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#お笑い
相手からのメールの文末が『。』で終わっていると、「え? もしかして怒ってる?」とたじろいでしまうよね。『デタラメだもの』
メールなど文字でコミュニケーションをとっていると、時に「アレ? この人、もしかして怒ってるんじゃね?」と心配になってしまうことがある。よく新人営業マンが上司から、「メールなんかでやり取りしてんじゃねぇ! 電話でやれ電話で! 電話のほうが相手の声のトーンだったりテンションだったりが掴めるだろ? そうしなきゃ新規案件なんて穫れるわけねぇだろ、バカッ!」というアレである。 だからといって、電話は電話でいろいろありまして、「いきなり電話かけちゃうけど、迷惑じゃないかしらん。今現在、
ふとした瞬間に昔を思い出してしまう。あの頃はよかったなぁと昔を懐かしんでしまう。あの追憶装置の正体とは?『デタラメだもの』
ふとした瞬間の街の空気が漂わせる香りに、つい昔のことを思い出してしまい、急に立ち止まり、「嗚呼、あの頃はなぜにあんなにも自由だったんだろうか」などと回顧するも、急に立ち止まったがために後ろを歩く人にぶつかられた。「いきなり立ち止まるなよ、クソがッ」と吐き捨てられ、はっ、そうか、ここは現実か、などと我に返る日々。 そういった類の、昔の記憶を呼び戻す装置的なものは一体なんだ? 一瞬にして感情があの頃に遡れたり、まるで映画のワンシーンを眺めているように、ウットリと自分の人生に酔い
馴染みの立ち飲み屋が想像を絶するリニューアルを遂げ、もはや二度と立ち寄れないほどの有り様になり果てていたやん。『デタラメだもの』
馴染みの飲み屋が潰れてしまうことは、長年生きていればそれなりに経験するものだ。しかし先日、馴染みの立ち飲み屋の店長が変わり、店を新しくリニューアルオープンするという出来事があった。リニューアル前の店は、仕事帰りにフラッと立ち寄れる飲み屋で、値段も格安。気のいい店長とアルバイト2名体制といった、こじんまりした立ち飲み屋だった。 オフィス街の一角にあるということもあって、スーツ姿のサラリーマンやオフィスレディーが目立つ店だった。店側も客側も隔たりがなく、あちこちで飲み屋特有のコ
部屋に溜まる不要な書類。重要書類と書かれた封筒。契約当時に送られたというID・パスワード記載の書類。何が必要で何が不要なのか大掃除。『デタラメだもの』
長年生きていると、自ずと溜まってくるのが書類関係。何か契約すれば契約関係の書類も溜まってくる。郵送で送られてくる書面類だってある。とにかく書類というものが部屋には大量に舞い込んでくる。 時節はどうやら大掃除の時期らしい。個人的に大掃除というやつは、春やら秋やらといった掃除をしていても苦にならず、清々しい季節に行うのが良しと思う派であるし、水を多量に使うような掃除関係は、気候的に水が乾きやすい夏に行うのが良しと思う派なのであるが、大掃除というイベントにかこつけて、この書類関係
「大丈夫です」という言葉は日本人らしく曖昧で主張もボヤかされていて便利な反面、いろいろな問題も孕んでいて多用は禁物だ。『デタラメだもの』
意思表示というものはとかく難しいもので、特に相手方が良かれと思ってやってくれている行為を拒むときなんかは、日本人元来の明確に意思を表示しない性分が発動し、あやふやな空気が漂う。そして、そのあやふやな空気の中で多用される言葉こそが、「大丈夫です」というフレーズ。 例えば相手方が良かれと思って何らかの物品を提供しようとする場面がある。1対1の場面で提供されるともなれば、さすがにその物品を不要だと感じていたとしても、「あっ、ありがとうございます」と、きっとそれを受け取ることだろう
忘年会シーズンに蔓延る、セクハラまがいの行為をするおっさん。男は女性の敵か!? いや、おっさんが女性の敵か!?『デタラメだもの』
おっさんという生き物は、実に女性の敵だと思わされる瞬間があって閉口。特にアルコールを仕込めば仕込むほど、その醜態は醜くなる一方。世は忘年会シーズンなんかも知らんけれど、そういったシチュエーションに出くわす機会が多くなり嫌んなる。 年末迫るこの時期になると「ワシャまだ仕事中じゃい」という時間帯においても、本年の浮き沈みを忘れやんと、呑んだくれる集団に出くわすことがありんす。皆さん一様に陽気な表情で、公衆の面前ということも失念し、大声を張り上げたり、ピョンピョンと飛び跳ねたり。
優越感に浸る人間の表情とはこんなにも卑しいものか。アイドル風女子が、アイドル落選組の女子を打ちのめす一部始終に戦慄。『デタラメだもの』
あからさまに優越感に浸っている瞬間というのは、その実、人間はとても卑しい生き物に成り下がっているような気がするわけでとても不健康。やはりどこまでも謙虚に生きていきたいものである。 クリエイティブな仕事に従事していると、時に時間に縛られないという恩恵を受けられる反面、時に時間に縛られまくるという好ましくない状況をも受け入れざるを得ず、皆様がその日の仕事を終えて帰宅するであろう電車に乗り込み、いざ客先を目指す、なんてこともチラホラ。ちょうどそんな時間帯に、大阪から京都まで電車で
話を"盛る"という行為が、これほどまでに悲惨な結末を生んでしまうとは。笑い欲しさに道を踏み外してしまった男の末路とは?『デタラメだもの』
話を盛る、というのは、愉快な会話においては必要不可欠であって、特に大阪生まれ大阪育ちの人間は、殊更に愉快な会話というものを求められる。オチのない話は厳禁であり、会話のテンポが乱れるなんてことはあってはいけない。笑いに関しては幼少の頃から厳しい訓練を受けているわけであって。そしてその結果、時に"話を盛る"ということをやってのける。 要するに、エピソードなどを披露する際、二度あったことは「何度も」、と表現したほうが話にメリハリがつくし、たった2~3人から聞いた話であったとしても
ひとたび病気をすると、周囲の人たちが自称専門家となり千万無量のアドバイスを差し出してくれる。が、そう気軽には採用できないことをお察し願いたい候。『デタラメだもの』
これは関西人だけの特性なのであろうか。それとも日本人という国民性なのだろうか。先日、アレルギー反応がないことが検査済みの食物を食べてアナフィラキシーショックを起こすというハプニングと、マッサージ師との相性が合わず首から肩にかけての筋を痛めるというハプニングが、同時期に巻き起こりまして候。 日常生活がニッチモサッチも立ち行かない状況になっていたのではあるが、とは言えワーカホリックな我が日本。働かない者は食っては行けない。例え病床に伏そうが、働けなくなった者は切り捨てられる。例
負の奇跡が巻き起こると、こんなにも悲しい気持ちになるの?鶏葱蕎麦であわや病院送り。いや、その前に首と肩もやられている。まさに満身創痍だ。『デタラメだもの』
慣れたことばかりやっていると、人生は退屈に感じられる。かと言って、慣れないことをすると、とんでもない事態が巻き起こることがある。じゃあどうすればいいのかと思考するも、だったら何もしないことが一番なんじゃあないのと悪魔が囁き忽ち閉口。まさか、鶏葱蕎麦をクッキングすることが、あんな事態を巻き起こすなんて、考えられるわけないじゃーないの。 以前までは空腹を感じると、軽い気持ちで料理を拵えて舌鼓を打つなどして楽しんでいた。ところがどっこい、毎日が忙しくなって余白のない毎日を送り出す