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エッセイ『デタラメだもの』

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デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。
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2020年11月の記事一覧

心から食を楽しんでいるにも関わらず、早食いで且つ、三角食べをしないことから、食に無関心なヤツだと思われる始末。『デタラメだもの』

食べるという行為は、実に楽しいものだ。その楽しみを知らぬ子供の頃は、食べることはあくまで単なる食事。サッサと済ませてゲームをしたり遊んだりしたくなったもの。しかし、大人になるにつれ、食べることが楽しみに変わっていく。 家庭で出される食事以外にも、多様な料理に触れるようになるし、何より食べたいものを食べることができる。雑誌などで見かけた店に足を運び、気になった料理を嗜む。食への興味も湧いてくるし、料理に対する造詣だって深まるだろう。 「楽しみ言うたら、食べることくらいでっせ

何で今日に限って、こういうことが起こるの?不運は今日も人の運命を弄ぶ。『デタラメだもの』

何で今日に限って、こういうことが起こるの? と、運のなさと申しますか、運命のイタズラと言いますか、いや、そもそもそれが宿命というものなのかもしれないが、何で今日に限って、こういうことが起こるの? という不運は訪れる。 わかりやすい事例でいくと、学生時代、普段は教科書なんて滅多に家に忘れてくることはないのに、たまたまその日、教科書を忘れてしまった。うわぁ、どうしよう。と焦ってはみるものの、まぁ大丈夫、先生にはバレないだろう。などと高を括っていると、そんな日に限って、教科書の音

いちいち髪型を気にする必要がなくなる、画期的なアイデアを思いついたのだが。『デタラメだもの』

公衆トイレで用を足し、洗面台で手を洗っていると、たまにこういう場面に出くわす。洗面台の隣に立つ年頃の男子が、鏡に向かい、一心不乱に髪型をセットしているという状況。 年齢とともに、髪型の決まり具合を綿密に確認するようなことはなくなった。ただ、あまりにも鏡を見ずに過ごしていると、顔面に何か付着していないだろうかとか、余計な毛が余計な部分から生えてやしないだろうかとか、少しはチェックしたくもなる。 しかし、洗面台の前に二人の男が立ち並び、己の状態をチェックしている様子は何だかこ

消防車のサイレンがきっかけで始まるご近所付き合い。近隣住民がご近所さんに昇華する瞬間を想う。『デタラメだもの』

救急車や消防車のサイレンが聞こえる。遠くのほうから聞こえはじめたサイレンの音は徐々に大きくなり、すぐ近所まで近づいたかと思うと、ピタッと止まる。 サイレン音は音楽でもエンターテインメントでもないから、リスナーの気持ちを害さぬよう、フェードアウトなどして終幕を迎えてはくれない。いつだってピタッと止まる。音が止んだ瞬間、近隣住民たちは一様に思う。「近くで何かが起こってる!」と。 外ではガヤガヤと近隣住民たちの声が聞こえる。家着のまま、サンダルまがいの履物で玄関先に飛び出す者。