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うたふるよる第十二夜 塩本抄さん

打ち合わせメモを公開します。
万が一不適切な表現や箇所がありましたらいつでもご連絡ください。

スペースのための打ち合わせメモ

常盤みどりが選んだ塩本抄さんの短歌
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キッチンに洗い忘れのマグがあり打ち明けるなら今なのだろう

2022.12.12 うたの日 題『 タイミング 』より

 うたの日のお題「タイミング」からの一首。初句〜三句と四句〜結句の言葉にA=Bのような因果は感じられないのですが文字面の意味や構成の理屈では説明のつかない共感を私は覚えるのでこの一首がとても好きです。
 一首の中に書かれていることだけを読むと、主体は洗い忘れたマグカップの存在に気づいて今この瞬間が何かを誰かに打ち明けるタイミングなのだろうと理解or決意or推量している状況であると考えます。ですが「何を」「どうして」「誰に」打ち明けるのかは一切書かれていません。それが一首の解釈を漠然としているのではなく、むしろ魅力的にしているのだと私は感じます。このような表現が良いかは判断できませんが、この何・何故・誰が読み手自身の体験を受け入れてくれるように感じるのです。
 重大な(何気ないもかな?)物事を他者に告げるきっかけや決意のチャンスは他者から見ると何の関係もないような「なんで?」と思ってしまうようなタイミングで訪れることがありませんか?それを告げる時も、告げられる時も。

噴水のコインに混じり落ちている鍵にどうして泣いたのだろう

2023.5.29 うたの日 題『 鍵 』より

 うたの日のお題『鍵』からの一首。この一首をとても好きだなと感じた理由は二つあります。一つはコインに混じり落ちていたのが鍵だった点、もう一つはその鍵を見て(拾うことは恐らく無いと思うのだけれど)泣いたところ。この一首も先の『タイミング』の一首と同様に読者の解釈を受け入れてくれるような短歌だなと感じました。
 先の一首でも述べた「漠然とし過ぎているのではないかと私が感じる短歌」は例えるなら真っ新な画用紙を見せられてさぁ自由に解釈をして下さいと言われてしまうようなイメージを抱きます。ですが先の一首・この一首はそれがなく、「洗い忘れ」「マグカップ」「混じった鍵」といった表現が要所要所で効いていて、アンカーポイント?・読者感情を引っ張る引力?なんて言えばいいだろう、そういったものががあるなと感じられるのです。感覚的な話で申し訳ないのですが、これがとても好きです。
 書かれている部分から感じる好きな部分は以上です。ですが申し訳ありません、いつものように書かれていない私がどのように読んでどう好きだったのかを話させて下さい。
 探していたことすら忘れていた、何のために存在していたのか、誰のためのものかさえ分からない。そんな誰かの鍵が、煌びやかなだけのどこにでもある噴水と言えばこれを捨てるのが良いことだと言わんばかりに放り込まれたコインに混じり水底に沈んでいる。主体はそれを見て何故かも分からずに泣いた。この鍵やコインは何の例えなのだろう、何故泣いてしまうのだろう、そんなことをどこまで考えても「正解」は無いのだけれど。とても詩情に溢れた素敵な一首だと感じました。書き始めると長いので当日話します。

来賓の話に飽きた私語たちが綿毛となって校庭へ飛ぶ

2023.3.22 うたの日 題『 私 』より

 うたの日のお題『私』からの一首。上手だなと感じたのは塩本さんの「私」の使い方です。私がこの文字を使って一首作りなさいと課題をもらったなら「自分自身」としての「私」を用いて一首作るだろうと考えました。ですがこの一首で「私」という言葉は自分以外と交わさなければ成立しない「私語」として用いられている。私では想像が出来なかった、同じ言葉を与えられても人によって解釈がこんなにも違う、そこがまず素敵だなと感じました。次に素敵だなと感じたのは、素直に読んで思い浮かべた状況が素敵だったからです。
 私語を飽きるほど長い来賓の話に飽きて生じた綿毛のようだと例えていらっしゃって、それが校庭へ飛んでゆく。来賓が話をしているのは校庭に近い体育館ではないでしょうか。体育館の窓から来賓と生徒のおしゃべりが少し漏れて聞こえているのかもしれません。そして、来賓が話をする機会と言えば入学入園・卒業卒園式が思い浮かびます。花が成長したあとに生じる綿毛が飛びゆく情景からは私は生徒達の旅立ちを感じます。ですので、卒業の情景かなと感じました。
 難しいことは申し上げられないのですが、言葉選び・比喩・情景どれも素敵だなと強く感じました。なので私がやりがちな読み違えていなければ「勝手に想像を膨らませて話す」はこの一首には全くありません、純粋にただ美しく素敵な一首だと感じます。

