陸だけで満足できるタマじゃない『泳げ鳥類・飛べ哺乳類』Vol.1を読んで
野良之コウモリさん・かきもちりさんの
短歌ユニット「泳げ鳥類・飛べ哺乳類」
初のネプリを拝読しました。
読む前・印刷前にお二人のスペースを
さらに楽しめると思います
なんとおどろくことに
ネプリの発行期間中でもネタバレ可
そうであれば遠慮なく
スマホ対応改行終わり
以下ネタバレがあります
陸だけで満足できるタマじゃない『泳げ鳥類・飛べ哺乳類』Vol.1全感想
質問・返答・短歌 の感想
質問/短歌①:成長について
質問と返答部分
この一文にコウモリさんのストイックさ(良い意味での貪欲さ)のを垣間見た気がします。
句跨り字余りの一首。「なのに何」部分の韻律がとても好きです。返答を読んだ後この一首を読むと満足げに横たわる主体が想像できなお◎
質問/短歌②:孤独について
質問と返答部分
今度は質問部分でコウモリさんの意外?な一面が見えます。それに対するかきもちりさんの返答に共感を覚えます。以前にも言及しましたがかきもちりさんが黒い背景を用いて短歌を発表する際の一首が私は好きなのですが、その理由をなんとなくこの返答部分から感じました。
初句〜三句の美しい情景から四句・結句の孤独な内省にフォーカスしていく様子がとても好きな一首。なぜだか「うっすらすけて」を「助けて」と読み間違えてしまいます。美しい孤独。
質問/短歌③:扉について
質問と返答部分
にコウモリさんらしさを感じます。私は彼を本人がいないところで「ぶっきらぼうに見えるけれど優しい人」と勝手に呼んでいます。ぐへへ。なぜそう感じるは上記の「以上」から後半の部分。コウモリさんはいつもちゃんと問いを受けてご自身なりの答えを返してくれるから。
思い出を思い返す情景と読みました。錆びついて諦めなければならない記憶や出来事をいつまでも大切に心の中に持っているようで穏やかな寂しさを感じます。
質問/短歌④:輪廻について
質問と返答部分
「輪廻を半笑いで」考えたことが私には無いのですが、というか二人とも「半笑いになる」と述べてはいますがかなり真面目に質問・返答をしていて微笑ましく読みました。(「ザ・フライ」の部分はちょっと置いておいて)かきもちりさんの「返答」後半部分は「なぜ生きているんだろう」と悩む人に読んでほしいなと感じます。
フリーハンドで正円を描こうと試みたことがなければ今皆さんも描いてみて下さい。恐らく歪むと思います。ですがこれを何日も何日も繰り返していくと不思議と円は整ってくる、ただし歪みのない正しい円にはならないままです。輪廻は存在しないかもしれません、生命は始まった時に終わりが約束されています。しかし終止符を打つ過程だけは自分で決める事ができます。言いたい事がうまく言えなくなってきましたが主体の「生き様」を感じる一首です。
質問/短歌⑤:虚構について
質問と返答部分
「どうでもいい」と私は思わないのですがこれに賛成します。「みんな違ってどうでもいい」けれど本当に「どうでもいい」のかを考えながらこのnoteの作中主体も日々生きております。
混じりっけなしの鉄は炭素等を少量混ぜた鋼よりも脆い。純度が高すぎる絆に嘘(不純物)を混ぜることで柔軟で強固なものになる。人間関係をそんな風に例えているのかなと読みました。どこまで相手の嘘を受け入れることができるか、必要であるものだと納得ができるか。是認し過ぎても良い関係とは言えず、全く受け入れないのも正しいとは言えず。相手の発言をどこまで虚構とするか、その尺度は人によって異なります。ですからコウモリさんの「どうでもいいじゃん」ではありませんが、他者を受け入れる気持ちは持っていたい。そんな風に感じる一首。
十首連作一首感想
「のわーる、え、ぶらん」
かきもちりさんの白背景短歌と黒背景短歌が混ざったような連作だと感じました。
まずパンデクテン方式とは何かを、なんてやってると終わりが見えなくなります。私が大好きな漫画家の戸田誠二さんの作品に「恋人」という3頁の作品があります。この一首を読みながら私はその3ページを思い出していました。細かく書けばきりがありません。私はこの情景がフラッシュバックしました。
この一首は申し訳ありません私には分からなかった。分からないのですが下手な想像で物を言ってはいけない気配?圧?を感じます。
付き合う前(または付き合うことができない)二人を想像して読みました。串入れがいっぱいになる程の時間を共有しながらも好きだどうだといった話が切り出せないでいるのでしょうか。そう言えない理由がもしかするとあるのかもしれません。そんな上辺の言葉はいらないから心を下さいと言っているようで切ない一首。
馴れ初めをペラペラと話せる人が信頼できるか、たしかに疑問だなと感じます。二人で寸分の狂いない馴れ初めを話すためには打ち合わせもしているのではないか、饒舌に馴れ初めを恋人同士が話さなければならない状況ってどんな状況なんだと想像を掻き立てられます。
次の一首でも言及しますが「道」を道義のメタと読みました。踏み外すことのない道を歩く二人、主体は相手の右手を確かめている。指輪をしているのかどうかの確認なのか、してくれている確認なのか。主体と「君」との関係性は名前がつけられるような関係性なのでしょうか。
主体は誰を目の前にして「誰を」「何を」大事にする決意をしているのか考えました。それこそNoirなのかBlancなのかではありませんが、主体には本来(道義的・法律的)に大事にするべき相手がいてその相手を前にしながらも心の中には別の人物がいつまでも住んでしまっているような状況を。
ぜろぜろの擬音が妙だと感じます。ぜろぜろ、Zero Zero、なにもないなにもない。そのはずなのに、甘さだけが残っている。主体が手の白さを思い出すほどに眺めた「君」はもうそこにはおらず、カップと思い出だけが残っているのでしょうか。
