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うたふるよる 第二夜もくめさん

スペースのための打ち合わせメモ

常盤みどりが選んだもくめさんの短歌

どうせならあなたを守る武器として言葉を使い生きていきたい

Twitter2023年3月18日掲載

言葉は凶器であり盾にもなると再認した一首です。凶器である「武器」という単語を用いた一首ですがどうせ「なら」/生きて「いきたい」という表現から私は主体の自主的?な攻撃性を全く感じずこの一首を読みました。ところが主体は武器としての言葉を放棄していません。どうせ使うのであれば、「君」を守るためであれば、自分は戦えるという主体の意思の強さを感じます。優しいだけでは生きていけない、加害するわけではなく守るためにも強さは必要なのではないか、そういった意図の一首であるのならとても強い共感を覚えます。
‘’武器として言葉を使うなら君を守ることから始めてみたい(Twitter2022年12月25日掲載/うたの日さん同年12月24日『武器』)‘’という一首も掲載されておりどちらの主体からも優しく強い意志を感じますが始めるのではなく生きていくという意志の強さからこちらの短歌を紹介したいと感じました。

明らかに嘘をついてるあの人を肯定したい私はなんだ

Twitter2023年3月13日掲載

身振り手振り声のトーンや目の動き、肉眼でそれらの所作が分からずとも関係性が近ければ近い人ほど声のトーンや文面の変化・差異に違和感を覚える。それでもこの人の違和感を肯定したいと思う。そんな状況の私は一体何者なんだろう。と主体の悩んでいる情景を思い浮かべました。ここでなぜ「関係性が近い」と感じたのか。それは「この人」ではなく「あの人」と表現をされているからです。
飛躍しているかもしれませんがそこから物理的な距離としては遠くにいるのではないか、ひょっとするとネットにおける関係性なのではないかとこの一首を読みました。作中主体が見つめている対象が主体に対し明白な嘘をついたと気づきながらも、なんとかそれを肯定したいと思っている。その「なんとか」の原動力は好意だと解釈をしたい。ですが、真逆に考えると嫌悪を抱きながらもなんとか肯定することでやり過ごそうとしているのではないかとも考えました。世の中には「必要な嘘」があると私は思っています。しかしこの一首を読んでからは「必要な嘘」には必ず「嘘をつかれる相手」がいて。それは当たり前なのですが当前であればあるほど見落とすこともあるなと。自分の独善性や嘘とは何かなど色々と考えさせられる一首でした。

あなたから紡いだはずの関係を不可思議そうに眺めないでよ

Twitter23年3月31日掲載

親密になった関係に「どちらから」は存在するのだろうか、確かに最初の最初は存在するけれど、お互いに納得していようといまいと切らない縁に責任の所在があるのか。情景が読み取れないまま、色々なことを悩みながら、この一首を読みました。「紡いだはず」から紡錘、糸車、拗れるetc糸に関する言葉をぐるぐると考えています。考えれば考えるほどに思考も想像される描写も複雑になっていく。友情?恋愛?家族?親子?この関係はいったいどんな関係なんだろう・・・・・・。そこまで考えてふと「私のような思考を繰り返している状態の誰かを見つめている主体」がいるのではないかと思い至りました。
主体にとって「問われれば言語化出来る関係」を相手は言語化出来ないと言えばいいのでしょうか。チープな解釈かもしれませんが例えば恋愛関係(だと主体は思っている)​を相手に「私たち付き合っていますよね?」と問うた時相手の反応が芳しくないような。​親に「どんな子供でいてほしかったか」を訪ねた時の微妙な間とか。それは相手に互いの関係を放棄こそされていないけれど、自分の想定しているものではないと宣言されているようで。

安直な言葉で君を救えたらどんなによかっただろう ごめんね

Twitter23年4月14日掲載

 救いたい誰かがいるけれど、救えないことが分かっている主体の心情として読み取りました。年齢を理由にしてしまうのは良くないかもしれませんが、歳を重ねれば重ねるほどこの一首のように感じることが多くなったなと感じます。選歌中だったので続けて拝読をしていたからでしょうか、3の一首に対する相手の視点として読むとさらに切なくなります。

ゆうさんへ
実は紹介したい短歌を選んで行くうちにこの2〜4の短歌が意図せず残りました。それから一連の作品のように考えてしまっています。特定の誰に対してではないのですがこの三首のように思うことがあります。「明らかな嘘をつかない・紡いだ関係の責任を放棄しない・安直な言葉で人を慰めない」のであればなおさらにこのようになるのではないかと。うまく文章にできませんので録音時に一緒に考えてくださると嬉しいです。

他人などどうでもよいと言える日は遠くの方へ散歩に行こう

Twitter2022年9月8日掲載

昨年一人で行なっていた「短歌の感想を伝える」の企画でも気になりましたが、詳しく感想をお伝えしておりませんで。今回再度紹介をさせていただきます。またこの話か!と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが私はずーっと「みんな違ってどうでも良い」をお守りのように持ち続けている人間です。色々なことで感情が上下に振れる度にこの言葉を思い出すようにしています。
「どうでもよい」の言葉を見るだけ・聞くだけだと乱暴に感じるかもしれません。ですが「他人などどうでも良い・悪い」の判断が発生している時点でこの作中主体は優しい人なのだろうと考えます。そうではないかもしれませんが、少なからず「優しくあろうと思っている」人間なのではないかなと。作中主体は誰に頼ろうとも誰を傷つけようともせず、遠くに散歩に行こうとしています。そこからも強くて優しい人なのではないかと感じるのです。ただ、誰も知らない遠くをあえて選択していると考えると切ない、そう考えても好きです。この「どoうuでeもoいiいiとo言iえeるu日iはa遠ooくuのo方ouへe」のリズム感が好きで、初句から結句までの物語を運んでくれるように感じます。主体を見習いたい一首です。