告白に感謝を述べて微笑んでそれが識者のふるまいですか

2023.3.7 うたの日 題『 識』より

 うたの日のお題『識』からの一首。多くを語らない大人の恋愛のような雰囲気がとても好きで選びました。明確な読みではないのですが、主体の告白に対し感謝を述べ微笑むだけの相手がいて、主体は相手のその振る舞いを少しの非難混じりに観察・理解している一瞬の様子を表現した一首なのではないかと読みました。明確な拒絶・否定ではないけれど決して肯定ではないと一瞬でわかるそんな振る舞い。経験や知性がないとそれを理解することすら難しいのではないでしょうか。ですから、それを瞬時に理解し非難に転じている主体の聡明さも感じられます。結句の「ふるまいですか」の投げかけにも見える非難のような表現からもそのように感じます。

しき  しゃ[識者]⦅名⦆識見のある人。有識者。三省堂国語辞典より

水筒にいつもひかりを詰めておく深海からも戻れるように

2023.1.1 うたの日 題『 令和五年の抱負 』より

 うたの日のお題『令和五年の抱負』からの一首。読み間違えていたらごめんなさい!という前提はありますが、とても好きな一首です。まず水筒が心の現れのようでとても好きです。水筒(心の中)にある深海(深くてくらい部分)を認めつつも「戻れるように」ひかり(良い思い出や経験のメタファーでしょうか)を詰めて携えておこうと誓う主体。心を水筒に例えている(のだろうと思っています)のが新鮮だし、明るさだけでなく主体自身が自分の内面に向き合った上で前向きに対策のようにひかりを持とうとしているところがとても好きです。

みさきゆうが選んだ塩本抄さんの短歌

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逞しいきみの船へと乗せるたび榊のように赤児をまわす

2023.11.10 うたの日 題『 自由詠 』より

 生まれて間もない新生児の赤ちゃんを抱っこしている主体からきみへ、お若いご夫婦間で渡している様子だと読みました。恐らく「逞しいきみ」がお父さんで手を船の形に丸くして受ける様子。うーんどちらでもいいですね。最初に浮かんだイメージでは、そうでした。
 神事で玉串をくるりと回しながら向きを相手に合わせて渡すように、同じ利き腕の人同士の場合は赤ちゃんの頭の向きをかえながら渡しますよね。大事に大事にそぉっと。その度に主体の心に榊を扱うような清らかな愛おしいものへの祈りのような感情が湧いているのではないでしょうか。
 赤ちゃんは天からの授かりもの、神さまからの預かりものなどと言われることがありますが、私自身も神秘的な存在に感じています。だから、こちらの歌の比喩がとてもしっくりと響きました。とても好きです。
 「船」も好きです。形の比喩だけでなく、始まったばかりの人生の門出、出立のイメージ。おめでたいですよね。まだ一人では何もできない赤ちゃんをお父さんの逞しい船に乗せて赤児の人生を守ってゆきたい両親の気持ち。

 回すだと、文字の形からも回転のイメージが浮かんでくるから、ひらがなになってるのもそうっとゆっくり柔らかに感じられていいなと思いました。

あと一歩晴れきらぬ空 昨日よりおおきく卵焼きを巻きたり

2023.7.5 うたの日 題『 卵 』より

 数日の長雨が続いた後、ようやく止んだものの完全には晴れきらない空を眺めた主体。よしっ!と気持ちを切り替えようとしたのだと思います。一字空けは、視線の移動とよしっと思う時間。お天気と気持ちが連動していて、もやもやからすっきりするきっかけ、けじめ、切り替えの行動として、主体は昨日よりおおきく卵焼きを巻いたのでは。
 二句、結句に古語を使っていることで、何気ない日常の様子が濃く印象に残るように思います。完了形の「たり」にしていることで、単なる出来事でなく、おおきくまいた!完成!これでよしっ!という感情も伝わってきました。「おおきく」を開いていることで、重くなった卵焼きを注意深く巻く時間を感じられました。

