うたふるよる第十一夜 T・G・ヤンデルセンさん
打ち合わせメモを公開します。
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スペースのための打ち合わせメモ
常盤みどりが選んだT・G・ヤンデルセンさんの短歌
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新聞を眺める主体の思考を表現した一首。初句〜三句までは半ば慣用句化されたような言い回しが続くのですが、四句結句の「新聞だけがいつも白黒」にとても惹かれました。惹かれる理由を考えるために再度初句から読み直すと、この初句〜三句が効いているのだろうと感じます。
自然風景や自身とは関わりのない事象、広義の世界は色鮮やかなのだけれど主体自身が住み生活をしている言い換えれば関わりのある日常・狭義の世界を新聞に例えているのだろうと感じました。それが白黒である、たしかに新聞が白黒であるのは当然といえば当然なのですが、それ以上に現実と憧れとの対比のような構造を感じてとても好きな一首です。
海を知らない星の生まれの人の手を主体は自身のであるかその人であるかは分からないが胸に押し当て波の説明をしている、初句字余りの一首。
なぜか感情の切迫さを押し当てるという表現や初句の字余り、そして「これが波です」という台詞口調から私は感じます。星・押しと韻を踏んでいる部分も良いなと感じるのですが、その反面この結句は初句〜四句までの流れ、言葉選びとは少し異なる様相を感じます。 海を知らぬ星ですから主体と対象は違う星の生まれ、どちらかは異星人と読めるのですが、それを踏まえて考えるとさらにこの手を押し当てて海を、波を説明している様子・主体の戸惑いなのかもどかしさなのか、そういった感情が感じられる一首だなと感じます。
21年7月の元の歌も好きです、主体の「きみ」に対する問いの一首と読みました。私も’’君がいう皆というのは恐らくは君が選んだ人のことだよ’’と詠んだことがありとても共感を覚えながらこの一首を受け入れた・迎え入れたと記憶しており紹介します。
「みんなのこと大好きだよってそんなことあるかー!」と私は自作で述べたかったんだろうなと当時を思い返しているのですが、この一首はそれよりもより優しい表現であるのにさらに客体としての主体(何ていえば良いのかな「ぼく」をちゃんとカウントしてくれているのかと感じている主体の存在を明確に表現している?)を感じさせます。
一首の中の人間にあたる部分を開いて、それ以外を漢字で表現し「入れる」行為や「大好き」といった言動を漢字表記にしている対比がその主張を明確にしているようにも感じられ好きな一首です。
Shine Shineと書かれた(目に映るので)励ましの言葉が主体の目にはローマ字読みで「しね」と見えている。そんな一首と読みました。
形骸化された標語のような言葉にはうすらさむい感情を覚える時が私にはあります、特にポジティブな言葉には。北風と太陽ではないのですが、疲れている・追い詰められている人間に検討はずれの温かな言葉をかけ続けるのは逆効果です。深読みするとShineの後の輝きなさいもShineですから死ねと3連呼されているようにも感じられる、音だけで考えるとShineは社員とも読める、不穏だなと感じますがなんとなく分かる気にもなる、惹かれる一首でした。
初手深読みのような感想になりますがA/B両サイド・陣営双方に良い顔をした主体がどちらにも付けず孤立というよりも独立していく様子を感じとても好きです。ありがちなお話であればこのコウモリは孤立するのでしょうし、夜にしか飛べなくなりました、みたいなお話しで落とすのでしょうけれど。夕闇を切り裂いて飛ぶのですよね、素敵だなと感じます。
みさきゆうが選んだT・G・ヤンデルセンさんの短歌
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読んですぐに選んだ一首です。天帝に天の川を挟んで置かれた彦星と織姫の年に一度の逢瀬。けれど、天帝に許されなくとも川をサイダーに変えて呑み干して逢いに行くという意志・愛の強さを感じられて好きです。
「はじけるサイダー」という言葉からは爽やかで青春をイメージが浮かびます。「はじける」という形容詞が入ると天の川の比喩としても星々のキラメキにもさらにぴったりですよね。と、同時に青春や初恋の儚さも感じられます。「はじける」が開いているのもちょうどいいなと思います。「弾ける」だと少し強い気がします。