言葉を使う主体の意志や覚悟に強い共感を覚えます。
ただ、それ故に時折垣間見える感情が儚く輝いてみえてしまう、そんな切なさを感じます。

みさきゆうが選んだもくめさんの短歌

たっぷりと時間をかけて煮詰めます
静かになあれ おいしくなあれ

2021年1月7日

煮込むんじゃなくて煮詰める、ジャムやソースを作ってるのでしょうか。「なあれ」も可愛らしい響きですよね。たっぷり時間をかけて、あくを引き、丁寧に煮詰めていく。おいしくなあれは愛情の気持ちだと思うんです。
が、「静かになあれ」ともあります。水分を飛ばして煮詰めていくと、ことことがぷつぷつぽこぽことと音が変わっていくんですよね。静かとは違う気がします。なんだか不穏さを感じました。人に向けて言ってそうな気さえしてしまいます。相手を追い詰めて意志を奪い従順にさせていく過程のような、主体の歪んだ愛。
それともヘンゼルとグレーテルの魔女だったり…?笑

明日から模様になると決めたので
手足広げて横になってる

2021年2月14日

ワンポイントの模様?とも考えましたが、静かに「横になってる」ので、やはり存在感のあまり無いような地模様なのかなと想像しました。人が手足を広げた形の繰り返し、和柄だと千鳥格子のようなもの。そのうちのひとつになるなら目立たない。そんな存在になりたいのでしょうか。「手足を広げ横になってる」というところからも脱力、無気力なイメージも浮かびます。
でも繰り返しのデザインにありますよね、一つだけ色が違ってたり、ひとつだけ表情か違っていたり。デザイン的にはひとつだけ…ですが、実はみーんな違うんですよね。こんな面白い発想をする主体はしばらくは目立たない模様になったとしても、少しずつ個性が滲んで、自分は唯一無二の存在だと気付いてくれるような気がします。私もそうなりたいです。笑
でもこれ「明日から」なんですよね。明日に備えての練習のような。明日になれば変わるかもしれませんね。何度も思っては実行せずにいるのかも。

青空じゃなくても会いに来てくれた
それだけでもう救いじゃないか 

2021年8月14日

「それだけでもう救いじゃないか」が好きです。声に出して読みたくなります。会いに来てくれた人への労い、感謝と励まし。主体自身も決して青空の下にはいないのです。でもそれをわかった上で会いに来てくれた友がいる。そしてその人は来るしかできないことの不甲斐なさを感じているのが見て取れたのかと思います。
私も似たような気持ちになる時があります。一生懸命励ましてくれてるのに「それだけしか出来なくて…」と思ってくれる人に対して、不思議なのですが、お礼という気持ちだけでなくむしろ励ましたくなるんです。
また、来てくれただけでありがたいのに、ついつい「もう少ししてほしかった」と欲が湧いてしまったのかもしれません。自分に言い聞かせるような気持ちとも取れます。
どちらも…かな。来てくれた人と主体とで、どうにも出来ないことを理解しやりきれなさを嘆きつつ、だけど今再び会うことが叶った幸せを噛み締めている。
読んでいる私もその場に一緒にいるような気持ちになりました。

水槽にへばりついてる大蛸を剥がすみたいなお別れだった

2023年2月25日うたの日『蛸』

最初に浮かんだのは、幼稚園に行きたくなくてお母さんから離れないでいる子供の様子です。また帰ってくるから「お別れ」とまではいかないのですが、全身で泣きながらお母さんにしがみついている様子は今生の別れのようですよね。
でも「だった」で終わっているのがどこか寂しげで。ただの過去を語るための過去形じゃない気がしたのです。蛸の吸引力はとても強い。しかも大蛸。心の中のお話かなぁと。ずっと底にくっ付いていて、離れる気がしない、これからも当たり前にあると思っていた人や想いを無理やり剥がさなくてはいけなくなったのかなと。離れていった人はその人の意志だとしても、心の中の想いを剥がすのは主体自身にしかできないですよね。力を込めてもなかなか剥がれてくれない。剥がす時にも痛みを感じる。それでも最後の一瞬はふっ…と力が弱まるような気がします。でも剥がされる時に強く吸われた痛みはずっと残ってしまいます。

安直な言葉で君を救えたらどんなによかっただろう  ごめんね

2023年4月14日

「青空じゃなくても会いに来てくれた
それだけでもう救いじゃないか」と重ね合わせてしまいました。この主体の気持ちは多くの方々が歳を重ねて生きていくと何度か抱くものだと思います。
相手の求めている言葉や気持ちは手に取るように感じるのに、その言葉を投げる訳にはいかない時があります。救えないのはわかっていても、どうにもその言葉を投げるしか出来なくて虚しく口にすることもあるかと思います。「ごめんね」さえも申し訳なく。

↓最後まで迷っていた歌です

星々の距離に比べてぼくたちはあまりに近くあまりに遠い

2022年10月3日RIUMさん『距離』

天井に手をつくようにジャンプする着地はしないもう帰らない

2023年2月12日

明らかに嘘をついてるあの人を肯定したい私はなんだ

2023年3月13日

揺れている心を見透かされている金魚鉢には金魚はいない

2023年6月16日RIUMさん『揺れている』


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