 卵焼きは何等分かに切って盛り付けることが多いと思いますが、切らないで盛り付けた大きな卵焼きを食べるのって贅沢している気持ちになりませんか?私はなります!普段は卵三つのところを四つ使ったりして。卵一つのお値段を考えるとそれほどの贅沢とらならないかもしれないのに不思議です。そして明るい焼き色がどーんと食卓にあると元気が出ます。この主体の切り替え方がとても好きですし、共感しました。

水筒にいつもひかりを詰めておく深海からも戻れるように

2023.1.1 うたの日 題『 令和五年の抱負 』より

 どうしようもなく深く落ち込んだり、生きるのがしんどくなった時に、自分にはこれがあるからまだ大丈夫、「戻れる」、どうにかなると希望に繋がるような大事な存在(人、物事、言葉など)を、心の中にいつも持っておこう、そうして生きていたいという歌だと思いました。水筒とひかりと深海に例えているのがとても好きです。水筒の底を見ようとすると、思ってるより深くに感じるんです。音も篭っていて、少し神秘的と言っていいくらいの世界。まさに深海だとこのお歌で気付かせていただきました。その水筒に「いつもひかりを詰めておく」がとても良いですよね。「いつも」が好きです。

 拡大解釈になるのですが、水筒って小さな子が家族と離れて社会に一歩踏み出すときのお守りのように感じられるんです。なぜ小さい子が浮かんだかと言うと、お歌の中の水筒を常に持っていたいイメージから、肩にかけてる幼児が浮かんだからです。親御さんたちの喉渇かないように、一人で飲めますように、という想い、願いが詰まっていると思います。
 主体のひかりのひとつに、そんな風に、自身の幸せを願ってくれる人の存在も含まれるんじゃないかなと感じました。

声ならば覚えてゐますほつほつと穂先の抜けてゆく竹箒

2021.12.8 うたの日 題『 箒 』より

主体が誰かの記憶を少しずつ無くしていくことを竹箒で例えている一首と読みました。「ほつほつと」のオノマトペがとても好きです。擬態語でもあり擬音語でもあるかな。長い期間、毎日のように竹箒をはいているうちにすり減って、気付かないうちに穂先と記憶が抜けてゆく様子、音。
主体と相手との関係や、年齢などはわからないのですが「ゐ」「竹箒」比喩から考えると、主体はある程度歳を重ねていてるのではないかと想像しました。
順番前後しますが、初句について。「声ならば」が好きです。「だけは」ではなく「ならば」には、単なる順接ではなくて、できることならばの意味合いが含まれているのではないかと思いました。現段階でもいろいろなことを忘れていってるし、これからも少しずつ忘れてゆくのはどうしようもないけれど、それでも「声ならば覚えてゐます」、覚えていられます、覚えていたいです、なのかなと思いました。主体の意志の強さを感じます。最期まで覚えていられることを願います。

雨雲の切れたあたりへ真っ先にひかりになって駆けてゆく犬

2021.11.11 うたの日 題『 犬 』より

 実家でずっと犬を飼ってきました。そして数匹看取ってきました。この歌を初めて拝読した瞬間、元気だったその子たちの駆けていく様子がぱぁっと心に浮かんできて、嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになりました。ありがとうございます!まずお礼を述べたいと思ったお歌です。
 分厚い雨雲が空を覆っている日にお散歩中、雲が途切れたところから差す光を見つけた犬が一目散にかけてゆく様子だと読みました。何かを見つけた時の犬は野生を取り戻すのか結構な瞬発力で駆け出します。見つけるのもめちゃくちゃ早い!表情もきらきらと瞳が輝いて明るいですよね。そんな様子を「ひかりになって」と例えたのだと思いました。大好きです。


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