であり、いつか突く以上は自然です。急戦矢倉が試行錯誤されたり、棒銀・雀刺し・▲2九飛戦法が3すくみとなったりしていました。

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 しかし、田中寅彦先生が「▲2六歩はいつでも突けるので、後回しにした方が得」ということを発見します。この新24手組と呼ばれる飛車先不突き矢倉は、特に後手の急戦に対応しやすいとされ主流となっていきます。後手の急戦がほとんど駆逐され、後手矢倉急戦がプロ間で変化球のような扱いになっていくと同時に、昭和~平成にかけて持久戦の矢倉が隆盛を極めます。森下システムや加藤流▲3七銀戦法を代表に、有吉流▲4六銀・3七桂戦法も指されるようになっていきます。

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 平成後期、急戦矢倉は永世竜王がかかった平成20年(2008年)の第21期竜王戦など、稀に大勝負で採用されては一時的な流行や特定の棋士が指すものの、すっかり鳴りを潜めてしまっていました。代わって持久戦は非常によく指され、中でも▲4六銀・3七桂戦法は宮田新手から91手組と呼ばれる長大な定跡すら誕生しています。

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 そこに塚田先生による△4五歩の反発などにより▲4六銀・3七桂戦法は次第に数を減らします。大きな打撃を受けた矢倉ですが、致命打となったのは彗星のごとく現れた矢倉左美濃急戦です。この革命的な後手急戦は猛威をふるい、なんと当時の矢倉をほとんど駆逐してしまいます。

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 しかし近年、後手番の急戦が強力であることを認めた先手は、早々に飛車先を▲2六歩~2五歩と突きこして急戦を牽制することで復活を遂げました。現代矢倉の誕生です。

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 現在はこの飛車先を突き越す形から、様々な作戦が試行錯誤されています。かつて廃れた急戦矢倉でしたが、今では先手も後手も常に選択肢にあるほどではないでしょうか。
 将棋ではよくあることですが、「居飛車なので飛車先を突く」→「後回しにできるので飛車先を保留する」→「急戦を牽制するために飛車先は突かなければならない」と意味合いは進化しつつも、一周回って同じ手が出てくるのが面白いところですね。

◇終わりに
 ということで現代矢倉へ至るまでの、矢倉戦における飛車先の変遷でした。将棋や戦型の歴史は面白いものが多いので、興味をもって頂けたら嬉しいです。

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