七夕という古くから伝えられてきた世界との組み合わせがとてもいいなと思いました。物語の中で二人はずっと若いのだけど、今ここにいる若さとは違って感じませんか?でも、この歌の世界の二人はとてもフレッシュに生き生きとしています。
「今」もいいですよね。会いたい!「今」すぐに会いに行く!という抑えきれない気持ちが伝わってきます。
※呑む:がぶがぶのむことを表す。ふつうはのまないようなものを丸ごとのむ場合に使う。比喩表現に使う。
最後まで一気にリズム良く畳みかけてくるのが好きです。そして一度言ってみたくなります。なります…よね?笑
はいのい、イエスのい、イエスのス、キスという音の繋がりも心地いいですね。
面白い告白の仕方なんだけど、慣れてるとか余裕のある様子ではなくて、このくらいの勢いじゃないと言えないのかなと思いました。ちょっと早口にね。少女漫画の不器用で一途でピュアな主人公が浮かびます。リアルで伝えるならラブレターでもいいかもしれません。酔ったフリしててもいいなぁ☺︎相手の人は何と答えたんだろう。第二問も続けたのかな。一問目で良い答えをもらえてたらいいな。想像が膨らみます。
君を亡くし、火葬された後の空を見て思った主体の気持ちだと読みました。この時はまだ?悲しみに暮れて泣いてないような気がします。まだ現実味がないんじゃないかな、と。
亡くなった方を風に例える歌や詩、曲はたくさんあります。でもこのお歌の「何パーセントが君なんだろう」がとても好きです。
風にはいろんな名前がついていて、季節ごとや強さなどで分けられています。竜巻などは見えるけれど、基本的に境目ははっきりしないし、竜巻さえも渦から離れれば周りの空気に馴染んでいきます。君である風もいつの間にか薄まって馴染んでしまうけれど、確かに存在していたもので、どんなに広がっても無くなりはしないと思いながら…うーん、強くではなくて漠然とかな、願いも込めて、空を見上げる主体を想像しました。
(このお歌には#返歌くださいのタグが付いていたのですが、今よりもっと初心者のみどりさんと私二人ともが返歌を詠んでるいのを見て、なんだか嬉しくて懐かしくて笑っちゃいました)
歌を詠む人にはとても響く一首なのではないでしょうか。「歌(music)」なのか「短歌」なのかは限定されていません。どちらだとしても、作歌する人が落ち込んでる様子を見て、主体が気持ちを伝える一首だと読みました。やわらかい韻律も好きです。
相手が発した言葉は何も書いていないけれど「だとしても」で想像出来るんですよね。「自分の歌なんてつまらない」「誰にも見てもらえない」「上手くならないからやめたい」などなど。それに対しての主体の心からの言葉。
「僕に」も好きです。歌をどう感じるかは個人的なもの。ほかの誰かにとってどうなのかは関係なくて。「僕にやさしい御守り」と思ってくれる人が一人でもいてくれるのはあなたにとっての御守りになるのだと思います。
「でした」ということは今はどうなんでしょうか。過去の辛かった苦しかった、寂しかったあの時の自分にとって御守りで、今はもう平気になったということでしょうか。ああ、私にもあの時支えてくれたと思う歌集があります。今書きながら納得しました。
膝に乗せたギターを両手で抱き抱え顎を乗せている女性の写真から詠まれた歌です。
縁が切れてしまった相手への思いがまだ胸に残っている様子を表している一首だと思いました。
相手のことは何も詠まれていないので拡大解釈かもしれませんが…。なぜそういう風に感じたのかと言うと、「弦」と書いて(いと)とルビがあります。二人の編んできた思い出や二人の絆、メロディーを「弦(いと)」として表していると思ったからです。切ったわけでも外したわけでもなく「ちぎれた」のが切ないです。
そして「トレモロ」が好きです。細かく連続した音がメロディの後ろで響く弾き方ですよね。『ふるえる音』という意味があります。ギターのソロ弾きだと、アルハンブラの思い出・アストゥリアス・最後のトレモロなどが浮かびます。(個人的な感覚ですが、水や光の粒が流れているように感じることが多いです。風もあるかな。)明るい曲調でも微かに物悲しく響く曲が多いように思います。主体の悲しみや切なさにシンクロしました。
メロディ・主旋律は途切れてしまい、トレモロが胸の奥だけに残って美しく悲しく響く。何をしてても笑っていても。
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