主体が追いかけても追いかけても捕まえられなかったものを思い出している一首と読みました。煌びやかなビジューを捕まえたはずなのに下を向いているのか、はたまた倒れ込んでいるのか。どちらにせよそれは「捕まえられていない」のではないかなと感じます。
うさぎを共通項として生活をした二人が存在したのでしょうか。主体の誰かに対する思いとして読みました。「うさぎになりたい」ではなく「なりにいきます。」であるところに注目をしました。正確に読み取ることは出来ませんがカタカナとひらがなだけで表記された一首に私は優しさや穏やかさではなく力強い、こんなことを言っては失礼かもしれませんが狂気を感じてしまいます。
もう二度と会うことのない誰かを記憶に残し「あの頃」を封じ込めたような一首。飛躍させると同じ名前の二人の人物を愛した主体なのかもしれないと考えましたが邪推でしょう。
「LOVE LOVE LOVE」
「穏やかさ?感じられるものなら感じてみろよ」と言われている気がする連作でした。それでも私は貴方のことを「優しい」と感じてしまいます。どうしてなのでしょうね。
ネプリ配信前に唯一拝読した一首。コウモリさんが前回参加をされたネプリの一首よりマイルドな表現ですが、力強さはこちらの一首に軍配が上がるのではないかなと感じました。主体の感情を否定できない自分がいます。それほど「欲しい」と思えるのならばそれは立派な愛情ではないかなと思うので。
韻律の面白さを感じる一首。誰にも見せ(show)られない内面でしょうか。「言われりゃなんぼでも見せてやるけど」と主体には反論されそうですが。
主体はmolestationとまではいかずともそれに近い行為を悔いているのか、それともパートナーの泣き顔を思い出しているのかはたまた、と悩み続けましたが答えは出ませんでした。答え合わせをするために読んでいるわけではありませんので私は泣き顔を想像する主体と読みました。
花火の一首ではなかろうかと想像し読みました。現場で見ると花火が散った後に残るのは煙だけなので。終わる恋を予感させるような美しい一首。
覆水盆に返らずではありませんが一度破綻したものを再構築しようと試みても二度と元の形には戻りません。それでも溶かしちゃダメだと再度かき氷だったものを再冷凍している主体。本当はもう同じ形にならないことを理解しているのではないかなと感じます。恋愛関係の破綻なのか思い出の忘却なのか。なんとかそれを元に戻そうとする主体の必死な姿を想像するととても切ない。
アンチ梶井基次郎。「お前の薄っい憂鬱では他者の現実は壊せない」と言っているかのような一首だと感じました。かきもちりさんが過去に檸檬の短歌を読んでいたことを思い出します。コウモリさんが詠むとこうなるか。
なぜか色気を感じる一首。涙の後を表現しているように感じるのだけれど説明ができない、分からない。二人に作歌をお願いをしておいて「分からない」を使うんじゃないよ馬鹿野郎と自分を責めていますが「分からないことをわかったような顔をして述べる自分」が私は一番嫌いなのでごめんなさい、分かりません。
恋人の隠し事に気付きながらも口に出せない問い詰められない主体を想像しました。恋人はうまく「来たことはない」と隠しているつもりなのでしょう。でも主体はそれに気づいてしまっている。その情景をブラックライトに例えるのは斬新だなと感じます。
美しく爽やかな恋人との思い出はもはや思い出の中にしか存在しておらず、再会を契機にそれがもう現実には存在しない事実が強炭酸飲料のプルタブを開けた時の勢いのように主体を襲っている一首と読みました。
再会をした恋人はもうあの頃の恋人ではなかったのでしょう。スプライト缶の底に甘臭く残った思い出がこの連作の最後を飾ります。主体の記憶に強く残っている様子が一首全体から感じられます。
終わりに
巻末に掲載されているそれぞれの十首連作は私からお二人への質問「恋愛観を教えてください」をもとに出来上がっています。今回のネプリ発行に際しお二人が他の方々にも質問をしていて、私への質問は何か若干のスペース埋め程度に質問なのかなと思っていました。
あの時「考えてよ」と言われて「それならちょっと悩むような質問にしちゃおう」なんて思いながらお伝えし申し訳ありませんでした。(私の名前までネプリに記載くださりありがとうございました。)ここまで真剣に考えて下さったのであれば感想を書いてお送りするくらいのお礼を私はしたいので、いつも通り誰に頼まれるでも強制されるでもなく今回の感想を書きました。
良い創作物には良いキャプションが必要だと私は考え・感じています。もちろん創作物としての魅力は備わっておらねばならず、キャプションに頼り過ぎてはいけない。短歌もそんな感じで発表して良いんじゃないかなぁと思っています。「何をいっているんだこいつは」と思うかもしれません。
ですが短歌を世に放つときデザインを考える、写真や絵を添える、詞書を添える。本命の一首を世に放つために連作・共作をする。歌集に栞や帯を作るetc.どれか一度は皆さん行った・試みたことがあるのではないでしょうか。それらに加えSNS上の人格を通じて何かを発表する際はその人格すらキャプションであると私は考えています。
文才のない・読みの浅い私の感想では説得力に欠けるかもしれませんが、今回のお二人のネプリは質問、返答、短歌そのどれもが良い作品でありそれぞれにとって良いキャプションなのではないかと考えながら拝読しました。本当に心地よい時間をありがとうございました。
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